昨日は、準備が大切だなぁということと、
協力者が必要ということ、
自分の特性を生かすということなどを感じました。
ゆきわり草喫茶を無事に終えることができましたが、
予定どうりに行かなかったこと、
問題が発生したことなど、反省の多いものでした。
次回、節分の担当になっていますので、
担当者どうしでの話し合いを重視し、
利用者さんに楽しんでいただける企画にしたいです。
神様の愛
十一、 神様の愛の形態
(1) 真の父母の思想
私、李相軒は、地上から霊界に来ましたが、
真の御父母様の思想を接ぎ木させること以外には関心がありません。
なぜなら、真の御父母様の思想以外には、
もっと次元の高い思想がないということを悟ったからです。
(2) 愛がある人と愛がない人
愛とは、人間が生まれるとき、
神様から受けた一つの貴い要素です。
しかし、これが人間をして、
世の中に生まれながらにして
二人の主人に仕える要素として作用しているのは
残念な事実です。
これが、我々人間において、不幸の始まりです。
愛とは、肉体を通じた夫婦の愛だけをもって言うのではありません。
人間には、本来の性稟の中で、
生まれるときから持って出てきた高貴な贈り物(エキス)があります。
それが愛です。
ところで、人間は堕落によって、
愛の本体を失ってしまいました。
その結果、与えてくださった愛の上に、
新しくペイントをして新しく造った人造の愛に変わってしまいました。
愛とは、神様の性稟の中で最も重要な部分に位置しています。
このような神様の愛を、
我々人間は、分析することもできず、
掘り下げてみることもできません。
今、そのような神様の根本的な愛を、
この国、あの世に来て、見たとおりに記録しようと思います。
(3) 神様の愛
神様の愛は、描くことも、触ることも、
表現することもできません。
そして神様の愛は、我々の目で確認することもできません。
神様の愛は、我々人間としては、理解しにくいからです。
また神様の愛は、我々人間の頭脳で分析できないのです。
神様の愛は、我々に無限に与えても、減らず、
依然として全く同じです。
神様の愛は、
まるで蛇口をひねっておけば、水があふれ出てくるように、
休まず続けてわき出しているのです。
神様の愛は、我々人間が受けて、また受けても、
嫌がる者はなく、
受けて、また受けても腹いっぱいになった者はなく、
もっと空腹な者のようになり、
謙遜なります。
神様の愛は、かさや重さで測定することができませんが、
我々人間にたいして無限の快適な姿で変化しています。
神様の愛は、全世界(全人類)が受けて、
そのすべてを神様にお返しするとしても、
神様の愛のかさがもっと大きいのです。
では、神様が人間を愛されるその愛の尺度が、
どのように表現されるでしょうか。
神様は、目に見えも、触れることすらできません。
そして、限定的な物体でも、ある個体の塊でも明らかにありません。
ところで、人間は、神様の愛をどのように表現し、
何で悟るのでしょうか?
