最近、ふと立ち止まって考えることがあります。
「教育って、なんだろう?」って。

人とのつながりが薄くなってきて、学習もどんどん効率化されていく今。
テストの点数や成果ばかりが目に見えるけれど、
その奥にある“本質”を、ちゃんと見つめているだろうか──そんな問いが、私の中に芽生えています。

数学の公式、ただ覚えるだけじゃもったいない

ある日の授業で、三角形の面積の公式を教えていたときのこと。
「底辺×高さ÷2」っていう、あの公式です。

すると、ある子が「なんで÷2するの?」って聞いてきました。
私は黒板に長方形を描いて、その中に三角形を重ねてみせました。
「ほら、長方形の半分になってるでしょ?」って。

その瞬間、その子の目がキラッと光ったんです。
“覚える”から“わかる”へ──その変化が、私にはとても嬉しくて。
こういう瞬間こそが、教育の本質なんじゃないかなって思うのです。

喧嘩も、実は大事な学びのひとつ

人との関わりも、同じように大切。
「喧嘩しないでね」「仲良くしようね」って言いたくなるけれど、
実は喧嘩って、すごく意味のあることだと思うんです。

ある日、休み時間に口論になった二人の子がいました。
「先生、○○くんがひどいこと言った!」
「だって、△△ちゃんが先に…!」
それぞれの言い分を聞いていくと、どちらもちゃんと自分の気持ちを言葉にしていた。

まだ未熟な言葉かもしれないけれど、
「自分の思いを伝えたい」っていう気持ちがあるからこそ、ぶつかるんですよね。

摩擦を避けることが“平和”じゃない。
摩擦があるからこそ、相手の存在を感じるし、自分の立ち位置も見えてくる。
喧嘩も、ちゃんと向き合えば“学び”になる。
先生として、そこを見逃さずに関わっていきたいなって思っています。

教育って、“根っこ”を育てること

教育の本質って、知識を詰め込むことじゃなくて、
人としての“根っこ”を育てることなんじゃないかな。

問いを持つ力。
摩擦を受け止める力。
他者と共に生きる力。

それって、教室の中だけじゃ育たない。
家庭や地域、命のつながりの中で、少しずつ育まれていくものだと思うんです。

「何を教えたか」よりも、「どんな人として育ったか」。
それが、私が大切にしたい教育のかたちです。