「あ~、もう何もしなくて
いいから!!」
スーパーに行き買い物をして
袋詰めをしていたら
こんな声が聞こえてきました。
イライラした声の方を見ると
高齢の女性とその娘さんかと思われる女性の姿。
その二人をチラッと目の片隅に
捉えた瞬間、
娘さんが、追い打ちをかけるようにこう言ったのです。
「邪魔だから!
邪魔なのよ!!」
母親と思われる高齢の女性は
購入した品物を袋に入れようと
していたのですが、
それを途中でどうしたらいいか
分からなくなってしまったようで
手が止まっていたのです。
それを見た娘さんが
お母さんの持っていた袋を取り上げて、その言葉を吐き捨てたのでした。
お母さまの方は、娘さんの言葉を
理解したのかしていないのかは
分かりませんが、黙ってそれを聞いていました。
話は変わりますが、
私の長男がまだ幼い頃、
私が台所に立っていると
「ボクにやらせて!ボクにもできる!」と言って、私の服を引っ張りながら、精いっぱいの背伸びをし、揚げ油の入った鍋に唐揚げ用の鶏肉を自分で油の中に入れたがっていたのです。
それが危なすぎて
「あ~いいから
向こういって遊んでて!」
と叫んだことがあります。
でも、そう叫んだあと、私の中の過去の記憶が蘇ったのです。
自分が子どもの頃に
同じような事を母親にして
「いいから向こう行きなさい!!」
と叫ばれたことを。
多分、私も幼い頃「やりたいやりたい!」と母の足元をうろつく子どもだったのだろうと思うのです。相当めんどくさい子だったろうと推測します。
そのたびに「あっちいけ!」と邪険にされ続けたのでしょう。
そして、私もそのうちに、何も言わない、何も表現しない子どもに成長しました。
お母さんの思う「邪魔をしない子ども」になったのです。
この時の母から「あっちいけ」と言われた時の心の衝撃が
ずっと、心の片隅のあって、自分の中では「お母さんのお手伝いをしてお母さんに喜ばれたい」と思ってやったはずのことが、実はお母さんにとっては邪魔でしかなかった、という残念な結果に落ち込み、
さらに、これが「私は何もしないほうがいいんですね」という思い込みを作り出し、自分の人生の中で長いこと、この思い込みを引きずって生きることになっていたとは気づきもせずにいたのでした。
話を戻しますが、スーパーで出会った高齢の母親と娘さん。
お母様はきっと、娘さんが子どもの頃、お手伝いしようとした娘に対して「あっちに行ってなさい!」「邪魔なのよ!」と言っていたのかもしれないな~と思うのです。
自分の放った言葉のエネルギーは
どこかで必ず、自分自身に戻ってくることになる。
過去に「邪魔だからあっちに行ってて!」と言ったその言葉が
自分が高齢になって、今までできたことができなくなってきたときに、
自分に降り注がれる言葉となって返ってくる。
「もう!何もしないでいいから!邪魔だから!」と叫んでいる娘さんの心の中には、自分が子どもの頃に、きっと言われたであろう心の傷みたいなものがあって、お母さんのまごまごしている姿を見ると、その傷が疼いて、つい、相手を傷つけるようなことを言ってしまうのです。
そんな二人にスーパーで出会って、それを見させられている私の中にもその傷はあって、その二人のやり取りを眺めながら、心の奥がチクッっと疼くのです。
こうして、パターンは繰り返されるのです。
どこかでそのパターンを終わらせると決めるまで。
私は、私の中のソレを
私の代で終わらすことができたのだろうか。
私がもっと高齢になって、できることが少なくなってきたとき
私は長男から、「邪魔なんだよ」という言葉を言わせないであげることができているのだろうか。
その前に、私の母親が、今よりもできることが少なくなってきたときに、昔、私が母から言われてきた言葉をお返しすることなく、優しい言葉を選べる自分になれているのだろうか。
私が、私自身の世界を愛で満たすことができていたら、きっと世界は優しくなっていくのだと思います。
そんな世界を理想としているけど、まだまだ修行中なんだな~と思うことばかりです。
おなじ事を繰り返しているな~
という方はこれ。