同期が、またひとり辞める。


別にそんなに仲が良いわけではないが

やっぱり同期ってちょっと親近感が湧いてすきだ。


脳外科、循環器、救急後方――

いわゆる、ガッツリ急性期。

私の病院は、ある意味それがウリで

それを目指して入ってくるゲキアツな若者が多い。


―中、

辞める子たちはそういうガッツリ系の部署ばかりだ。


相当しんどいんだと思う。


それがやりたくて来たはずなのに

なにか思っていたのと違かったのかな。


確かに、急性期のバリバリナースはとってもカッコイイ。

でも、思っている以上に

人の命にかかわる仕事はしんどいんだよな。

カッコイイ、だけじゃやってけないんだろう。


無理して身体壊しても意味ないし

なにより、ガッツリ循環器を辞めてリハビリ病院へ行くと言っていた

その子の顔がとっても清々しかったものだから

こちらも、「がんばってね」と清々しく送りだした。


自分がどうありたいか、とか

ライフワークバランスとか

自分の力量とか、体力とか

そういうものを知ることはとても大事。


途中で辞めるのは必ずしも「挫折」、ではないのかもしれない。


長い人生を

どう生きていくか。

自分らしくいられるのはどんな状態か、を

日々ぼんやりとでも問い続けていくことが大事。


だよなあー。


And then?

