よしよし。
なんて心がほっとすることばだろう。

今まで特に思ったことなかったけど、
その方の言うよしよし、はものすごく重みがある。

状況がどう変わるわけでもないけど、
心に寄り添うってこういうことなんだなあと心から感じる。

謙虚で穏やかで、いつもニコニコ、とても大好きな方。
その方が、こんなに大きな悲しみを抱えていたなんて。
そんな姿は微塵も見せずに、人によしよし、ができる。
どれだけ心の大きい方なんだろう。

悲しみに出逢うと、なんで私だけ、と思う。
私だけ、だなんてとても傲慢。
私が知らないだけで、人はいろんな想いを抱えているのだな。

なんで私だけ、と思っている人に、
あなただけじゃないよと厳しい冷たい視線を送るのではなく
悲しんでいるその人に、よしよしできる。

それって、自分の感情は他所に一端よこに置いておいて、
目の前のその人の気持ちに寄り添い、その気持ちを大切にすること。

私情をすぐに挟んで、理屈で物事を考えてしまう私。
いつか私も、その方のように透き通った心を持った人になりたい。
感情の爆発は、決まって親に向かう。

素敵な場所を見つけた時、おいしいお店を見つけた時
絶対ここにお母さんを連れてってあげようと思うのに。
お母さんきっと喜ぶな、なんてほくほくしながら思うのに。

久しぶりの電話では、ついイライラして癇癪起こして
じゃあねってブチッと電話を切ってしまう。

ストレスはだいぶ少ない毎日のはずだけど
新しい毎日は、気を遣って、自分が思っている以上に疲れているのだと思う。
最初がとっても肝心だから
前は、それでしくじったから。

ひとつひとつの言葉も、失礼のないように角が立たないように選んでいるし、
ひとつひとつの表情も、ものすごく選んでいる。
頭の中がフル稼働で、常に動いている。

家族は、そういう存在。
ここで、私はいろんなところでモシャモシャ絡まってきたものを
力任せにぶつけているのだと思う。
ここでしか、私は感情をこんなに解放できない。

こうして客観的に己を眺めてみると、
いい歳こいて甘えているのだと思う。

瞬間湯沸かし器のような、あのグワーッと沸き出る感情は、どこからきたのか。
沸き立ってピーーーーーと笛を吹いて、グツグツをヤカンの外まではね散らかしたかと思ったら、もう消えた。

グツグツのとばっちりを食わせて
ごめんなさい。ありがとう。
忘れてしまうのだろうか。
びゅんと走るときの風の冷たさを。

忘れてしまうのだろうか。
雨が降らないかと、空を読むために上を向いたときのあの視界一面に空が広がる感じを。

忘れてしまうのだろうか。
走っている途中にポツリと雨が落ちてきて、その後ざあざあと降る雨を全身で受けるあの感じを。

忘れてしまうのだろうか。
雨に降られていることが、途中からなんだか違和感なく普通に思えてくるあのへんな感じを。


この1年間、自転車でいろんなところへ行った。

坂は息が切れるし、雨が降るとびしょびしょになるし、舗装されていない道路はガタガタゆれてお尻が痛くなる。
1週間分の食材を、前のカゴいっぱいに詰め込んで、右に左にゆらゆらしながら帰ったけど、なんの不満もなかった。

それが当たり前だったし、歩いて行けない所に連れて行ってくれる最高の相棒だった。


車という選択肢ができたら、きっとそれはそれは便利なんだと思う。

天候を気にせずどこにでも行けるし、荷物の重さも気にせず買える。
どんな道だって怖くないし、なにより今まで行けなかった遠くへ行ける。

だけど、絶対に忘れたくないと思う。

自転車だから見つけることができた小さいお店のこと。
自転車だから見つけることができた小径のこと。
自転車だから感じたあの空気を。
今日も雨、としょんぼりした日が続いた後に、晴れた日のあの湧き出るような嬉しい気持ちを。

