義父さんの容態 | 夫はアメリカ海軍!~ミリタリー妻の日々~

夫はアメリカ海軍!~ミリタリー妻の日々~

私(日本人) 専業主婦
夫(アメリカ人)アメリカ海軍
娘:9歳
息子:4歳
アメリカ人の海軍夫と娘と息子4人暮らしの日々の生活を書いてます。

昨日のブログの続きです。



昨日ミシシッピの夫の実家に行ったあとに、義父さんが入院しているリハビリ施設(介護が必要な人が入院している施設)にお見舞いに行くことに。


その前に義母さんから入院してることは聞いてたんですが、義母さんの話によると尿路感染症で入院していたけど、尿路感染症の症状はよくなり、退院してリハビリ施設に今は入院しているとのこと。

食欲が全くなく、しっかり自分で食事が取れるようになるまではこのリハビリセンターに入院しなきゃいけないと聞いていました。


…が、昨日詳しく義姉さんに話を聞いてみると思ったよりも症状が深刻でした。

命の危険性は今のところはありませんが、私達が想像していたより症状が悪くてショックでした。



義姉さんによると、ことの発端はソファーから落ちたこと。

夫の実家では今現在義父、義母、義姉、義妹(夫の双子の妹)が一緒に暮らしています。以前までは義姉の娘(17歳)も一緒に暮らしていましたが、今は家から2時間くらい離れたところの学校の寮に住んでいます。


義姉さんは朝から夕方まで仕事をしていて、義母さんと義妹は夜勤の仕事なので二人とも朝帰宅します。

義妹は仕事をかけもちしてるので昼間も仕事のことがあり、忙しいのであまり家にいません。

義姉さんは土日祝日は休みですが、義母さん、義妹は土日祝は出勤です。


義父さんは若い頃はミリタリーでしたが、退職後は大型トラックのドライバーで、常にいろんな州を渡って運転し続けていたのでほぼ家に帰ってくることはありませんでした。

…が、だんだん年齢とともにこのトラックの長距離運転が体にかなり負担がかかったようで膝をやられてしまい、約3年前に一旦長期休暇を取ることになり、病院にも通っていたのですが、そこから症状は回復せず結局仕事を辞めることになりました。


義父さんは乗り物好きでトラックをこよなく愛していたのでこの仕事を続けられないことに当時はかなりショックを受けていて、それから引きこもることになりました…。

もともとドライブや車関係以外に趣味がなく、膝も痛いので外出も億劫だったということもあり、引きこもるしかなかったようです。。。


というわけで3年間ずっとひきこもりっぱなしガーン

たまに短距離で家族の誰かの送迎に行ったりとか、病院に行くくらいで外を歩いたり買い物に行くことはありませんでした。

おまけにこの3年間なぜかベッドで寝ることなくソファーの上でいつも寝ていた義父さん。


義父さんの行動範囲はキッチン、ソファー、トイレバスのみ。義母さん、義妹が朝仕事から帰宅して寝るので家の窓やカーテンは常に閉め切った状態でとにかく家の中が暗く、義父さんは日の光を浴びることもなし。



義妹は忙しくて家にいる時間が短いとしても、義母さんと義姉さんは入れ違いで家にはいるので誰かしら家にはいる状況でしたが、義姉さんは夜には寝る生活で、義母さんは逆に夜勤なので朝から夕方まで寝ているので誰かしら家にいてもほぼ皆家で寝ているという状況だったようです。


なので義父さんの状況に気づくのが遅くなってしまったようです。


ソファから落ちる三日前くらいから義父さんがキッチンとかにも行こうとせず、いつにも増して全く動かなくなったので、義姉さんは気にして声かけてたらしいんですが、「大丈夫」って言ってたのでまぁ本人が大丈夫というなら大丈夫かな?と自分も仕事があるし、無理矢理病院に連れて行くことはせず。

その翌日も体調が悪いなら病院連れて行こうか?と声をかけたらしいんですがやはり「大丈夫」と言われ。。。

義母、義姉、義妹は義父の様子は気にしてはいましたが

、本人が病院に行きたがらないし自分達は仕事も忙しいので声かけはしつつも病院には連れて行かず。。。


その翌日に事件発生。

義父さんはソファの上でずーっと生活していたのでソファがかなり傷んでしまい、ソファが壊れて落ちてしまったらしく…。

そっからまさかの自力で立てず。。。。

三日間ずっとソファにいたせいであざ(褥瘡)もでき顔の半分もまさかの褥瘡。

義姉さんは朝の出勤時間で、義母さんはちょうど仕事から帰宅したところだったので二人で抱えて車に乗せて病院に連れて行こうとしたけど、痩せてるとはいえ自分より背が高い全身の力を抜いた状態の男性を抱えるのはかなり大変です…。

