美容院で読んでいた雑誌で

永作博美がめちゃくちゃいいことを言っていた。


「誰か一緒にいる人を見つけて、

その人とちゃんといろんな対立をしながら

時間を積み重ねていくことは大事なこと。

ケンカも大切で、

ディスカッションをすることで、深みが出る。


あえて面倒なことをするというのも大切。


ある程度、枠や枷がある中で

それを乗り越えるにはどうするか。

そう考えて力をだしていかないと、

人間としての成長が少ない」


確かにひとりは気楽だし、

自分ひとりだとこれでいいやって思ってしまうことも

誰かのためだと家事も仕事も

面倒でもやらなくちゃって思う。


義務じゃなくて、それがスーッとできたら

それだけで結構ハッピーだったりするのかも。


自立と自律という話を思い出す。

自立は、自分の足で立つこと。

今の私は、一応これはできているかな。

でも、自律はというと、全然だめよね。


自由さの中でも

自分をきちんと律して

「面倒」とくくって逃げていた中にある

大切なものを見つめなおす。


そうしないと、いつまでたっても

自分の小さな世界の中からは抜け出せない。


素敵な42歳。

年をとるのも、案外味わい深いかもね。


羨望

やら

妬み

やら。


そんな想いがものすごく大きくなって

吐きそうなくらい

大嫌いな自分がにょろにょろと顔を出して


そんな状態で人に会って

自分でも信じられないような振る舞いをしてしまって

さらに自己嫌悪。


なんにもやる気がおきなくて

ただただ惰性で生きていた。


そんな新年。


生活を立てなおさないとどうにもならない。


仕事も行きたくなさすぎて

朝もぎりぎりまで寝ていて

悪循環。


今夜になって、なぜだかほんの少しだけ元気がでてきた。

時間が解決するってほんとかもしれない。


息切れしたら、立ち止って休んでいるうちに

またちょっと歩いてみるか、て気になる。

だって、ずーっと立ち止っているのは

なんにもかわらなすぎてとっても退屈みたい。


「もし自分がクルマだったら、思いっきり走りたいと思うんだ。」

そうかな?


「もし自分が歌だったら

上手でもへたでもかまわないから、いっぱい歌ってほしいと思うんだ」

うーん。


「クルマでも、歌でも野うさぎでも人間でも、

できることはぜんぶやったなぁと感じるのが、

いちばんのあこがれだよなぁ。


このからだを、このこころを、この知恵を、

この思い出を、このいのちを、

まるまるまるごと使いきれたら、最高だよな」


そうかあ。

たしかに。

イトイさんは、いつも嫌味でなく痛いところをついてくる。


「学校」という映画を見ていて

幸せってなんだろうという超ベタな台詞があったけど

幸せって

こんなへなちょこな自分でも

この世に誰か一人でも自分のことを思ってくれる人がいるって思えること。

生きてて意味あんのかしらと思ってしまう

死ぬほど灰色な日々が

ほんのちょっとだけ色づくこと。

それで十分。


厭世感は否めなくて

ポップすぎる場は

やっぱり私には眩しすぎて

ちょっと距離を置くことにした。


無駄に休みがあるよりも

仕事をしている方が気が紛れていいや。

仕事の合間の休みが

とってもほどよい。

仕事も決して楽しくはないけれど

そう思うから不思議なものだ。


Don't you draw the queen of diamonds, boy
She'll beat you if she's able
You know the queen of hearts is always your best bet

Now it seems to me, some fine things
Have been laid upon your table
But you only want the ones that you can't get