自転車でうろうろしていたからこそ、私はこの1年でこの町をこんなに大好きになれた。

時には歩いて。時には自転車で。時には車で。

便利さが、すべてではない。
どこかへ行く過程を、ただの移動時間にしないで、たのしむきもちを忘れない。

そう、これは備忘録であり、自分への戒め。
「生まれるのがゴールじゃなくて、生まれておっぱいを吸ってもらうまでがゴールなのかもしれない。いかにへとへとにさせずに楽に産んでもらって笑顔でおっぱいを吸ってもらうかを、私たちは考えないと。」
新しい職場で、大好きな助産師さんに言われて衝撃を受けた。
そんなことは考えたことがなかった。

ゴールをどこにするか。
試合は、試合終了が一応ゴール。マラソンも、走り終えればゴール。
でも、山に登り始めて、山頂にたどり着いてゴールのはずなのに、どうして下りがあるのだろうと愕然とした。登るときはメラメラしていても、山頂に辿り着いたら一気に気が抜けてしまって、下りが苦痛で仕方ない。思えば、私はいつもそうだ。思いついてやる、そこまでは勢いでできるが、やった後の後片付けが苦手。これはつまり、自分の中でのゴール設定が手前すぎるのだと思う。自分で勝手に決めたゴールに、自分が満足してしまっている。
というか、そもそもゴールって何だ?

ゴールというよりは、一区切り。ひとふさ。
そんな感じでひとつひとつをあまりくっきり区切りきらずに、もうひとつ先まで考えられるようにしたい。
山を縦走するように、すべてはうねうねとつながっている。

考え方ひとつで目の前の景色ががらりと変わる。
新しい職場は、本当に素敵なところ。
とりあえず、自分の手で取り上げた100人の赤ちゃんに出会うこと。
これを目下の一区切りとしよう。

