折りたたみ傘をみると
思い出すことがあります。
まだ私が小学生の頃のこと。
小学2、3年生くらいだったと思うんだけど
朝、雨が降りそうな曇り空の日、
母が私に「折りたたみ傘を持って行きなさい」
と言いました。
その日は、母の予言通り(笑)
雨が降ってきて、私は持っていった折りたたみ傘を
さして学校から帰ってきました。
そんな私をみて母はこう言ったんです。
「ほら見なさい。ママの言ったとおりでしょ?
ママの言うことをちゃんと聞いていれば間違いないのよ」
「ママの言うことを聞いていれば間違いない。
ママの言うことを聞いていれば間違いない。
ママの言うことを聞いていれば間違いない。」
私は、頭の中でこの母の言葉を
なんどもなんども繰り返したことを思い出すのです。
自分にそう言い聞かせたかったのだろうか。
「ママの言うことに従っていれば間違いないのだ」と。
そう思い込ませようとしていたのだろうか。
幼い私は、めっちゃ素直なお子様で
本当に、言われたことをそのま~んま
実行する子だったと思います。
いや、本当は心の中では抵抗してたけど
それを外側に微塵も見せない技を習得し
母にとっての「扱い易い子」になることに命をかけていました。
そのころ、母が他のママさんと話している時に
「この子は、社交的だし何の心配もないの」
って言ってたのを
ものすごい違和感とともに聞いてたのも
よく思い出します。
「この人、私のことなんにもわかってないんだな」って。
冷めた気持ちでこの言葉を聞いてました。
この時多分、小学3年生くらいです。
めっちゃ冷め切った感情の持ち主だったことを
ものがったってます(笑)
少なくとも、この時の私は社交的な子ではありませんでした。
クラスでも1、2を争う「影の薄い子」でした。
でも、そんな学校でのことは母に話すことは一切なかったので
母は「学校でもうまくやってる」=「社交的」と思ったのかもしれません。
でも、心の中は母に見せることなく
本当に母の思惑通りに
何の問題もない、何の心配もないお姉ちゃん
として成長していきました。
高校も、私立はどうせ行かないんだから
滑り止めなしでランク下げて公立の行けるところのみ。
大学は「行かなくていい」と言われたから行かない。
就職も、何に興味あるか、なども考えず
学校から勧められたところを受ける。
自分が何か好きなのか、何をしたいのか
全然分からなかったから
言われたとおりに人生を進めていく。
そんな感じで生きていました。
こんな私だから思春期特有の「反抗期」も
なかったかなって思います。
そんな私に遅い反抗期がやってきたのは
18歳。
ここから父や母がやってほしくないことばかり
やる人生になぜかなってしまいました(笑)
↑これについてはまた機会があれば
自分が2人の子どもを育てて感じたのは
子どもってなんでも自分でやってみたい!って思う生き物。
やりたいことだらけなんですよね~
そんな子供時代に
「やりたい!」を幼い頃から聞いてもらえず
言いなりにならないといけないと思い込んでしまうと
自分で考える、という思考回路を奪われていますので
自分が何をしたいのか、どういうことが好きなのか、も
ほんとに分かんなくなっちゃうのです。
これが大人になってからも
何だかわからないけどやる気が出ない、とか
何となく生きにくい、とか
特にこれという理由もなく倦怠感があるような
そんな慢性的な状態を
創り出してしまうこともあるのです。
そんなかたにはインナーチャイルドセラピー