「李相軒を愛される神様」を分析しょうと思います。
そのとき「李相軒」と呼ばれた。
明らかに、私の耳に声が聞こえました。
まばゆく明かるい光が、私の前後に、
私の頭の上に放たれて照り返されます。
その光の中で、不明の光の筋が私の心をとらえるが、
それは表現することができません。
私の能力では到底、表現しうるすべがありません。
似たように表現するなら、
まるで母の胸にうずくまった赤ん坊が、
母の心臓の鼓動の音を聞きながら、
母の目と視線が合うときにもつ、
平穏感とでも言ったらよいでしょうか。
これは、到底比喩ができないことですが、
そのように言うしかありません。
また、呼ばれる音声の変化によって、
その美しい光彩も変わるが、
ただ全身が溶け出すような恍惚感です。
突然、瞬間的に、自分一人で立っています。
明らかに神様が見えないからです。
このように恍惚な光が、
どのように瞬間、瞬間、人間に訪ねてこられるか不思議なばかりです。
光として現れる神様の愛は、
刻一刻異なっていました。
大きな火、小さな火、丸々とした火、
まるで地上で見た花火の光景のように輝く、
燦爛とした光がいろいろな光彩になって、
人間に愛の光として現れますが、
その光を発する姿によって、
感じられてくる感性も異なっていました。
私が体験したこと以外に、
他の者たちに現れる神様の姿を見ましたが、
依然として神様は愛の本体であられました。
(4) 神様の姿は火であり光である
光が愛の姿であると、何で判断するのでしょうか。
神様の姿は、火であり光であるために、
神様の光を見れば、人間の心の中に、
愛の要素がそのまま作用します。
まるで、電気のスイッチを押せば明かりがつくように、
神様の光を見れば、愛が作動し、
人間の心の中は、愛の塊りで和するようになるのです。
(5) 祝福の関門を広げた理由
神様が、本来人間に願われる根本的なみ旨は、
愛で創造された当時の姿そのものになるということです。
しかし、人間の先祖の堕落で、
その後孫たちは、
初めから本性の愛をもって生まれることができませんでした。
二重構造をもった人間、
すなわち、二種類の指向性の心をもって生まれた人間なので、
出発から誤った人間の構造が、
神様の胸を痛めたのです。
それゆえ、復帰摂理(神様の子供に帰ってゆく道)
で言う人間の根っこから帰ってゆくことと、
神様の圏内から離れた二種類の指向性の心をもった人間の
問題を解決するためには、
再び生まれる重生の過程を経なければなりません。
そうして、原罪のない人間の姿で生まれてこそ、
本来神様が願われた愛の本体である本当の姿に似ることができ、
この国、あの世に来て、
神様の完全な愛を体験することができるのです。
それで、重生(神様から再び生まれる)の過程を経るには、
正に真の御父母様から生まれ変わらなければいけないのです。
これが祝福です。
最近、祝福の関門を大きく広げて、
大きな恵沢を下さる理由が、まさにここにあります。
彼らは理解できないとしても、
生まれ変わるという手続きを通じて、
恵沢を受ければ、この国では祝福を受けた民になるのです。
真の御父母様が生きているうちに、
多くの民たちに限りない特赦(特別な許し)の道を下さるのですが、
それを受ける者は天国人となり、
重生の過程を経た者となるのです。
そのように、理由なく、
地上の後孫と先祖が共に福を受ける期間であることを知るべきです。
(6) 愛は神様の最も大きな贈り物
愛は、人間が世の中に生まれるとき、
神様から受けた、神様の最も核心的な重要部分です。
人間は、それをそのまま相続すべきものでした。
しかし、それが誤ったことで、
神様との関係が切れたので、
これを回復するための方法は、
人間が神様に似なければなりません。
神様に似るための最も最善の方法は、
神様の子女として、愛の本然の姿に帰らなければならないのです。
愛、愛、愛、それはすべてに勝ち、
すべてを溶かし、すべてをなすことができる根本の力です。
愛だけが、人間が神様に受けた最も大きな贈り物であり、
子供であるという証です。
愛! 失った本然の愛を探すため、
苦労して努力しなければならないのです。
(一九九七年七月十四日)
参考文献 「霊界の実相と地上生活」
さぽちゃんの年末キャンペーンほこちら
今日のフラワーセラピーカード
ユーカリ Eucalyptus

両手を広げて受け入れる
OPEN YOUR ARMS TO RECEIVING
自分を開き、受け入れましょう。
受け入れることは、
力を生み出す授受作用が働くための基本です。
素直な気持ちで、
身の回りに起こる物事を、
すべては私の願いの実現に向かって必要なことなのだ、
というように感謝することです。
問題が起こったときには、
「ありがとう」(願いが叶う魔法の言葉)と言いましょう。
良い授受作用が働きます。
クラウドファウンデイング終了まで、あと8日となりました。
もう一歩のご支援を重ねてお願いいたします。