くさいものに、ふたをし続けてきた。


頭の中ではわかっていて、知識もついてきても

いちばん大切な部分はふたがしっかりぴったりしまっているので

自分で上手に見て見ぬふりをしてきた。

見て見ぬふりばかりが上手になって、すっかり大人になった、ふりをしていた。


大人になると余計に

見栄やプライドが先行して

いまさら聞けないことが増えていく。


知識はあるけれど、そこに自分は、いない。

自分とはつながらない、人にばかりえらそうな口をたたく、「大人」風なわたし。

いったいだれだ、このかっこわるいやつは。


痛い思いをしたこともある。

でも、のどもと過ぎれば熱さを忘れて、

平気で同じことを繰り返す。

ほんとうの意味でわかってないから。

ふたをして、やりすごしてきたから。


くさいものにふたをしたまま、そのふたをしっかり密封して

そのまましらんぷりをし続けるという選択も、なくはなかった。

それでも、なぜかわたしはそれをしなかった。

そのかわり、くさいものがいかにくさいかを、えらそうにふりかざした。

自分のくさいものにはふたをしたままで。


ようやくようやく、ふたを開くときがきた。

開かざるをえず、開いたパンドラの箱は

くさすぎて、見たくなくて、悲しくって、消えたくなった。

自分のばかさかげんに、うんざりした。


でも、今まで自分がひとに一生懸命ふりかざしてきたくさいものが

いかにくさいか、という実感を今、初めて感じることができた。


おなじことは、もうしない。

目を背けない。

自分に、きちんと目を向ける。


よわい自分、かっこわるい自分。

よわいあなた、かっこわるいあなた。


少しずつ少しずつ、進んでいけばいいんだよ。

「大人」風じゃなくて、少しずつでいいから「大人」に、なろう。


少しだけ、すきになったよわい自分。かっこわるい自分。

前からずっと、今ももっとだいすきな、よわいあなた、かっこわるいあなた。


覆水盆に返らずなんていうけれど

私は、わりと3秒ルールなどを信じてしまう性分で


実際、落として壊れた携帯電話を同じ高さからもう一度落としたら

案外ケロリと直ってしまったこともあったりして


まあなんとかなるだろうなんて

あまり重く受け止めない傾向がある。


でも、

チンして割ってしまった大好きなカステヘルミのボウルが

二度と元通りにはならないように

どんどん前に進んでいく時間のなかで

さかさむきに時が戻るなんてことはないのだと思い知った。


自分のことばかり一番に考えていた私は

やりたいことに溢れていて

自由に憧れて

キラキラするものに臆せず飛び込んできた。

そこで学んだ、尊い経験の代償として

失ったものも沢山あるのだと思う。


「鳥を飼うことで、自分以外のものを自分以上に大切にすることを学んだ」


そう言っていた友人のことばに

とても心を打たれた。

己に欠けている部分を指摘されたようで

とてもとても心が痛かった。


鳥も犬も猫も飼う気がしないけれど

その未知の領域を知りたいと

ぬか漬けを始めた。


動物と違って死なないけど

それでも、私にとっては大きな一歩。


自分以外のものを

自分以上に大切にする。


そんな風に考えられたら

どんなに素敵だろう。

そういう風に考えられるように

少しずつでも、自分を変化させていきたい。

本当に今、そう思うよ。


それでも、

自分が選んできた道は

自分が選んできた判断は

きっとそのときの自分にとって最善の選択。


そう信じて、

自分を上手に変容させながら

これからも前を向いて歩いていく。


もろもろ含めて

心から、ありがとうとおめでとうを贈ります。


あなたが産声をあげた時、

ただ泣くことしかできなくとも、

何も持っていなくとも、

存在そのままで価値がありました。


なのに人はいつからか、

誰かと比べたり、

誰かを羨んだり、

満たされない何かを感じ始めます。

毎朝鏡の前で、

ありのままの自分と向き合っているのに

気づけば人の物差しで

自分をはかってしまう。


あなたの価値は、あなた自身。

産声をあげたあの時から変わらずに、

ずっと輝き続けています。

だから素直に

自分の強さも、弱さも、

受け入れてください。


ありのままでいられるところに

本当の幸せはあるのです。


             軽井沢高原教会


http://www.karuizawachurch.org/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=brand



