カーネル・サンダースといえば?
フツーは人物どうこう言う前に、ケンタのロゴ、または、どういうわけかまた1985年の阪神のリーグ優勝時に道頓堀に放り込まれちゃったあの像という感じで思い浮かべる方がほとんどかと思います。
「カーネル・サンダースの呪い」というヤツ(笑)
それ以外で、カーネル・サンダースの人物像?となりますと、ご存知の方は結構稀な部類に入るのではないかと思います。
しかし、私なんかみたいに起業やら経営に関与する人間なんかからしたら、最初に浮かぶそのイメージは道頓堀の都市伝説ではなく、また違った意味での伝説が出てまいります。
ひと言で言えば
「伝説の失敗王」(笑)
ご存知の通り、彼はKFC、ケンタッキー・フライドチキンの創業者です。
今でこそ、フライドチキンといえばケンタ、ケンタといえばフライドチキンでアメリカ文化の象徴ともいえるような存在となっておりますが、最初の頃は今の姿からは想像も付かないようなスタートでした。
当時はもちろんフランチャイズなんてありません。ていうか、そもそも世界のフランチャイズの始まりがこのケンタッキー・フライドチキンだったりするのですから(笑)
商売にやり方は至って原始的なものでした。
なんと、カーネルおじさん直々にワゴン車にフライドチキンを積んで各地を回っていました。
営業エリアは、アメリカ全土、とてつもなく広いです。まして彼はカナダまで足を伸ばしていたそうです。
当時、網もへったくれもなかったフランチャイズをゼロから築き上げていきました。
ここまで聞けば、そう簡単に軌道に乗ると思う方はいないと思います。
そうです!
ここからが彼の武勇伝の始まりです。
彼は、最初のフランチャイズ加盟契約を勝ち取るまで、果たしてどのくらい手間を掛けているでしょうか?
なんと、カーネルサンダースは1009社からフランチャイズ契約を断られました。
つまり、1010社目にしてケンタッキーフランチャイズははじめて形になったわけです。
それ以降は順調に加盟店を増やし続け、8年後には400店までなりました。
それにしても、アメリカ、カナダにまたがって1000件以上も断られ続けた・・・
私たちの日常、仕事でもプライベートでも、断られるというのはとても辛い経験です。
この数は身近なところで言えば(?)「101回目のプロポーズ」のあの武田鉄也さんも目じゃない!
というか、武田鉄也さんも1,000回フラれたらさすがにどうなんでしょうね(笑)
だけど、どんなにつらい思いをしても、続けていればいつかそれは実を結ぶ!そんなお話です。
2回・3回断られても、世の中わからない。
また、99回断られたからといって、それが世の真理なのか?
そんなことを考えることもあまり意味がないということもわかります。
100回目にして大成功を収めてしまえば、99回に何があったかなんて誰も見向きもしません。
100回目の1回のチャンスを掴んだこと、それだけが賞賛されるんですから。世の中そんなもんです。
道頓堀に放り込まれちゃったあのおじさんは、私からしてみれば「伝説の失敗王」です(笑)1327