僕らならできるって思いながら闘って
新しい未来をイメージすればいい
あの虹をわたってまだ見ぬその先へ
自分を信じて 始まったばかりさ
無理して我慢して生きてても
明日はやってくるけど 笑えない
誰かと比べる必要なんてない
きみはきみのままでいいんだよ
曲がりくねった道だって
ゴールにつながってるって
そう信じながらスタートすればいい
過去の涙だって笑い飛ばせるくらい
輝く未来のために進もう
転んだってまた立ち上がればいい
小さな勇気でこの道も変わるさ
いつか花を咲かせる日まで
胸に抱いた夢を信じて
陳腐かもしれないが、
こういう歌詞をとにかくエンドレスで聞いて
自分をマインドコントロールしている。
そして、
そうか、そうだよね、わたしならできるよねって
一生懸命自分を鼓舞している。
一生懸命やっているつもりでも
結果はなかなかついてこなくて
人から呆れられてため息ばっかりつかれて
悔しくて情けなくて
もういやだな。
夢なんて別にないし、そういうキラキラした漠然とした言葉は
なんだか吐き気がする。
あるのは現実だ。
今の現状を打開する。
ただ、それだけ。
たった今までそう思っていたのだが。
ふと思い出した
よく聞くレンガ積みの人の話。
レンガを積んでいる人に対して
「あなたは今なにをしているのですか?」と聞くと
「命令されているからレンガを積んでいるんです」と答えた人
「レンガを一つ積むと10セントもらえるから、生活のためにレンガを積んでいるんです」と答えた人
「レンガを積んで大聖堂を作っているんです。
ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払い、
多くの人が救われるのです」と目を輝かせながら答えた人。
10年後
一人目の職人は、相変わらず愚痴をこぼしながらレンガを積んでいた。
二人目の職人は、もっと賃金のいい仕事があったと言って、
賃金は良いけれども危険な教会の屋根の上の仕事に就いていた。
三人目の職人は、知識や技術を積み、
信頼されていたので現場監督として施工を任され、
多くの職人を育て教える立場になっていた。
今の自分は、一体どれに当たるのか?
さすがに1ではないが、極めて2に近い状態かもしれないと
はたと気付いた。
少なくとも3では絶対にない。
勉強しているのも、患者さんのためというよりは
怒られないため。
インシデントを起こさないため。
日々をやりすごすため。
…だよなあ。
昨日、また失敗をしてしまって
いっぱい怒られて凹んで
最後に患者さんに謝りにいったら
すごい笑顔で「別にいいんですよ~」なんて言ってくれて
それが一番こたえた。
まだ、大聖堂、とまで大それたことはいえないが
もう少し「業務」から「患者さんを看る」ようにしていけば
ぶつぎりの知識をつなげていけるのかな。
なんにしろ、レンガを安全に積むことが大前提だから
きちんと意味を考えながら
ひとつひとつのレンガを確実に積んでいくことにするか。
と、書きながら少し自己完結、クールダウン。
よかった。