彩龍と極鳳凰 アフターストーリー④ソラの共演 | 魂の約束を生きて新しい調和の地球へ☆レインボーアーティスト たみのともみ

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表現を通して他人軸から魂軸へ変容促し
魂からの圧倒的喜び溢れる人生に✨
波動共鳴映画「アイノオト」監督
「ありえない」方法での映画、舞台創造
見えない世界を表現する絵画
全国一万人以上にアート提供
著書2万部

レインボーアーティストたみのともみです🌈







アフターストーリーつづき







今回

北野クラブsolaさんの天空の教会で

開催させていただいたのだけど

本当にこの場所でないといけなかったと思う。









この場所だったからこそ

わたしが鳳凰を通して表現したかったこと

伝えたかったことが表現できたんだと思う。







今回

たくさんの表現者さんたちに

協力してもらって








まるでミュージカルのような

パフォーマンス型の展示になったのだけど

はじめからそんな風にしようと

決めていた訳ではなかった。







ましてや

会場が見つかっていた訳ではなかった。






鳳凰を設置するのは

地上から高い場所

後ろがガラス張りで空が見える

洞窟

教会








というキーワードと

イメージだけは浮かんでいた。







そして

ガラス張りのところに置く前提で

鳳凰の作品を作ってきた。







作品の一部に

アクリル板を使用して

ステンドグラスのように

光を取り込むイメージで。




そんな場所あるのか?!

と思っていたけど

あった笑笑






しかも

すべてのキーワードを満たす

完璧すぎる場所。







さらに驚いたのは

会場のガラス張りの壁に

ロールスクリーンがついていたこと!






これは

下見に行ってはじめて知ったの。






これがあったから

まさに

「闇に光が差していく」

という表現ができた。







暗い中でみる極鳳凰

光の中でみる極鳳凰

面白いぐらいに印象がかわる。

見え方がかわる。







このロールスクリーンのおかげで

どちらをも観てもらうことができた。








闇というのは

醜いものや悪なのではなく

単にこれまで否定していた一部

光を当ててこなかった側面なのだと思う。








闇と思っていたものが

実は光でもあり

解釈の(見る)角度を変えれば

見え方(姿)が変わることを

表現したかった。







そしてさらに

当日は想定外の演出が加わった。









青空から始まり

1回目の公演後

外を見ると彩雲が。






そしてなんと

UFOとおぼしき光も!

(お客様からお写真いただきました)






2回目の公演では一転

曇空からの雨。


そして次第に

激しい打ちつけるような雨へと変わり

3回目公演では

雨音がBGMとなりスタート。






ザーザーという雨音と

ときおり雷も鳴り響き

まさに陰の極み。






そしてね

これも偶然なんだけど

この日の14:22が

ちょうど満月になる時刻。






それはちょうど

3回目公演のパフォーマンスが

終了するくらいのタイミング。






そして

満月の時刻。

ちょうどトークも終わりのタイミングで

振り返って外を見てみたら…




あんなに激しかった雨があがり

雲が左右に分かれるように

青空が…‼️‼️






写真には撮れなかったんだけど

まるで龍と鳳凰が

並んで空を飛んでるような雲も。







まさに

いろんな極鳳凰の姿を

空も一緒に共演して

わたしたちに観せてくれたようだった。







空も一緒に

光から闇を受けいれ

そして闇が光とひとつになる

というのを表現してくれたみたいだった。





そしてね実は

南フランスの旅の中で

今回の作品の重要なヒントとなった

聖サラ像があるサントマリードラメールの

教会の屋根に登ったときに





この彩雲が現れたの。




日本に帰国して

鳳凰制作に苦しんでいたとき

この彩雲を見たことを思い出した。






そして

「あれがサインだったのかもしれない」って

ハッとした。






そして

この場所にいた聖サラが

鳳凰の重要なヒントだったことに

気づいたの。






しかも

十字架みたいだよね。

いま気づいたけど笑



そしてさ

終わってから気づいたけど

会場のsolaって


sala(サラ)と一文字違いやん😳









ほんとにね

直感と本音に従ったらどうなるのか

人体実験を繰り返してきて思うのは







アタマをとびこえたところで

魂で

わたしたちはちゃんと知ってる。






どこに行けばいいのか。

何が待っているのか。






魂がしめす羅針盤に従っていけば

すべてが繋がっていく。






道がないように見えても

一歩踏み出した足の下に

道が現れていく。







だけどそれは

アタマでは全く意味不明だったり

何の保証もないような道だから

超怖かったりするけどね😂







だけど

丁寧に注意深くみていけば

そこにはちゃんと

サインが散りばめられている。







そして

サインを辿っていった先には

すべてが繋がる瞬間が待っている。










自分の魂の羅針盤に従っていくことが

やっぱり最幸の未来に繋がってるって

体験してしまったら

もうアタマの羅針盤は使えない。






アタマでは

決してたどりつくことのない場所に

魂の羅針盤は導いてくれるんだから。






そう思うと

自分の魂の指し示す方向に

進まない方が

いまはよっぽど怖いことに感じるよ。