耳が痛すぎる。

己を知れ。

自分にとって何が大切かを

よく考える年にしよう、2013。


これが今の私の精一杯。


今年の抱負は

顔を洗って、歯を磨いて、コンタクトを外して寝ること。


顔にぞうきんとはおさらばだ。


一時期

「味の向こうがわ」なんてことばが流行ったけれど

今の私にとって、この「向こうがわ」が

とってもキーワードな気がする。



向こうがわは

こっちがわとは反対にあって

こっちがわにいるうちは見ることができないもの。


そして、向こうがわに行こうと思っても

よいしょ、よいしょ、

あと少し、近づいてきた、

よかったようやく向こうがわへたどり着いたーというものでは

必ずしもない気がする。


だからこそ、頼りなくて、

そんなものそもそもあるのかだってわからないくらい

とっても曖昧なもの。


むしろ、意識していなかったら

あるとき突然表れるものかもしれない。





「ペットボトル投げてごめんね」


退院時に、そう言われたのだ。



それは、もう1ヵ月以上前のこと。

私の配慮のないことばじりが発端で

その方を怒らせてしまい、ペットボトルを投げつけられたことがあった。


その出来事を通して自分のだめな部分が露呈されたようで

情けなくて恥ずかしくて

本当に仕事に行きたくなくて

その方とも話したくなくて

でも仕事だからと割り切って心を少しステンレスにして接していた時期もあった。


でも、その出来事を通して、

自分はすごく学ぶものがあったから

それをきっかけに

とっても気を遣うようになって、勉強も自分なりにするようにして

でも、当たり障りのないように日々を過ごしていた。


素直じゃないあまのじゃくな方だから

きっとずっと気にしていて

最後だから、照れくさい中よそを見ながら

初めて口に出してくれたんだと思う。


私こそごめんなさいだし、ありがとうだし

もう胸がいっぱいになってしまった。


つらかっただろうな。

えらいね、よくがんばったね。

つらい治療で

心と身体がばらばらになる日々をよく乗り越えたね。


向こうがわ、まではいかないかもしれないけど

こういう経験をすると

もっともっとがんばらなくちゃ、と思う。

もっと気持ちをくみ取れる人になりたいと思うし

自分の弱さを、自分で見て見ぬふりをしない自分であれたら

どんなにかいいだろうと思う。



働くの向こうがわを

もっと見たい。



2012年もあと少し。



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人間は、「働く」ことそのものが好きなのではなくて

人間は、「よろこぶこと」が好きなだけです。

いろんな人がよろこんでくれたり、ごほうびもらったり、

ずいぶんといろんなことができるようになったりね、

働くの向こう側には、そういうことがあるんです。


                     糸井重里

あなたの ぜんぶまるごとを
 もう少し 信じてはみないか
 考えたことは 考えたことで
 そうだな よく考えたものだが
 
 川はくねくねと 考えなしに流れている
 山はもりもりと 考えなしにもりあがる
 どうやって飛ぶのか 考えなしに 鳥は飛び
 うさぎは とにかく 考えなしに 逃げていく
 
 あなたは 息をしている 考えなしに
 あなたの 心臓は相談もなく動く
 腹のなかのすべては 暗闇で仕事をしている
 温度計を見ることもなく 
 明かりをつけろということもない
 それはもう 毎日もくもくとはたらいているし
 一生 もくもくと 生まれる前から もくもくと
   
 あなたの ぜんぶまるごとを
 もう少し 感じてはみないか
 考えることは 考えることで
 たいへん けっこうなことだが
 
 目も見えないし くびもすわらぬ赤ん坊が
 おっぱいのありかを 見つけて 吸いつく
 くいくい ちゅぱちゃぱ つよい音がする
 おっぱいは 赤ん坊の口を 信じている
 赤ん坊は おっぱいで まるごとを満たす
 生まれたてのひと 考えなしに もくもくと

(糸井重里 今日のダーリン12月12日)


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こういう文章を見ると

ほんとうに

ほんとうに

私はこの人の文章がだいすきだと思う。


赤ちゃんは、確かに生後数日は目も見えないのに

おっぱいを見つけ出して

それはもう もくもくと 吸っている。

そうか、あの音は

いのちの音だったのか。


ただ、もくもくと生きていればいいのかな。

難しいことを考えず

私はひとりの私であること

ただそれだけを信じて

もくもくと。


目からウロコ。
あまりにもカルチャーショックだったので

興奮がさめやらないうちに書いておこう。


今まで、私は

マラソンなんてバリバリの個人種目だと思っていた。

誰かと一緒に走るなんて言語道断。

長距離走なんて、自分との戦いでしょう?

