旅の記憶は決して時系列的にやってくるものではない。
 沙羅と楽しんだブルターニュ・ノルマンディーの旅の記憶も、私の場合は突然のように、強烈に、あのホテルの夜から始まっている。そして、その夜の記憶から時間軸に沿ってその後にやってくる旅の記憶へと歩いてみたり、その前に起きた旅の記憶へと戻ったりする。
 記憶を探ってゆくとは、一人でコーヒーをゆっくりと飲みながら、自由に気ままに頭の中で過去を行きつ戻りつすることである。

 「その夜の記憶」といっても、いたってごく普通のものである。
 オンフルールの郊外、セーヌ川からそれほど離れていない住宅地の中にあるアンタレスホテル。破風屋根の3階建てのその小さなホテルに、ツアーコンダクターを含めて10人の日本人は2泊した。
 セーヌ川が大西洋に注いでいる大きな河口には、北側にル・アーブルの街が、そして南側にオンフルールがある。この2つの街を結ぶために、セーヌ川を跨ぐ新しい橋が1995年に完成した。ノルマンディー大橋である。長さ2143メートルの斜張橋と呼ばれる構造で、2本の主塔は逆Y字の形をしていて約220メートルの高さがある。その2本が856メートル離れて垂直に天空に伸びている。地球が丸いため、その垂直に伸びた主塔の距離は、底部と頂部では4センチの差があるということだった。
 広がったセーヌ川河口近くを跨ぐその橋の橋桁は、優美な曲線を描いて空間を流れていた。昔、私が初めてパリにツアーで行った時に、30年以上この街にに暮らしているという日本男性の初老の現地ガイドが、エッフェル塔の下でこんなことを言ったのを覚えている。
「東京タワーはエッフェル塔より高さがあると自慢している人もいるかもしれなせんが、美しさという点では東京タワーはこの塔とは比べものになりませんから」
 なるほど、私もそう思った。そして、オンフルールのホテルの食堂からノルマンディー大橋を眺めながら、なんて美しい構造物なんだろうと嘆息しながら見入ったものだった。優美で品があって、夢に誘なってくれるような建築作品である。瀬戸内に幾つもあるどの長大な、そして長大なだけの大橋よりもはるかに美しいものだった。
 2回朝食を取った食堂は小さくて質素だったが、食事そのものは、パンもチーズも果物も、どれもとても美味しいものだった。何よりもシーズンオフで、私たち日本人以外にはほんの4、5人の客しかおらず、静かに落ち着いて食事をすることができた。モンサンミッシェルでのホテルとは大違いだった。

 ホテルの部屋はメゾネットタイプで、2階にある部屋の入り口から入ると、そこにはバスルームの先にツインのベッドが置かれており、横にある階段を上るとダブルベッドの置かれた屋根裏部屋があった。傾斜している天井低くには天窓があり、腰の高さから頭の高さまであり普通に外を覗くことができた。窓の向こう離れた場所には、アパートの立ち並ぶ閑静な住宅街が続いていた。
 沙羅と私は、もちろん、3階屋根裏部屋のダブルベッドに寝ることにした。夜、ベッドに横になり、いつものように寝入るまでの30分、あるいは1時間、あれこれいろいろなことを話しをした。

 そのホテルに泊まる2日目の夜は、オンフルールの港近くのレストラン・La Grenouille(蛙)で海鮮料理を食べた、ツアー客全員で。大きな器に盛られたその中には、生牡蠣が3つ、小エビが幾つか、手長海老が2尾、そして幾つものツブ貝などなどがあり、その他にスズキのタラゴンソース和え、そしてデザートは塩バターキャラメルソースを掛けた焼きリンゴが出された。
 本来のスケジュールでは、このオンフルール2日目の夜は各自がレストランで自由に食事をすることになっていた。沙羅は日本を出る前から「フランスで牡蠣を食べること」を楽しみにしていた。沙羅はそれまでに何度かフランスに来ていて、好んで生牡蠣を食べていた、パリやマルセイユやシュトラスブールで。ブルターニュは彼女にとっても初めての場所だったが、ここオンフルールで牡蠣を食べることを旅行前からとても楽しみにしていたのだった。
 しかし、嵐でベルイル島に渡れなかった・観光できなかったということでその「埋め合わせ」に、ツアー会社が急遽オンフルールで2日目の晩も夕食を提供するということになったのだった。