考えて、思ったことを

相手に伝えること。


?なことを

?なままで理解できない人と決めつけることは

前よか少なくなった。


色んな人と話して相談して

きっとこう思ってこう言ったんだろうと

相手の気持ちを考えるようになった。


でも、それをちゃんと相手に伝えたか?と言われたら

答えはNOだ。


自己完結型。


ぐうの音も出なかった。

その通りだと思った。


伝える相手を考えるべきだけど

でも、わかり合いたいならば

私の考えをきちんと相手に伝えないといけないのですね。

感情論ではなくて

分かりあうために前向きなディスカッション。

とても大事なことなのに

あんまりできていなかったな。


あともうひとつ。

ネガティブな意味ではないけれど

何があるかわからない世の中、

私は明日死んでしまっても別に仕方ないと思っている。

そう思って、毎日をめいっぱい生きている。

し、そのぐらい、人生ははかないものだと思っている。


私は、それが本望です。

そう思っていたのだけど。


「自分が死んでしまったら悲しむ人がいる。

 その人のことを考えたら

 私は死にたくない。」


という反論を受けて、

なるほどなあと思った。


私が死んだとしたら

少なからず悲しいと思ってくれる人がいて

その人の気持ちを

あんまり考えていなかった。

それだけ、やっぱり私は自分のことしか考えていなかった。


素敵な夫婦から

大事なことを教えてもらいました。


なんかだめだなー。

むつかしいな。

頭痛い。


自分の気持ちを人に伝えるということは

なんて難しいんだろう。



考えて、考えて、

書きあげた手紙なのに

読み返したら、

なんだか半分も気持ちが伝わりきらないような気がする。


ああ、もっと言いたいことがあるはずなのに。

感謝してもしきれない。

それでも、今の自分の精一杯を伝えるしかない。




お世話になった先輩が、異動する。


その方は、

優しさのなかに厳しさを持っている方で

物腰はとても柔らかいのだけど

ものすごく沢山、学ぶものがあった。


知識や技術はもちろんだけど

1番学んだのは

振り返ることの大切さと

逃げないで、向き合うことの大切さ。


アクシデントを出してしまったときは

何度も何度も、それはもう吐きそうなくらい振り返りをさせられて

もう勘弁してほしいと思った。

患者さんからペットボトル投げられたときは

もう関わりたくないのに、「それがあなたの仕事なのだから」と

逃げることを許してくれなかった。


どれもこれも

今となっては私の糧となっていると、本当に思う。


苦手な先輩との人間関係に苦しんでいた時は

さりげなくフォローをしてくれた。

逃げないで、上手にうまくやる方法を

間接的に提示してくれていたような気がする。


いろんなありがとうを伝えたいけど

全然うまく書けない。


なによりの恩返しは、

私がきちんとした看護師になることだと思う。

その方のように、

凛とした背中を見せられるような

素敵な看護師になる。


向き不向きで片付けずに

だめな自分と向き合って、

1つ1つを大切に、積み重ねていく。



思っていた以上に、異動が激しい。

その方からもっといろんなことを教えていただきたかった。

でも、これが社会というもの。

これがサラリーマンの世の常。


たった1年、されど1年。

尊敬できる先輩と一緒に働けたことを

私はとてもラッキーだったと思う。

今、この瞬間を大切に今年も1年がんばろう。



世の女性たちは

きれいへの余念がない。


なにげなく眺めていた光景だが

髪の長くてきれいな女の人は、

実はとっても入念にケアをしている故なのだと

今改めて感じている。


それはもう、尊敬に値します。


期せずして、

物心ついてからの私史上最強に

現在髪が長い状態でありますが

それはそれは、からまります。


考え事をして

ちょっと髪をかきあげようものならば

からまりからまり、毛先まで到達できず

ほぐすために

考え事を中断せざるを得ない始末。

本末転倒であります。


安静患者さんで

週に1度しか洗髪をできない方がいるけれど

週に1度のシャンプーなのに

とっても髪がつややかサラサラな方がいらっしゃって

つい、普段のケアはどうしていらっしゃるんですかと尋ねてしまった。


そうしたら

やっぱりケア用品にこだわりを持っているそうで

メモにして詳しく教えてくだすった。


ははあ。


そもそも、ドライヤーをしない時点で女子失格なわけですが

最近ナノケアーを入手したので

こだわりシャンプーとナノケアで

せめて手ぐしが通るぐらいまでにはしたいものです。


病室に行くと

ボディクリームでいい匂いのする方とかは

やっぱり「いい匂いだな」なんてついクンクンしてしまうし

節々から女子らしさを感じると

同じ女子として素敵だなと思うもの。


女子への道は一日にしてならず。

険しい道のりを一歩ずつね。


ははあ~おどろき。


バーンアウトとは。


長時間にわたり、人に援助する過程で

心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果起こる、

極度の心身の疲労と感情の枯渇を主とする症候群。


自分を卑下したり

仕事が嫌になったり

思いやりの心を喪失する現象。


不安、イライラ、無力感、悲哀感、

意欲の低下、自己評価の低下。


自分が何にストレスを感じているかを明らかにすることが大切。


だそうで。


看護師がなりやすいやつ。

ドキリとする。

危うくときどきそんな状態に陥りつつあるもの。


やる気の炎ってやつは気まぐれで

めちゃめちゃボーボー燃えてるかと思えば

そんな事実があったことさえ忘れるかのように

一気に消えうせてしまう時もある。


お友達から

「あんまり考えすぎない方がいいよ」というアドバイスをよく受けるのだが

考えることは、もはや私のライフワークであって

むしろ考える自分は実はそんなに嫌いじゃない。

へそまがり。


でもね、

要は、燃え尽きなければいいと思うの。

強火と弱火をうまく火加減調節しながら

息長くチロチロくすぶっているのが今の理想。


Don't waste my time crying.

泣いてる時間なんてもったいない!