春樹もそう言っていたし。


走れるか、走れないか。

頑張れるか、頑張れないか。


できなければ、練習不足の自分が悪い。

次は、しっかり練習をして出直して来いと。


マラソン以外でも、結構そういう考え方だった気がする。

でも、そんな考えを覆す衝撃の出来事が。



初めてフルマラソンを走った。


正直、長距離走は得意だったし、

フルは初めてだけど

ハーフはなかなかの高タイムを出していたし

まあ、完走は余裕でできるだろう、ぐらいに思っていた。


でも、ハーフを越えたあたりから急激に右足の付け根に痛みがはしった。

痛いところをかばって走るから

腰やら肩まで痛くなってきてしまって

とてもじゃないけどみんなのペースについていけない。


「ああ、私はゆっくり行くので

 どうかみんなは先にどうぞ…」


そう思っていたら

友だちが順番こで隣にきて一緒に走ってくれた。

一人は超スパルタで「弱音吐いてんじゃねえよ!」と超怖く。

一人は「腕を振って」「いいペースだよ」と優しく。

一人は先を走りながらちょこちょこ後ろ振り向いて「大丈夫?」と目で合図。


申しわけなさすぎて

ほんと先に行って…と何度も言ったのだけど

去年は仲間の一人が足切り時間に間に合わなくて

完走メダルがもらえなかったから

今年は全員で完走が目標だからって。

タイムなんて誰も気にしてないから、とにかくみんなで完走するぞ!て言ってくれた。



――なんと!

あったけえ、あったかすぎるよ…。



自分が同じ立場だったら

果たして同じことができただろうか?

