彩龍と極鳳凰 アフターストーリー②極鳳凰に隠されていた「性」 | 魂の約束を生きて新しい調和の地球へ☆レインボーアーティスト たみのともみ

魂の約束を生きて新しい調和の地球へ☆レインボーアーティスト たみのともみ

表現を通して他人軸から魂軸へ変容促し
魂からの圧倒的喜び溢れる人生に✨
波動共鳴映画「アイノオト」監督
「ありえない」方法での映画、舞台創造
見えない世界を表現する絵画
全国一万人以上にアート提供
著書2万部

レインボーアーティストたみのともみです🌈








極鳳凰が完成して

ホッとしたのと同時に

これを人にみせるのか…と

なんとも言えない怖さがあった。






それは

自分自身の闇を

みんなに観てもらうことでもあったから。





実は

極鳳凰の胸の部分は

女性器の形を型取っていた。




極鳳凰の一部を透明にして

胸のところをくり抜くことに決めたとき

その形は普通に丸とか

もしくは六芒星の型にしようと思ってた。








最初は

極鳳凰の頭が一番重要だと思っていたの。







だけど

胸だ、と思った。

この部分をどんな型にくり抜くかで

この作品が決まると思った。








そして

この作品の鍵は「リアル」だと

気づいたときに






くり抜く形は

これしかないと思った。







ヴェシカパイシス。

女性器でもあり

第三の目でもあり

神聖幾何学の最初の形。


精子と卵子が結合し

最初の細胞分裂の型でもある。






まさに生命が誕生し

育まれる場所。






実は

極鳳凰は「性」の表現を

あらわしてもいた。


わかるかな

実は2人の男女の間を通り

ヴェシカパイシスへと向かっていく

黒い線は精子でもある。





わたしたちは

性の本質を

どれだけ理解して生きてきたんだろう?






性は卑しいもの汚らわしいもの

欲望の象徴として

いけないこととして扱われてきた。






そして

沢山の人が

沢山の傷を受けてきたんじゃないか。

沢山の悲しみを溜めてきた場所なんじゃないか。








だけど

間違いなくわたしたちは

そこから生まれた存在だ。







性が穢らわしいものであるなら

わたしたちも穢らわしい存在だ。







性は聖

本当は人間の行為の中で

もっとも神聖で

美しいものでもあるんじゃないか。








もっとも

神の領域に近づく瞬間ではないのか。







だけど

わたし自身も性についての傷があった。

嫌悪感もあった。







癒してきたはずだったけれど

それでもこれを描くときに

吐き気を催すような感覚になった。






そして

深い悲しみも感じた。







それはわたし個人のというより

これまで繰り返されてきた

性に関する

沢山の人たちの悲しみや傷だったように思う。








だけどね

この型にくり抜いた瞬間に

この大きな闇が

光になった気がしたの。







「道徳」って

人としての倫理を教える教科だよね。







老子が説いた道徳。

実は

道=男性器

徳=女性器

という意味があり







実は老子は

性の重要性についてを

隠れた本当のメッセージとして込めて

人々に伝えていたんだそう。








いままでわたしたちが否定し

闇となっていたものの

本当の姿にいまようやく

光が当たってきているんだと思う。







作品というのは

その作者が丸裸に

魂までもが現れてしまうものでもあり






作品をみせるのが怖かったのは

みんなの前で

自分の陰部をさらすことでもあったから。







前日の夜の極鳳凰と彩龍。

昼間とはまた違った輝きだった。







すごく楽しみなんだけど

ものすごく怖い。







そんな感覚で当日を迎えたのでした。