心屋認定講師・心屋恋愛カウンセラーの齋藤沙織です、こんにちは。

 

沙織の生い立ちを書いていく人気シリーズ。

 

 

 

 

>>沙織の生い立ち①(誕生〜幼稚園)

>>沙織の生い立ち②(妹の誕生と両親の別居)

>>沙織の生い立ち③(初恋・両親の離婚・ハワイ移住計画)

>>沙織の生い立ち④(ターニングポイント・今パパ・夢のはじまり)

>>沙織の生い立ち⑤(アメリカで過ごした高校3年間)

>>沙織の生い立ち⑥(中国留学・家族で同じ大学に通学した日々)

>>沙織の生い立ち⑦(日本で一人新社会人生活 / OLから料理教室講師へ)

>>沙織の生い立ち⑧(25歳前半、上海での新規事業立ち上げ&店長業務を経験した日々)

 

 

 

* * * * *

 

 

 

上海に行き、半年以上経った頃。

 

上海での立ち上げが落ち着いたら、他の国にも広げていくので

 

「新規事業立ち上げ業務をグローバルにするスタッフになってほしい」

 

と会社から話がありました。

 

 

 

お給料や待遇が割にあっていないと、個人的に感じていた私は

 

勇気を出して会社と交渉をし、その希望も通りそうでした。

 

 

 

でも心の底では

 

公私共にこんなにきつい生活、いつまで続けるの?

 

私はいつ落ち着けるの?

 

本当にこれでいいの?

 

と悩み始めていました。

 

 

 

全く結婚願望がなかった私が

 

上海での日々に疲れすぎて

 

当時の彼と「早く結婚したい」と言うようになりました(笑)

 

彼のことはだいぶ振り回してしまったので

 

彼にとっては笑い事ではないと思うんですけど。。。

 

彼は結婚願望が強かったのにも関わらず

 

いつ帰ってくるかもわからないまま海外に飛び立った私を

 

受け入れ、ずっと支えてくれていた、ただただ優しい人でした。

 

 

 

 

どんどん痩せていく私の様子をskypeで見て

 

家族もとても心配していました。

 

兎にも角にも、私は疲れきっていました。

 

 

 

* * *

 

 

 

そんな、ある休みの日。

 

自宅のテレビの修理をお願いしました。

 

修理屋さんは、私と同世代くらいの、若い普通の男の人でした。

 

 

 

今考えると本当に馬鹿だったのですが

 

テレビとテーブルのすぐ横にベッドがあるような、

 

一人暮らし用の狭い私の部屋に、その男の人と二人きりでした。

 

 

 

 

 

軽く話をしていて、気がついた時にはベッドに押し倒されていました。

 

抵抗したけれど、相手はもう顔つきが違う。

 

強引に体を触られ、どんどん服を脱がそうとしてくる。

 

私がどれだけ必死に逃れようとしても敵わない…。

 

 

 

 

「男の本気の力には絶対に敵わないんだ」

 

と一瞬で思い知らされました。

 

 

 

男と女の圧倒的な力の差を見せつけられ

 

「殺されるかも」

 

とも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

頭がパニックになりそうになったけれど

 

抵抗しても無駄だと瞬時に悟った私は

 

頑張って冷静になり

 

少しおどけて見せました。

 

もうやめてよ〜〜(笑)

 

という雰囲気に

 

すごく、頑張って、した。

 

 

 

 

 

すると、相手も少しハッとしたのか

 

手を止めて、離れてくれた……。

 

 

 

 

私が被害者のように取り乱すことで

 

相手に逆上されるのが怖かった私は

 

必死に冷静になることに集中し

 

少しだけ和やかにおしゃべりをして

 

何事も無かったかのように

 

そのまま帰ってもらった…。

 

 

 

 

我ながら本当にうまく切り抜けたと思う。

 

ピンチの時こそ、私は頭が冴えるタイプ。

 

 

 

 

帰ってから10分後、その男から

 

『ごめんなさい、可愛くてつい。また今度会えない?』

 

みたいな連絡がきた。

 

 

 

業者なので連絡先はバレていた。

 

住んでいるところもバレている。

 

 

 

相手は頭がバカすぎて、

 

幼稚すぎて、

 

いかれすぎてて、

 

怖かった。

 

 

 

 

ただの「口説き失敗」みたいな形に

 

私がしてやっただけで

 

どう考えてもレイプ未遂だ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

心が乱れまくった。

 

警察に電話するべきなのか、と迷った挙句、私はしなかった。

 

政治の力で動く中国の警察が

 

外国人の私にどこまでしてくれるのかもわからなかった。

 

そもそも、そんなエネルギーがその時の私にはなかったんだと思う。

 

 

 

 

 

心を落ち着かせるために

 

少ししてから外に出た。

 

あの恐ろしい想いをした家にいたくなかったから。

 

 

 

 

その日は誰にも連絡できなかった気がする。

 

んー…したかな?記憶が曖昧。

 

 

 

 

もう無理だった。

 

心はすっかり折れてしまった。

 

 

 

 

 

次の日は仕事で

 

たしか一応出勤したと思う。

 

 

 

 

上司は、新規事業立ち上げを一緒に戦ってきた

 

信頼できる女性の方だったので、たしか会ってすぐに話したと思う。

 

 

 

 

 

そうしたら速攻

 

「日本に帰りなさい」

 

と、言ってくれた。

 

 

 

そんな風に言ってもらえるとは思いもしなかったので、びっくりしたけれど

 

私は消えるように、ある日突然、教室から去りました。

 

可愛い可愛いスタッフたちにも

 

まともに挨拶もできずに

 

まともに説明もできずに

 

日本に帰りました。

 