電車の吊革広告をみて

涙がちょちょぎれそうになった。


いいこというなあ。


あと、ひとつ発見は

文章は、やっぱり改行や句読点の位置で

大分印象が変わる。

ということで、

なんだか気持悪かったので

勝手に改行を増やしてしっくり。


糸井さんの句読点と改行は神だと

改めて確信。


心地よさ

リズムというものが

やっぱり文章には大切なのだなー。


expand the horizon


「地平線を広げろ」


ずっと前に兄が目をきらきらさせながら言っていたこのことばを思い出した。



その人の話を聞いていて、

なんだか、お兄ちゃんみたいな目をした人だなあと思った。

自分のやりたいことが溢れていて、

楽しくて仕方ない。

人生がワンダーにあふれている。


私も、かつて

なるほどなあって

私も可能性をどんどん広げていこう!なんてワクワクしたものだ。


社会人になったお友達の話を聞いていると

出張やら、取引先の会社の人やら

人との出会いが沢山あって

自分の想定外の場所に行けたり想定外の人と出会えたりする。

羨ましいなあ、なんて素直に思う。


一方私は、患者さんとはもちろん出会いは出会いだが

関係を続けていくものではないし

昼休みにちょっと忘れ物を取りに家に帰ろうとしただけで

死ぬほど怒られて前代未聞だとまで言われるほど

めちゃくちゃ閉鎖的な環境。げろげろ。


そして、人との出会いを素直に楽しめないほど

今の私はとっても内向きだったりするわけで。


「引っ込み思案」だと言われたが

自分でもびっくりするぐらい

その表現は私にピッタリだと思った。



でも、今思うのは

地平線の広げ方は

結構いろいろあるんではないかということ。


必ずしも外向きでなくとも

地味なことの繰り返しの中に

自分なりの地平線のすそ野を広げるのが

案外自分には合っているのではないかと思う。


あとは、快適な「生活」や

些細なハッピーな「瞬間」が

自分にとって結構大事だったりすることに気付いたのも大きい。


一人でやさぐれるよりは

みんなの前で泣いた方が素敵だと

先日お友達に言われて

なるほどなあと思った。


ここに私の心の中を綴っているのも

ある種の内向きなやさぐれなのかなと思って

ちょっと距離を置いてみたりもした。


でもやっぱり、この場はやさぐれではない、と思う。

私の大事な自己表現の場だし

私の大事な成長の過程の場。


こうして文章を書いているときが

私にとって憩いの時であることは事実だと確信をしている。


なんだろうなー、

外を向いている人を見て

私も外を向かなくちゃ!という刺激の受け方ではなくて

うんうん、私も私なりの世界観を広げていこうと

思えるようになったのが

自分なりの成長だ。


ああ、つれづれなるままに。


でも、目をキラキラして話している人は

やっぱりとっても素敵だ。

その目に私が映らなくとも。

習慣づけていないとどうも途絶えてしまう。


毎日、思うことは次々とあるのに

ぼんやり考えていて

書きとめておかないと

シャボン玉のようにパチンと消えていってしまう。


パチンが続いていくと

毎日が

それはもうルーチンになってしまって

ただ、過ぎていく。


それはそれでいいのかもしれないけれど。


ひとつ自分でもちょっと驚きなことがあったので

忘れないで書いておこう。


とても苦手な先輩がいて

あの人さえいなければ

毎日が、大分穏やかに過ごせるのだということを

心の底から実感しているわけだが。


大好きな先輩ばかり異動になって

どうしてあの人は異動しないんだろう。

あの人こそ異動すればいいのに。

でも、あの人は重鎮だからきっと当分いなくならないんだよね。

なんて常々ぶつくさ思っている。


でも、先日

朝、自転車をこいでいる途中

いざ、来月あの人が異動するとしたら、と

想像してみたら

なんだか急にものすごく涙が出そうになった。


衝撃。


なぜ?

なんの涙?


と、無駄に動揺。


後日、落ち着いて考えてみたら

大嫌いで大嫌いで仕方ないんだけど

あの人がいる日は

ものすごく背筋が伸びて

絶対ミスしないように気を付ける。


まあそれでも怒られるんだけど。小姑だから。


でも、たしかに

心労ははんぱないが

あの人から指摘されることはめちゃめちゃ勉強になる。


いつまでいるかわからないならば

あの人から

学べることはちゃんと学んだ?自分

という涙


だったようだ、どうやら。


学生の時も、同じグループにすごく苦手な人がいて

嫌で嫌で仕方なかったが

いざ実習が終わって

その人と関わらなくてよくなったら

なんだか炭酸の抜けたコーラのように

穏やか過ぎて

不思議とちょっと物足りない気がしたっけか。


いざ会うと

息が苦しくなって

なかなかそうは思えないのだが

あの人との関係も

永遠のものではない。


拒否反応をいつまでも続けていても

みすみす大事な機会をドブに捨てているようなものだ。


わけのわからないことは

うまく聞き流しながら

自分に渇を入れる大事な存在として

うまく付き合っていけたらよいな。


同期と悪口いいながら、ね。


あーしかしユウウツ。

「すいませんでした」

「すいませんじゃないよ」


今週、一体何回この会話が繰り返されただろう。

めっちゃ怒られて、

謝ったらまた怒られる。


じゃあどうすればいいんだ。


そのたびに私のイライラがとふとふと蓄積されていき

私のやる気が踏みつぶされて

ただ、ずーんとたたずむ、のみ。


10秒くらい息を止めたら

少しだけリセットされて

頭切り替えて、次、と思う。


今日同期と話していて

「すいません」じゃなくて

「はい、次は気をつけます」

の方がいいんじゃないかと言われた。

なるほどな。


すいませんなのは、

その人にじゃなくて患者さんにだし

不利益をこうむるのは

その人じゃなくて患者さん。


その人に謝ってもなんの意味もない。

なるほど。

そういうこと?


あいつは別にそこまで考えてないかもしれないけど

次からはその模範解答で対抗してみよう。

言われた内容は真摯に受け止めますよ。



夜空は、

やっぱり月と星があってこそだと

今日改めて思った。


曇って薄明るい空なんて

なんの魅力もないわ。


どんなに寒くても

透明な空気の中見上げる星空は一日の最後のくつろぎのとき。



「抑圧された世界にしまもようで抗議する」 森本千絵