「きっとツアーの食事には生牡蠣は出ないと思う。牡蠣にあたったらたいへんだし、牡蠣が嫌いな人も少なくないし、牡蠣抜きのシーフードプレートなんだと思う」
 悲しそうな顔をした沙羅がそう繰り返すのを私は3日4日と見てきた。確かに、牡蠣で食中毒なんかを万が一にも出したら、旅行会社は後始末が大変である。出たとしても蒸し牡蠣か、それとも牡蠣フライか、そんなふうにフランス人も牡蠣を食べているとしたらの話しではあるけれども、そうした「安全な牡蠣」が出されることだろうと思っていた。
 しかし、La Grenouilleで私たちの前に出された大皿には、殻付きの生牡蠣がレモンを添えられて3個、載せられていたのだった。
 それを見た沙羅の顔がパッと歓びに輝いたのは言うまでもない。
 私が食べないので更に3個、沙羅の隣のツアー客の人も食べないというので2個、自分の分と合わせて計8個の牡蠣が、満面の笑みを浮かべた沙羅の喉の奥へと流れ落ちていった。
「うーん、やっぱりフランスの牡蠣って、美味しい!」
 目を細めて牡蠣を飲み込む沙羅を見ていて、

 ふと突然、私はあることに気づいたのである。
 私の身体の中、私の心の中に起きていた変化、それに気づいたのである。
 それは、自分が今、幸せであるという強烈な自覚、だった。


 夜、屋根裏部屋のホテルの寝室に戻って、ダブルベッドに入った。時々寝返りを打ったり、時々軽く抱きしめたり、時々沙羅の首元に顔を埋めたりしながら、眠りが優しい海の底まで私たちの意識を引きずりこんでゆくのをのんびりと待っていた。眠りに落ちてしまうまでの他愛ない言葉のやり取りが、いつものように、札幌でも東京でも毎回同じようにおこなわれているように、ここオンフルールでも続いていた。
 私は、少し前、『蛙』という名のレストランで牡蠣を飲み込む沙羅を眺めながら強烈な幸せを感じたという話しをした。
「ふーん」と沙羅は満ち足りた食事のあとの雰囲気のまま応えた。
 あの、「幸せ」という身体の中に生まれた強い感情はどこに消えてゆくのだろうか、と私は思った。
「太陽が1秒間に600万トンの質量を失っているという話は知ってる?」
「いつかクマがそう話していたわね」
 沙羅は私を「クマ」と呼ぶ。
 札幌に住んでいる北海道のクマである。
「そのうちの7割は、水素からヘリウムへの核融合によって生まれるエネルギー、つまり電磁波の放出が原因だとされていて、残りは太陽風によって物質そのものが宇宙へと飛び出していく。1秒間に600万トン、60キロの体重の人なら毎秒10万人ぶんが、電磁波となって物質からただのエネルギーへと変化している、つまりはある意味で消えている」
 沙羅は何も応えずに呼吸だけを続けている。だからといって話しを聴いていないわけではなく、子守唄のような私の話しを耳から受け流している。
「‥‥地球の内部でもウランやカリウムなんかの放射性同位体の核が崩壊し続けて熱を生み出している。これが地球が冷え込まない大きな原因になっていて、マントルが内部で冷え固まらず、大陸は移動し、熱水が海底でも陸地でも湧き続け、生物が進化する環境が守られ、人間が誕生し、今ではオンフルールでクマと沙羅がベッドでこうして抱き合っていることが可能となった」
「‥‥太陽は1秒間に600万トン失っている。地球は1年間に16トン、内部の放射性原子の核崩壊によって生まれるエネルギーによって質量を失っている。もっとも、毎年9万トン以上の水素が地球の重力から逃れて宇宙空間へと消えてゆき、それとは反対に毎年4万トンの宇宙の塵が、隕石を含めてね、地球の重力に引き寄せられて地上に降り注ぐから、差し引き毎年5万トンほど地球は軽くなってゆく」

「‥‥40億年後か50億年後には、太陽は水素を燃やし尽くして、重力は弱まるためにどんどん膨れ上がってくる。そして水星と金星は太陽に飲み込まれる。地球が飲み込まれるかどうかはわからない。太陽がどんどん軽くなってゆくため重力が弱まり、地球を引き込む力も弱まるから地球は太陽からもっと離れて公転するようになる。とはいえ、たとえ太陽に飲み込まれなかったとしても地球は熱地獄になり、地球上の水は全て蒸発して宇宙空間に消えてしまうだろう」

「‥‥不思議じゃないか、あと長く生きてたとしても20年かそこら、いや2年後には死んでいてもおかしくはないクマが、40億年後の太陽や地球がどうなるかを知っていて、それをあれこれ考えているなんて、そう思わないか?」

 

 応えがないので顔を向けると、沙羅は、65歳の沙羅は、子供のようなあどけない顔をしたまま寝入っていた。腰の高さまで落ちている天窓のから入ってくる街灯の光と天井にある常夜灯の弱い光の中に浮かび上がっている沙羅の顔は、無心に眠りの中を漂っていた。

 私は起き上がって階段を降り、トイレで用を足してから再びベッドに戻った。戻ったときには、いつもするように、自分の額や頰を寝ている沙羅の顔に軽く押し当てた。
 

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