この歌が最近のとってもお気に入り。


意外な人からのお褒めのことばは

なによりも活力となります。


働き始めた当初

私が初めて採血をさせていただいた患者さん。


震える手をなんとか押さえて

思い切ってぶすっと刺した。



…失敗。



後ろで見ていた先輩が

スッと入れ替わって

採血をし直してくれた。


申しわけなくて、患者さんのお顔が見れなかったが

そんな私にその方は


「初めは誰もがうまくいかないものですよ。

 だんだん上手になれば良いんですよ。」


と穏やかに話してくださった。


初めてだなんて言わなかったのに

私の様子を見て感じとって、

でも拒むこともせずに腕を差し出してくれて

そんな温かいことばをかけてくださった。

涙が出そうになって

練習しなくっちゃとものすごく思った。


お金をもらっているのに

プロなのに

患者さんにたくさん助けてもらっている。


その患者さんが

いつのまにか終末期となって

もう治療は断念して自宅へ帰られる。


余命はあとわずか。


私は、どうしてもあの時のお礼を伝えなくちゃと思って

今日、そのことをお伝えした。


「そんなこと言ったかしらね、ごめんなさい覚えていないわ」

穏やかにそう語られるその方が

もう永くないなんて。


いつも笑顔で明るくて元気で

とっても大好きな方。


やっぱり死は、私にはまだ受け入れられない。

しんどい。

こんなに生が溢れている場で

死にゆく人がいるのは悲しい。

未熟かもしれないけれど

事実から目をそむけたくなってしまう。


前にインドに行ったときに

ガンジス河を眺めているときに

一緒にいた人が言っていた言葉。


「こんな風に生と死が共存している場を見るのは初めて」


ガンジス河には

亡くなった人が流される。

その河で、沢山の人が水浴びをし、

人が投げたお金を拾う子どもたちが沢山いる。

その光景は、確かに生命力に溢れていた。


そう考えると、

今の私の職場は生と死が共存している場だ。


日々生まれる命があって

そして、失われる命がある。


輪廻転生。

生を全うすれば、死は決して悲しいものではない。


のでしょうか。


生を全うするために、ほんの少しでも自分が力になれたら良いのだけど。


そんなことを思いながら

明日は、沢山の感謝をこめて、その方をお見送りしたいと思う。

私の心を表しているようだ。


11月の電話料金が7000円だったのに

12月の電話料金が17000円。


ありえない…


そんなに人恋しかったのかしら。

不安定すぎるだろう。


スマートフォンでもないのに

どういうことだ。


人に依存しない。

会いたい人には会いに行こう。

いたずら電話は控えます。


あああありえない。


歯車が回り始めて

みんな、それぞれの人生を歩き始めている。


居心地の良い、あたりまえだと思っていた

空間、瞬間、人たち


それが実はとってもはかない

刹那的なものなのだと

最近すごく実感している。


また今度、次の機会――

そんなものはないかもしれない。

それぐらいの気持ちで

「今」を大切にしなければ。

そして、今あるありがたみを噛みしめなければ。




働き始めてから

むしゃくしゃを晴らすために

ものすごくハッピーになることをずっと探していた。


すきなものをいっぱい買って、ハッピー。

お友達とおいしいごはん食べて、ハッピー。

旅行に行って、ハッピー。


お金に余裕ができて

欲しいものが買えて、思う通りのことができるようになった。

でも、なにか満たされない。


ひとつひとつはすごくハッピーなのだけど

単発で、どうもレスキュードーズにすぎなくて

一時的なハッピーは長続きしない。


でも、だからこそハッピーな瞬間を沢山積み重ねていく。

それが、社会人

それが、人生というものなのかと、なんとなく思っていた。


仕事に張り合いを持たすために

今年は少し何かおけいこでもしようかしらと思っていた。

お料理、習字、ピアノを始めるのも素敵だななんて

色々考えていたところ。


いっぱいいっぱいになって

自由が欲しくて

逃げるように辞めてしまった合唱。


久しぶりに、前に所属していた合唱団の演奏会を聴きに行ったら

30人近くいたメンバーが

出産や結婚でどんどん減って

16人になっていた。


でも、

みんなとっても胸を張って楽しそうに歌って、踊っているのを見て