おまけに義姉さんも義母さんも体重が100キロ以上あるのに力が私よりもなくて、いつも瓶の蓋とかも私に開けてって頼んできたりするくらいなので義父さんを持ち上げることが出来ず汗


結局救急車を呼んだらしいのですが、救急隊員が女性で担架もなくこの方も持ち上げられず。。。何のための救急車やww(アメリカで救急車呼んだら20万くらい請求されます)

結局今度は救助隊を呼び、この方達が無事義父さんを持ち上げて救急病院に搬送。


診察結果は重度の脱水症と尿路感染症。

最初のほうは自力で水分も取れずしばらく点滴をしてたそうです。尿路感染症は抗生物質でどうにか治りました。


更に膝の状態がかなり悪くなっていて、現在進行形で歩けません。



お医者さん曰く、まず3年間日のあたらない部屋にほぼずっといてソファで寝ていて、体もほぼ動かさない生活をしていたらそりゃぁこうなる…とのこと。


確かにそれはそうだ。まだソファから落ちた衝撃で骨とか折れてないだけよかったあせる


以前まで一緒に住んでいた義姉さんの娘も急遽帰宅して義父さんの病院に行ったのですが、かなりショックを受けていて言葉を失っていたようです…。


私は若い時から身内がけっこう入院したりとか亡くなったりとかしてるのを今まで見てきてるのでわかるのですが、病室で変わり果てた身内の姿を見るのはかなり衝撃的です。


義父さんを明るい場所で久しぶりに見た時にかなり変わり果てていたらしく、褥瘡で頬にもあざがあり、病室のベッドに横たわっていた時は点滴やらいろいろ管が繋がっていてそれを見た姪っ子はかなりびっくりして帰宅してもしばらく放心状態だったらしいです。


まぁ病院のベッドに、あの病院指定のパジャマ着て横たわってるだけでも元気な人でも病人に見えるから体調が悪くて痩せてたくさん管につながれてたらかなりヤバいとまだ17歳の姪っ子からしたら思いますよねあせる


ちなみに義父さんは64〜65歳くらいなのでそんなに歳取ってないのですが、うちの71才の父よりかなり歳上に見えますあせるあせる

まぁうちの父は特に業界関係の仕事でちょっと特殊だし人一倍身なりには気を遣っているので一般的な70代とは全く違いますがねあせる



というわけで状況を義姉さんから詳しく聞き、見た目の変わりようにショックを受けるかもしれないから心構えしていくように…と言われました。


一人部屋なのですが部屋自体がそこまで広いわけでもないし、久しぶりに息子と話したいだろうからってことで義母さん達は一緒に行かず、私達夫婦と子供のみで行きました。


リハビリ施設は24時間空いていて面会時間とかの決まりもなく出入りは自由です。

お年寄りや若くても障がいのある方など、命に別状はないけどとにかく一人で生活ができず、点滴など軽い治療が必要な方がここにステイしているようです。


義父さんは痩せていて元気がありませんでしたが、久しぶりに息子と話して孫にも会えて少し元気を取り戻したように思えました。

とくにうちの息子がまだ気を遣うとかよくわかってない暴れん坊4歳児なので義父さんにかなり近づいてニコニコしたりしてそれを見て喜んでいた様子の義父さんw

 

私は息子が義父さんの足を触ったりとかしないかヒヤヒヤしてましたがあせる


私達が行った時は点滴などはしておらず、点滴はとりあえず昨日とれたとのこと。水分もとれてるのであとは食事のみ。

しかし食欲はやはりなくて何も食べたくないと言っていた義父さん。

そしてここにはこの状態だと最低でも2〜3週間はいないといけないらしいです。もちろん食事ができるようになれば次の段階で歩く練習ができるのでその後、退院という流れになるのですが、食事ができないのでね悲しい