否、絶対にできない。

というか、今まで全くしてこなかった。


思い返す己の姿――

富士山に登ったときに仲間の一人が高山病になったときは

どうしても頂上に登りたくて私だけ登ったし

熊野古道に行った時

仲間の一人がしんどくて歩けなくなったときは

もー、と心の中でちょっと舌打ちしていた。


なんて奴だ…。


そしてもうひとつ衝撃の事実は

つらいのは自分だけでないということを知ったこと。


私があまりにつらくて走りながら

「へえ」やら「ふう」やら

うめき声をあげていたら

「そういう声だすな!つらいのはお前だけじゃないんだから」と言われ

「ソウナノ!?」と本気でそこで初めて気づいた。


ちょっと考えればわかるはずなんだけど全く考えが及ばなかった。

つらい自分、それだけにスポットライトがあたってしまって

周りの人のつらさなんて想像ができなくなってしまっていた。


なんてこった…。


そんなあれこれを考えながら反省しきりで

もはや最後はただただ無心で足を動かして

制限時間内にみんなでゴール。

タイムはとっても遅かったけどものすごく充実感。


走るということを通して、

なんだか色々なことを考えさせられた。


痛みを知って、初めて人の痛みがわかるようになる。

足が痛くならなくて、ひょいと完走できていたら

こんなこと考えもしなかっただろう。


これからは、もう少し人の痛みがわかる人間になろう。

奥深し、フルマラソン。

よく頑張りました、

そしてありがとう、あったかすぎる仲間たち。


ほっこり。

さむいけど

だいすきなベンチにこしかけて

月とか星をぼんやり見上げて15~20分考え事をする

これが最近の私の日課。


1日の最後はあすこへ行こう、て思う。


考え方は毎日変わって

昨日ものすごくワクワクしながら考えていたことが

今日はものすごくくだらなくてどうでもいいことに思える。

ただとにかくぼんやり過ごす時間




今日はNICUへの交流研修。


そこの主任さんのことばがとっても素敵で感動した。


NICUでは、ひとつひとつの動作にとっても気を使う。

お母さんのおなかの中にいるべき赤ちゃんだから

いかにストレスを与えないようにするかがとても大切。

何をするにも

音一つたてないように丁寧に、丁寧に、行う。

赤ちゃんのポジショニングを整えるために

クッションをおく、その動作ひとつでも細心の注意をはらって丁寧に置く。

ひとつひとつの動作が

作業ではなく「所作」なんですって。


自分はとてもガサツな人間だから、そこを直そうと茶道を習い始めたという。


ひとつひとつの小さなことを丁寧に行う和の心

それは、日々の自分の行動の変化にとても役立っているのだそうだ。


いろんなことは繋がっていて

だからこそ、人間としての引き出しをどんどん増やしていくことが

自分にとってとっても意味のあることなのですよ。


主任クラスのオバチャンが

まだそうして自分を変容させるために前向きに新たなことに挑戦する。


そんな姿が、とてもかっこいいと思った。



「ありのままの私を認めてほしい」

「私はこういう人間なんです」

糸井さんは、

これは自分はこういう人間だと明言することで

自分の欠点を多めに見てほしい、という甘え、図々しさなのではないかと言う。


とても耳が痛いことばだが

己を知り、

己の欠点を素直に認め、

必要であれば変容させる。


Just the way you areという歌に感動して涙が出てしまった私だけど

「ありのままの自分を認めてほしい」という

自己を否定しない姿勢と

否定はしないが、己を認め

素直に飲み込み、必要であれば変容させ得るその柔軟さ。


バランスを持ってその両方を兼ね備えていきたいものだ。


かっこいい大人に会うと、

とってもワクワクするな。

こういうワクワクが、人間にとっての原動力になるのだなと改めて実感。


明日もがんばろう。


悪夢――

そう、まさに悪夢だ。



まんがのように、

ぴょんとその場に飛びあがってしまったよ

28歳の大人が。


いままで

こわいものなどなにひとつなかったんです。


7階に住んでいる私の家には

ゴキブリなんぞ出ませんし

我が家に動くものなど存在しないのです。


テレビの画面と、風にゆれる風鈴(季節外れ)くらい。




だったのに――。




ブロッコリーが安く売っていて

肌にもいいし飛びついて買いました。

お弁当用に茹でておこうと

軽く洗って根っこを少し切り

根っこから熱湯にイン。


そして

まな板をふとみたら

動くものがないはずの我が家に

もにょもにょと動くものが

――3つほど。


虫ですよ虫!

なんていうのかな、細長くて緑色のにょろっとしたやつ×3!

最悪!!!と思って大急ぎで流して洗って

ふうと一息。


ああ、びっくりしたー、なんて思ったのもつかの間

1匹でなくて3匹もいたということは…と

おそるおそる

ゆで中のブロッコリーをのぞいてみたところ

ええいましたよすきまに沢山。


血の気が引くとはまさにこのこと。

ブロッコリーが茹だって少し色が濃くなるように

この子も茹だったら色が濃くなるのかしら

なんて悪趣味な興味も1ミクロぐらい湧いたが

そんなの一瞬で抹殺。

廃棄廃棄廃棄!

あー腹が立つ。


あんな

もともとごつごつした岩肌のような林のような風態の中に

同系色のやつらが隠れていたら

もうこちらは手の出しようがないでしょうよ。


追い打ちで、

夜、流しにわかめのカスがついてたものだから

掴んでゴミ箱入れようとしたら

そいつがくるんと丸まった!


またあいつ!!!!

どこから現れたのさ!

もはや幻?


もう、キッチンに立つのが怖くなりました。

ブロッコリーは当分見たくもないです。



自分のイライラ消化のため

だれが見ても不快な文章を書いてしまったことを

どうかお許しくださいませ。


gleeというドラマにとってもはまっている。

それはもう、一日中gleeのことを考えているし

gleeの曲が常に頭の中を回っている。

そして、gleeからめちゃくちゃ元気をもらっている。



私はどうも「はまる」ということを避ける傾向がある。

だって、はまってしまったら

自分がやらなくちゃいけないことに費やすべき時間が

予想外のことに費やされるから。

それは「時間の浪費」でしょう。

だから、はまることを回避するために

新しいちょっと魅力的かもしれないものは敢えて避けてきた。


ドラマは基本見ないし

マンガも基本読まない。


自分の性格がわかっているから

取捨選択をしてきたつもりだったが

gleeを見て、

前の私より、今の私の方がとっても前向きだし

毎日が彩っていることに気づく。

gleeを見る時間を作るために、

勉強も集中できたりする。

そして見るととってもハッピーになる。

良いスパイラルだ。


フェイスブックもそんな理由で避けてきたが

始めてみたら利用の仕方によってはとても有益。

こっちのブログの方がやっぱり断然好きだけど

毛嫌いして避け続けるより

知ってて適度な距離でつきあうのは悪くない。



つまり

取捨選択は大切だが

食わず嫌いを少し減らしてもよいかなということ。

可能性を自ら断絶しては、もったいない。


鎖国はやめます。


スマートフォンに手を出す日も近い!



まる3日間寝込んでいた。


風邪を引いた。

こんなに高熱がでたのは久しぶり。


祈るように薬を飲んで

死ぬほど重ね着しているのに

夜中になると悪寒がとまらなくて39.5℃の熱×3日間


もはやなにか悪い病気かなにかなんじゃないかと思い始めていた今日

ようやく熱が下がった。


4枚ぐらい脱いでも全然寒くない!

むしろ暑い。

生き返りました。


この3日間でやるべきことが山ほどあったんです。

でも、諦めて休養に徹した。


こういう場面にあうと、思い出すのは入院したときのこと。

やるべきことが山ほどあるのに

先を急ぎたい気持ちでいっぱいなのに

足止めをくらって全然前に進めない。


フラストレーションはマックスだが

逆に開き直って冷静にゆっくり考えることができたりする。

足を動かしていると見えないものがあるのだと改めて感じる。

足を止める勇気も必要。


そう思うことにして。


くーーーーー、私の皆勤記録が。