子どもって、
本来、自分のやりたいようにやり
ワガママ(我まま、自分のままね)で生きてる。
でも、親の支配が入ったり
我である自分にダメ出しをされたりすると
自分のままでいることが
いけないことと思ってしまう。
今流行りの言葉でいうと
「ありのままの姿」
これを見せることはいけないこと。
そう思い込んでしまうのだ。
子どもってエネルギーに溢れているから
体で表現するし、笑ったり泣いたり怒ったりするもの。
でも、これを「いけないこと」という思い込みができてしまうと
感情の表現ができなくなってしまう。
特に、泣いたり怒ったり、という感情を抑圧し続けると
「諦める」が先に出てしまい
怒りを感じる前に「諦める」
涙が出る前に「諦める」
そして、自分の感情を麻痺させていく。
先日、いらしたクライアントさまは
「自分は冷たい人間だと思う」とおっしゃいました。
優しい気持ちが湧いてこない。
自分はすごく冷たい人間なんだと。
でも、電車の中では
自分が具合が悪くても席を譲るのが当たり前だ、というし
自分が疲れてて動けなくても
なんとか家族のためにオカズはつくる、という。
あなたは冷たいんじゃない。
冷たいどころが愛が深すぎる。
愛が深すぎて
人の気持ちを感じ過ぎるがあまりに
心が傷ついてしまうのが怖くて
感情を閉じたのです。
感情を麻痺させることは
自分をこれ以上傷つかせないようにするために
必要なことだったから。
小さなころから
周りの家族の感情を受け止めては
自分のチカラではどうにもできない、と諦め
従うことをしてきたから
それが自分にできる
親を愛する形と思っていたんだよね。
その深い愛を
今度は閉じ込めた自分を助けるために
使うことができたら
傷ついた自分の心に
一緒に寄り添ってあげることに
使うことができたら
その閉じたドアを開けることを
許してくれるかもしれない。
そこから出ることは
感じたくなかった感情を感じることを許す、ということだから
怖いんだよね。
でも、それを感じることを決意して
前を向いた人たちの姿は
なんかほんとに
神々しくみえる。
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