ものすごく感動してしまった。

学生じゃなくて大人が、こんなにすごいものを作り上げるなんて

どれだけ大変なことだろう。

すごいな、めちゃくちゃ練習しただろうな。


そして、

「いつ帰ってくるんだ?」と言ってくれる先生

「久しぶり!」と迎えてくれる仲間たちを見て

「私もまた歌いたい」

素直に、心の底からそう思ってしまった。


ただ歌うだけじゃなくて、係とかMTGとか

めちゃくちゃ大変なことは知ってる。

前はそれが苦痛になって

歌うことさえ嫌になって投げ出してしまったけれど

歌から離れた2年半

本当は、ずっとずっと、歌いたかった。


gleeを見て

南相馬の少女合唱団のドキュメンタリーを見て

素直に「歌がすき、だから歌う」という気持ちを思い出した。


屁理屈こねてないで

怖がってないで

「今」を生きるんだ。


永作博美も、

面倒なことを敢えてすることで

人間としての成長があるって言っていた。


私がずっと探してた

ものすごいハッピーは

きっと、ここにある気がする。


私にできるかしら。

自信は正直あんまりないけど

「バスケがしたいです」といったみっちーのように

「歌いたい」

今は、素直にその気持ちを大事に

ちょっと大挑戦してみようかなと思っている!


それを張り合いに、仕事もがんばるんだ!



その人は、

自分にとって、何より人が大事だって言いきっていた。

人が財産だって。

自分一人では絶対生きていけないって。

そう言い放っていた私の大好きな子分。


ネクラな私とは対照的で

常に周りに人がいて

そんな姿はちょっと眩しすぎるというか

ちょっとオープンすぎるように感じてしまったが。


でも、今日1日その子と一緒にいて

その子につられて

ひょんなことから色んな久しぶりな人に会うことになって

正直、めちゃめちゃ楽しかった。


自分は一人じゃ生きていけないから

しんどいときは助けてね。

でも、その分、私もいつでも助けるからね。


そういう感じ。


人に会うことに対する垣根が低いというか

自分を素直にさらけ出しているというか

なんだろう、

すごく気持ちの良い子だと

改めて思った。


自分が100%そう振る舞うことができるかというと

ちょっと難しいが

なるほどなあと思う部分が沢山あった。


友だち甲斐があるなあって

すごく思う。

今日もらったありがとうを、今度は私が返したいなって思った。



私が突然誘ったランチに、

お弁当があったのに付き合ってくれた友だち。


次の日仕事があるのに、会いたいからって

ほんの数時間のために

遠くからかけつけてくれた友だち。


今まで、あんまり意識したことなかったが

そういうひとつひとつの友だちの想いが

すごくうれしい。


そして、自分も、そういう風になりたいなと思う。


なかなかみんなにはできないが

せめて自分の大切な人には

誠意を見せられる自分であれたらいいな。


自分が思っているよりも弱いということを

大人しく認めてね。



私はどうやら

とっても自分の家がすきなようだ。


実家はなかなか厳しかったので

自由がなくて

夜遊びもほとんどできなかったから

一人暮らしになって

とっても自由で楽しいのだけど

遅くなってもいいから、

最後には自分の家に帰りたいと思うから不思議なものだ。


うちに帰ってきた瞬間がやっぱり一番落ち着くし

うちの布団で寝るのが一番ホッとする。


時間は夜中でもなんでもいい。

うちに帰ってきて、うちの布団で寝るということで

初めて今日という日が完結して

ようやく明日へうつれる気がする。


制限がなくなっても

不思議とそう思ってしまうから

自分でもおどろき。


やっぱり小さい頃から植え込まれた考え方は

自分の中にかなり強く根付いているようだ。



帰り道に

駅前に警察がたくさんいて

地面に血痕が少し残っていて

なにやら、事件があったようだ。


この町はとっても平和な町だと思っていたから

背筋がスーッと寒くなって

すごく怖かった。

夜中も家の近所をひとりでふらふら歩いたりしていたが

やっぱり外は危険な場所なのだと改めて感じた。


外にたいする内。

外から帰ってくる家。


ここにいれば、誰からも危害を加えられることがなくて

安全であったかくて居心地が良い。


「外」ってなんだろうな。

やっぱり私は自分以外は「外」だと思っているのかな。

誰が危害を加えるわけでもないのにね。