この先のことは誰にもわからず。。。。

義母さんが月曜日に膝を手術したほうがいいのかどうか病院に聞くと言ってました。


帰り際、義父さんを一人にするのが悲しくて、帰る時にうちの息子と義父さんが握手してるのを見てなんか泣きそうになってしまいました。。。。

私は祖父(母方)が入院してた時に帰り際にいつも祖父と握手してたのを思い出してそれが重なって切ない気持ちになりました。

いつも帰る時に握手して帰りたくなくて切なかったんです。。。祖父は結局2ヶ月くらい入院していたのですがそのまま病院で亡くなってしまいました。


今日はそんな祖父の命日です。


もう10年以上前のことですが未だに覚えています。。。


私の祖父は風邪をひき、肺炎になり入院。

そっから義父さんと同じく食欲がなくなり、全く食べれず胃ろうまでしたのですがそれでもダメで結局亡くなってしまったのでなんだか少し義父さんとも重なってしまいました。


夫は私とは真逆で身内の入院や不幸に無縁な生活を送ってきたので、言葉には出さないけどきっと切なかっただろうなぁ…と思いました。

私の場合は変に元気づけられたりなぐさめられたりするよりもこんな時は普段通りに接してくれたほうが今までの経験上一番よかったので、私も夫に普段通りに接しました。



できればまたすぐにでもお見舞いに行きたいのですが、なんせ往復9時間の距離ですからね汗

子供達もいるのでそう簡単には行けませんあせる


退院してある程度歩けてトイレも自分で行けるようになればいいのですが、車椅子で退院、トイレや入浴介助が必要となると、それはそれで今度は義母さんや義姉さんの負担が増えるし、家の構造的に車椅子生活は難しそうだからデイサービスや介護士さんなどの力をお借りすることになるかな?と思います。

一番は自力で歩けるようになるまでに回復するのが一番ですがねあせる



尿路感染症以外は病気は見つからなかったので食事を食べることは気力の問題でもあるように感じます。


義姉さん達がいろいろ差し入れしてますがほぼ食べることはないようです…。。。。


が、この日奇跡が起こりました。



私達はリハビリ施設をあとにして、19時頃ミシシッピを出発くるくる 途中ガソリンスタンドやお土産屋さんなどにより、帰宅したのは深夜12時頃。


夫家族のグループメールに帰宅した旨伝えると、あの後義姉さんがリハビリ施設に行こうとしたら義父さんから連絡がきて、ハムが食べたいと言われたらしく、ハムを買って持って行ったらハムとクラッカーを食べたらしいです。

私達が来たことをかなり喜んでくれていて、久しぶりに息子と話したことや、孫達の様子など嬉しそうに話してくれて久しぶりにハムとクラッカーも食べてたらしく、夫家族も喜んでました。


やはり気力の問題もありますよね。

テンションあがれば食欲も少しでるだろうし、少しでも私達が役に立ってよかったです。

この調子で少しずつ食べれるようになるといいです。



深夜12時頃帰宅した私たちはへとへとタラー

さすがに日帰りはきついですガーン

子供達は車内で寝てましたが、ミシシッピはまさかの大雨で途中ずぶ濡れになったりしたからお風呂も入れたいし…ってことで起こしてお風呂に入れ歯磨きさせてベッドへふんわり風船星


夫はリビングで寝落ちあせる


私はシャワーして歯磨いて就寝zzz



ミシシッピからフロリダまで帰る時、途中アラバマでBuc-ee’s によりました車

多分テキサス、南部以外在住の方はBuc-ee’s??何それ?って感じでしょうが…ww

ガソリンスタンド併設の巨大お土産屋さんでデリとかもあり、ビーバーがマスコットでこのビーバーがかなり人気です。

私もTシャツとか持ってますが、今回はキーチェーン購入しましたラブ




そしてお見舞いに行ったのに逆に義家族からバレンタインデーのギフトまで頂きました。


ちなみにこのUltaのギフトカードはスパや化粧品購入に使えます。


子供達もそれぞれチョコとおもちゃをもらいました。



そして今日(日曜日)はいつも早起きの息子も珍しく7時半くらいまで寝てたので私もゆっくり寝れましたzzz

娘は9時頃起床。

夫は12時頃ようやく起床し、床屋に行ったりやること済ませて夕方頃出張先へ戻りましたくるくる


明日からまた学校で朝早いのとやはり昨日の疲れもあってか娘も息子も20時には就寝しましたzzz


今現在22時半なので私もそろそろ寝たいと思います。

おやすみなさいくるくる