 

 

 

その上司の方を、お一人で残してしまうこともとてもとても心苦しかった。

 

そんな私を、空港まで見送ってくださった優しさが本当に沁みました。

 

鮮明に覚えています。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

もう完全に心も体も、エネルギーが抜けきっていました。

 

帰国後すぐに精神科に行くと、やはり鬱と診断されました。

 

病院に行くのも、話をするのも、とてつもなく怖くてエネルギーを消費しました。

 

すぐに休職願いを出すことになりました。

 

病院の帰り道は

 

「人生で初めての挫折だ」

 

とその時は感じました。

 

 

 

 

私はあれは事件ではなく、事故って呼びたくなる。

 

「傷ついた」と今でもきっとあんまり感じたくないんだと思う。

 

交通事故に遭ってしまったようなもの…。

 

 

 

 

あの事故は、ただのきっかけだったんだと思います。

 

中国に行く前から本当は疲れていたのに

 

120%のチカラを8ヵ月以上出し続けていたときに起きた事故。

 

 

 

 

 

みんなに、温かく送り出してもらったのに

 

こんなに早く帰ってきちゃって・・・。

 

 

 

 

 

きっかけを人に話すことももちろん躊躇ったけど

 

話せる範囲で友達にも少しずつ話していった。

 

大抵は戸惑いながらも、聞いてくれた気がします。

 

 

 

 

「鬱は別におかしいことじゃないよ」という風潮になる

 

ちょっと前か、はしりくらいの頃じゃないかな。

 

だからまだちょっと話しづらかった。

 

 

 

 

 

「無防備だった沙織にも、責任があるんじゃない?」

 

と言う友達もいて

 

きつい時にきついことを伝えて何になるんだろう?

 

今、私がそこを反省して、何になるんだろう?

 

と、悲しかったし、心にぐさりと刺さりました。

 

 

 

 

 

当時お付き合いしていた彼は

 

どんな私も受け止めてくれたから

 

このまま結婚して、全てから逃げようかな、とも思いました。

 

でも、家族や親友にやんわりと止められていた気がする。

 

 

 

 

 

帰ってきた実家は一軒家。

 

私がアメリカや中国に行っている間に

 

今パパとママが建てた、新築のおうち。

 

 

 

私はこの家にまともに住んだことがなかったから

 

最初はホテルに泊まってるような気持ちで

 

正直、全然休まりませんでした。

 

一人で家にいても、誰かに侵入されたら、という怖さが常にあった。

 

私に居場所はないのかな、とも感じてしまっていました。

 

 

 

 

でも、家族が全面的にサポートしてくれたおかげで

 

安心して休むことができたし

 

しばらくすると

 

この家は安全なんだ

 

誰かが侵入することもないんだ

 

と少しずつ理解できるようになりました。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

その時の私は、電車も怖くて乗れなくなっていました。

 

少々の距離くらいなら、なるべく自転車に乗って、移動していました。

 

可愛いファッションが大好きだった私は

 

カジュアルなロングスカートかパンツスタイルになりました。

 

 

 

 

 

どんな男も表情を変えるんだ

 

ああいうことができるんだ

 

ああいう状態になったら恐ろしいオスに変わるんだ…

 

 

 

 

 

男の人の普通の表情からも

 

怖いオスの表情になる姿を想像してしまい

 

気持ち悪くて仕方がなかったのです。

 

 

 

 

結局私はそのまましばらく休職をし、退職をしました。

 

私が自分の努力で手に入れたと思った輝かしいキャリアは

 

一瞬にして、ものすごくカッコ悪い形でなくなりました。

 

 

 

 

 

「私がいなくちゃまわらない」

 

とあれだけ思っていた上海の教室は

 

私がいなくてもちゃんと動いていました。

 

 

 

 

 

学生の頃から、走り続けることが当たり前。

 

常に生き急いできた私にとって

 

なにもない状態

 

の自分でいることは恐ろしいことでした。

 

「なにもない自分に自信を持てることが最強」

 

と信頼している方に言われた言葉が、

 

当時の私には全く新しい価値観で理解ができませんでした。

 

 

 

 

 

 

ゆっくりのんびりさせてもらう日々。

 

 

 

 

ただただお世話になるだけ、

 

ただただ迷惑をかけるだけの存在。

 

 

 

 

こんな私でも家族は愛してくれているんだ

 

と、少しずつ信じられるようになっていきました。

 

 

 

 

毛嫌いしていたスピリチュアルの世界に触れていったり

 

ヒーリングやセラピーの世界にもこの時期はたくさん触れました。

 

たくさんたくさん自分を癒してあげました。

 

 

 

 

 

冷蔵庫に貼っていたホワイトボードに

母はちょこちょこメッセージを書いてくれてました。

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母が連れってくれて、自分でデザインしたマグカップは

今でも大切に持っています。

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しばらく経ってから最終の手続きのために一度上海に戻りました。

その時に父は、

中国は決して悪いところじゃないよ

悪い思い出で終わらないように

と、楽しいところに連れてってくれました。

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濃い〜記事を読んでくださってありがとう。

 

 

 この記事を書くことをきっかけに

このことを彼に初めて話しました。

 

あたたかく受け止めてくれました。

 

「自分に優しくね」

 

と言われました。

 

 

 

まだまだ責めてたなぁ

恥じてたなぁ

 

って気付きました。

 

 

この生い立ちシリーズ裏話は

 

またメルマガにでも書くとします。

  

 

 

「自分に優しく」

 

生きるのだ!

 

 

次に続きます。

>>沙織の生い立ち⑩(鬱になってからのゆるゆる生活・自分探し・心屋との出会い)

 

 

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