…と、留学までのプロセスを書いたところで、そろそろ普通の日記を書きたいと思います。
もう8月も終わっちゃいますね。長い大学生の夏休みも、あと半分です。
9月の2日からは、恐怖のゼミ合宿です。京都に行ってきます。あー、ガタガタブルブル。
何が怖いって、ゼミ担当の先生が半端なく怖いのです。
ゼミはもちろん、シェイクスピアのゼミなのですが。
合宿では、Stephen Orgelの論文(もちろん英語v)を読む予定。ああ死んじゃう死んじゃう。
とりあえずざっと一度読んでは見たものの、当日先生の前でキレイに英訳ができなかったら、即しゅーりょーーです。
緊張感にあふれたなんともステキなゼミです。
できるなら、人生2度目の京都はこんな緊張感ガチガチで訪れたくはなかったです。
さて、こんな風に語っていても、おそらく大半の方々は、シェイクスピアって良く分からないんじゃないでしょうか。
イギリスルネサンス期(主にエリザベス朝)の劇作家です。
禿げた肖像が有名なので、文学に詳しくない方も、その顔は見たことがあるかと。
いわずと知れた、『ロミオとジュリエット』とか『ハムレット』とかの作者です。
アタシと彼の出会いは、小学生の頃映画のロミジュリを見たときです。
ディカプリオが好きで見たのですが、そのストーリーの美しさに虜になりました。
それから高校生になって演劇部に入り、ますます演劇に染まり、シェイクスピアにも染まりました。
上京して、自由に演劇が観れるようになり、機会とお金さえあればシェイクスピア作品を見続け、今年から本格的にシェイクスピアゼミも始まり、今に至ります。
私は、シェイクスピアって舞台で「観る」ものだと思う。
テキストでは彼の面白さは伝わらないと思います。
今まで、テキストでも読んできたし、(もちろん英語でも日本語でも)舞台も観てきたけど、やっぱり観なきゃ面白くない。正直、読むだけじゃ面白さは分からないと思います。
最近は演出方法によっていろいろなアレンジがされ、それこそ演出家の腕次第で面白くも面白くなくもなってしまうので、一概には言えませんが。
でもやっぱり、こんなに何世紀も超えて残り続けてきた理由というのは、いろんな演出ができる柔軟性を持っているからこそなんだと思います。
だから、私はテキストを扱う「英文学」を学んではいますが、正直この「テキストでシェイクスピアを読む」という作業には無意味さを感じます。
確かに、音がキレイだから、読むのは楽しい。
でも、やっぱり舞台に乗せて、役者が台詞を音にして、観客の耳に届けないと、彼の言葉は輝かないと思います。
狭い教室で十数人で回し読みしても、彼の言葉は命を持ちません。
16世紀、17世紀、18世紀、19世紀、20世紀、そして21世紀。
彼が戯曲をつむぎだしてからの長い間、人々は時を越えて彼の言葉を客席で受け止めてきました。
時と場所、そして、人種や性別。違った境遇を持った人々は、それぞれに彼の言葉を受け止め、そして今日までシェイクスピアは行き続けてきました。
きっと、16世紀にグローブ座で少年俳優に演じられたヴァイオラと、21世紀に歌舞伎座で菊之助に演じられたヴァイオラ(歌舞伎座では琵琶姫だったけど)は、受け止められ方が全然違うはず。
そういう多様な受け止められ方ができるシェイクスピア作品って、本当に無限だなって思うのです。
だからこそ、私はイギリスに留学して、イギリス人と同じ研究をするんじゃなくて、日本人の私、21世紀の日本の演劇、日本のシェイクスピア、そして歌舞伎の文化を知っている私にしかできない研究がしたいわけです。
だから、アメリカ人でもイギリス人でも、18世紀の人でも21世紀の人でも出来るようなことは研究したくないなと思うのです。
イギリスに留学してシェイクスピアを学ぶことを目標にしていますが、決してイギリス人と同じことがしたいからイギリスに行くわけではない、というのをここに書いておいて、自分自身がぶれないようにしておくことにします。
と、何かもうシェイクスピアの紹介でもなんでもなく、すごくややこしい話になってしまったのですが(笑)
とりあえず合宿中に、卒論の題材で少し先生ともめているので、そちらのほうを解決してこようと思います。