前回の続き。
時間にして、午後15時頃、
遂に、口火を切った。
本題へすぐ入り、
うろ覚えだけど、
こんな感じのことを伝えた。
私、ずっと長いこと、
思ってたことあんねん。
もう、それを言わなあかんなと、
この度、思ってな。
聞きたくないやろうけど、
ちゃんと聞いてな。
私らな、結婚してからずっと、
やるせえへんで、噛み合わんよな。
もっかい、ちゃんと言うけど、
私な、本当に必要ないねん、
生涯、必要ないねんな。
何回も言うてきたけど、
伝わってないなって思って。
そんなことないって、
女も男と一緒やと、
男目線で見てるか知らんけど、
さおりみたいな人間も、
この世には存在すんねん。
男女関係なく、
その行為そのものが大好きな人、
沢山、いてはると思うよ、
それが、普通なのかもしれん、
でも、したくない人もおる。
(2021年の晩秋くらいに、
目にしたネット記事が、ふと浮かび)
ほんでな、
夫婦や言うても、
皆がみな、好きで応じてる、
奥さんばかりじゃないねんな。
そこに苦しんでいる人、
いっぱいおるのよ。
断ったら機嫌が悪くなる、
どなり散らされる、
物に当たる、暴力振るわれる、
無理やりやられる。
ほんで、
食わしてやってるのは俺だと、
お金の権力でねじ伏せる。
力も違うし、
抵抗する気力も失せて、
心が死んでいくの。
これって、
陽の当たることのない、
女性の悲しみの声やなって。
奥さんだから、
婚姻関係にあるから、
当たり前のように扱われ、
合意のもとみたいな、
暗黙の了解の空気が、
この社会にあると思うねんな。
プライベートと言えば、
聞こえがいいけど、
他人が踏み入りにくい、
家庭という密室の夫婦関係、
陽の当たらない地下に埋まり、
そこに陽を当てることはタブーみたいな、
空気がある。
法に触れることでもないし、
人知れず、ひっそり静かに、
家庭で、普通に起こってんの。
勿論、
この世の全ての夫婦が、
そうじゃなく、一部かもしれんけど、
隠れた部分だけに、
さおり的には、結構いてはると、
感覚的に感じんねん。
少し前、そんな話を読んでな、
自分も同じだと、
各々の実情や想いを訴えた、
コメントの数もすごく多くて、
そんな悩みを抱えている奥さん、
この世の中、結構、おるんやで。
単なるレスの話題は、
これまでもあっただろうけど、
夫婦間の性の奴隷のような、
そういう話題って耳にすること、
なかったから。
恥ずかしいことだからと、
タブー的案件で口をつぐんで、
今まで、口にする人は少なかったけど、
これからの時代は、
こういう声をあげていく人、
増えていくと思うねん。
さおりも一緒やなって思ったし、
これを変えたいとも思ったから、
私も、勇気出して、
こうやって声に出した。
(私的には、
こういう夫婦の性の不一致は、
反転する大変革の時代を担っている人の、
世の中のエネルギーを変えていく、
重要な役割だと感じている。
そこに導かれ向き合えるようになると、
自然と社会変革の一助になる、
という風に、個人的に捉えている)
ほんでな。
りゅうちゃんが嫌いだから、
この話をしてるんじゃなくて、
今まで伝わり切らへんかった、
私の想いを、真剣に伝えたくて、
話してんねんな。
・・・
長い年月をかけて、
いろんなことがあって、
それを超えてきて、
穏やかな夫婦関係を築けるようになって。
でも、5~6年前位から、
段々、違和感を感じだして、
噛み合わんようになってたやん。
で、(2019年の)
お母さんの危篤の時や、
葬儀の時のこととか、
(旦那さまの本質をみたこと)
あの時のことで、
自立したい!って、
さおり、目が覚めてん、、
そしたら、色々変化していって、
ゼロに還って、
これまでの自分がオールリセットされて。
その結果、
りゅうちゃんの良いとこ悪いとこ、
全部、受け容れられるようになった。
良いこと悪いとこ、
お互いあって当たり前だし、
それは、お互い様だから。
でも、たった一つ、
変わらんかったのが、
さおりの性の在り方やねん。
そこを除いたら、
普通に、夫婦として、
過ごせるのになって。
最後の最後、
とどのつまりに至ると、
唯一、お互い、
相容れない部分が、
この、やるやらんの部分やん。
たった、それだけのことなのに、
努力して頑張っても、
どうにもならん部分。
生理的欲求の本能的な部分。
りゅうちゃんにも、
したくないさおりに合わせて、
我慢させてきたと思ってんねんな。
人の3大欲求なのに、
ご飯食べるな寝るなって、
言ってるようなもんで、
申し訳ないなって思ってきた。
さおりが、
そこに何の抵抗もなかったら、
不快にさせることも、
なかったのになって。
さおりもさおりなりに、
何とか、自分に折り合いをつけて、
しょうがないと思って、
ずっと我慢してきた。
その我慢って、性格とかなら、
考え方とか工夫すれば、
どうにかなることも多いし、
そうやって、私ら、長年を掛けて、
互いの違いを認め合えるように、
やっと、なれたのに。
でも、このするしないの部分になると、
どっちかに、苦を強いることに、
なってるやんか。
究極、2人を突き詰めていくと、
問題は、性格云々のことじゃなくて、
この性の部分、結局、ここやんって。
我慢は我慢でも、
人の本能の根本の部分やから、
この我慢は、キツイと思うねん。
どっちかが自分の意見を通すと、
どっちかが自分を押し殺して、
生きることになる。
それって、
私はおかしいと思うし、
健康的じゃないし。
でな、
こんなキツイ話してるけど。
さおりは、
りゅうちゃんには心から感謝してて、
さおりのためにって、
いつも頑張ってくれて、
本当に本当に、ありがとうって思ってる。
だからこそ、思うねん。
残りの人生、
りゅうちゃんの想いに合う人と、
出逢うかもしれんし、、
思い通りにいかない性関係で、
ストレスを抱えるより、
互いの想いの一致する人と、
人生を送った方が、
心も身体も豊かな時間を送れるなって。
その時間を奪ったら、
あかんって思ったし、
私も、自分の心を騙して生きる時間も、
もう、やめにしたいし。
きついこと言うけど、
働いて養っている見返りとして、
そこを求められるんやったら、
もう養いはいらないって、
別の人生しかないなって思った。
お互いが、ここまで、
譲り合えないとこまで来てるから、
離婚して別々の人生を生きた方が、
お互いのためじゃないかな。
そしてな、
男としてりゅうちゃんが、
ダメなんじゃなく、
男の人全て、肉体関係が無理だから、
(女の人も無理だけどな)
生涯、いらんし、
想像しただけで、悪寒がして病むわ。
私、そういう人間やねん。
だから、
浮気してんちゃうか?とか、
そこだけ勘違いせんといてよ。
今、話したことは、
ずっと心に想ってきたことだから、
離婚は、口先のネタじゃなくて、
本気だからね。
わたしの想いは、
今、言った通りだから、
伝えたことを念頭に、
りゅうちゃんも、
自分の望む人生、しっかり感じて、
自分の本音の答えを出して、
決まったら言うてな。
文字にすると、
めちゃ長いけど、
こんな感じのことを伝えた。
旦那さまは、
怒りとうろたえの、
何とも言えない表情をしてて、
言葉少なに、自分の想いを言ってくれ、
考えると答えてくれた。
私は伝えたら、
ずっと、抱えてきた、
重荷を下ろしたみたいな感覚で、
すごく、スッキリした。
私は、伝えきった。
あとは、旦那さまが決めたらいいと。
離婚なら離婚でいいし、
結婚生活継続なら継続でいい。
ただ、継続の場合は、
旦那さまの執着の部分だから、
いずれ、そこに向き合わされるだろうし、
もう、それは彼自身の問題で、
私の問題じゃないなって。
・・と、
こんなことがあった、
2022年の1月1日。
あれから、
もう2年弱の月日が流れた今、
こうやって書きながら振り返ると。
あの日の宣言はというか宣言も、
人生の流れに重要ポイントで、
必要だから起こったことだと、
その後の流れをみると、納得で。
さっき、星を見てみたみたら、
行動の星の火星くんが、
いい仕事をしてる日だった。
火星は射手座にいて、
サビアンは射手座13度、
「明るみに出る未亡人の過去」
未解決の問題が表面化、
長い間、気付いていたけど、
目を背けていた問題に、
光を当てる時がやって来た、
というようなサビアンだそうで。
そのまんまやん、
いつも感心する。
火星は、
動かしてくれるエネルギーを、
注力してくれるので、
そのまま、動かされた感じなのかと。
この元旦の太陽も、
IC付近にほぼ合で寄り添い、
まるで、陽の当らない、
プライベート空間に、
陽の光を当ててくれてるような配置。
太陽サビアンは、
山羊座11度、
「キジの大きな群れ」
排他的な、
誰でも入れるわけではない、
少数のクローズドな限定された共同体。
一般立ち入り禁止的な純粋培養集団、
とか書いてあって、
なんか、わかる気がする。
私が護りたいものは、
墓場まで持っていくと決めた、
私の中の彼のスペース「聖域」で、
そこは、旦那さまとはいえ、
指一本触れさせたくない域。
私にとって、身体の関係は、
心の生を失わせ蝕んんでいくから、
その聖域を冒涜する行為で、
心で泣きながら護っているような、
そんな感覚だった。
あの日は、
「聖域」を護るのか、
「身体=命の養い」を護るのか、
長年、うやむやにしていた問題に、
お前にとって大事なものは何か?と、
問われた日だと思う。
私は、私の中にある、
純粋な愛を護りたい、
それだけなんだよね。
そして、
2022年しょっぱなの初投稿に、
こんなことを書いていた。
結構な抜粋。
今年は、特に、
あー!これーってのは無く、
けど、じわじわ、
何気にツボったのがこれ。
あまりにシンプルすぎて、
そこがツボりポイント。
で、なんでツボるのかな?と、
作品説明を読むと。
元と書いて「はじめ」。
なぬ、、
そして、
「神聖な場所を示す結界」
わかる!それ、私の今年のテーマ。
そう在る私へ、
「はじめ」の年だと思ってるから。
源(元)のわたしのまま。
その意識で在れると、
存在表現そのものが、
自ずと無限なる護りとなり、
神聖な透明な結界を纏える。
2022年は、
そこへの意識だけを合わせ、
自然の流れに任せて委ねていきたい。
毎年、鑑賞する、
お正月生け花からも、
あの日の私の心からくる行動と、
星の動きとも一致していて、
本当に、すごいなーと。
私は、引きで鑑賞して、
説明書きは小さいので見えないから、
これ!と選んで読みに行ったら、
自分の想いとシンクロするのを、
選んでんだよな、不思議と。
新年元旦の元(はじめ)の日、
神聖な結界を示し、
あの日の私は、
宇宙に、所信表明演説したかのよう。
それはきっと、神聖なもの、
内なる神に帰依する、
言葉による、こと始めなのだろうな。
だから、元旦の微睡で、
1月1日の今日、今この日に、
想いを伝えることと感じたんだ。
今日は、ここでお終い。
☺︎