文章をあれするための、あれ。 -16ページ目

文章をあれするための、あれ。

日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

毎年、冬がきて夏がくると
「夏ってこんなに暑かった!?」と驚く。
冬は冬で、帰宅してこたつであったまると外は寒いことを忘れる。

なぜだ?

思えば
あらゆることを忘れて私は人生をすすんでしまっている。

情熱大陸をみるたび「私もストイックに生きよう」と思う。
一か月前の今頃は「毎日ディクテをしよう」と
意気込んでいた(ことをさっき思い出した)。

決心はしても
なまけもの代表まる子への魂の共鳴を感じずにはいられないし
今はディクテよりアメリカンエクササイズに時間をさきたい。

きっと忘れてしまったものたちは
「放っても先にいけるものたち」だったのだ。

そんなことに昨日の午後4時半過ぎ、
フランスの市立図書館のDVDコーナーで気づいた。

アンジェの図書館はDVDが豊富と評判。
ハリウッドからボリウッドまである。
『ハリウッドからボリウッドまで』
声に出すとすごく選択肢が少なそうに感じるふしぎ、
もっと良い例にしよう。
ハリウッドから松本人志まである。

貸出は一度に3本までなので毎回選りすぐる。
無料とはいえ、あと4か月弱で日本にかえるのだから
借りられるDVDの数は限られている。
どうせならグッとくるものがみたい。欲張りなのだ。

「放っておけない」映画に出会ったのは
今回の3本を決めたあとだった。
「話は暗そうだけど主人公の女性がとんでもなく美しい」もの、
「パッケージが愉快なスペインのコメディ」・「フリッツラングの映画」を手に見つけたのが
この映画
「アタック・オブ・ザ・ジャイアント・ケーキ」

巨大ムサカがアテネの街を襲うギリシャのSF映画。
ムサカはギリシャ料理でナスと挽き肉を重ね焼いたもの。
なぜか邦題では「ケーキ」と訳されているけど
そんなこと吹っ飛ばすほど、映画自体ツッコミどころ満載である。
なんせ巨大ムサカが人々を襲うのだ。

こんなあらすじを読んでしまっては
見ないわけにはいかないのだ、変なもの臭がぷんぷんしている。

しかしよくばりDVDチョイサーの私は
「これは『グッとくる』映画なのか?」と自問自答し、
きっとそうではないと、棚に戻し、
元の3本を手にカウンターの方へ2歩進んですぐ戻った。

巨大ムサカDVDを手にして、「フリッツラングの映画」は戻した。
いいのだ。監督が巨匠だからという理由だけで(グッときそうだから)選んだものだったから。
それより
巨大ムサカを放っては先へ進めなかった!

逆にいえば「ストイックに生きること」も「ディクテ」も
私の基準では「放っても先に行ける」に分類されていた。

今アメリカンエクササイズを「放ってはおけない」のは
年末年始で蓄えられた脂肪がたえず目に入るのと
アメリカ女性による英語での励まし言葉がグッとくるからだ。

冬に、夏の暑さを忘れてしまうのは
そんなこと放っていても日々過ごせるからじゃないだろうか。

私がこのブログを書いている途中、
はだしが寒くなってスリッパを履いたり、
そしたらスリッパが暑くなって脱いだりを繰り返して、
靴下を履かないのは
記事を書きあげるのを放っては立ち上がれないからだ。

と書くとなんだかストイックな風にみえるが
実際はただめんどくさがっているだけで
ソウルメイト・まる子への共鳴を絶賛感じている最中である。



9月からの留学で何が身についたと問われれば
紙辞書を前より速く引けるようになったと答えるだろう。

94年生まれ・ゆとり育ちの私は高校入学時から
電子辞書ユーザーである。
電子辞書は持ち運びやすく、検索も早く、とっても便利で気に入っていた。

しかしそんな私にも仏和の紙辞書を購入する日がやってきた。

尊敬するゼミの教授が大学時代から
使っているという紙辞書を借りると、
ボロボロで、書き込みがたくさんしてあって、
「勉強しました~」感が出ていた。

私は影響されやすいタイプである。
1週間後には古本屋にいた。
そこでお気に入りの仏和辞書をみつけた。
尊敬するフランス人の先生が作成に協力していたものだ。

留学が始まってからは、授業中や・急いでないとき以外は
紙辞書を使うようにしている。

やはり辞書を引くという行為によって
単語が頭に残る気がするしパラパラしている最中に
おもしろい単語を発見することもある。
例えばrombière(ロンビエール)なんかは俗語で
『見栄っ張りの年増女』という意味らしい。いつ使おうか。

しかし紙辞書、慣れないうちは引くのに時間がかかる。
ゆとり育ち中途半端癖のある私はアルファベット順もろくに覚えていない。
『電子辞やったらもう調べ終わってるのに~』なんてイライラしながら
ひとつの単語を探すことになる。

IはOより前?後ろ? 
なんとなくどちらも後ろの方のイメージがある。
いちいちアルファベットの歌を歌うのももうたくさんだ。

そこで生み出した
アルファベット順早覚え法(前半編)が
『胸のカップ数』で考えるものだ。

Oカップなんて聞いたことあるか?ない。
Oカップの女性なんて見たことない。

Iカップには聞き覚えがある。
だからIの方が先なのだ。

DEFGHあたりもカップ数をイメージすることで
位置が瞬時にわかる。便利である。
デメリットはアルファベット後半には使えないことだ。

いちいち辞書を閉じてアルファベット順が書かれている
小口を確認するしかない、時間はかかるけど
アルファベット歌を最後まで歌うよりは早い。

アルファベット順早覚え法後半編、
知っている方はご一報ください。

ちなみに最近まで知らなかったのですが
小口にアルファベットが書かれているのは
日本人用(アルファベットに慣れてない人用)です。

先日の小論文のテストの際に
イングランド人の友達に
「この仏仏辞書にはここ(小口)にアルファベットが
書かれてないから探すのに時間がかかる」って言ったら
「なんで?」って顔されました。

彼女の仏仏辞書はもちろん仏英辞書にも
親切なアルファベット順は書かれていなかった。
そらそうか、順番頭にちゃんと入ってるから。

ちなみに私のもってる子供用の仏仏辞書には
アルファベット順かかれています。
こんばんは。
今回は心臓が痛くなる記事です。
3秒心鍛えたのち読んでください。4分もちます。
   


この画像、おとといからネット上や街中で何度も目にします。
意味は「私はシャルリー」
 

7日の午前11時過ぎに起きた事件をきっかけに
いま多くのフランス人がこの画像を使用して
みずからの意見を主張しています。
 

フランスの風刺週刊誌シャルリー・エブドのパリ市内の本社に
覆面をかぶり重装備の男2人が侵入し銃を乱射。
会議中だった編集者や風刺画家を含む12人が犠牲になりました。
 
日本のネットニュースでも記事になっています。
http://www.sankei.com/main/topics/main-28086-t.html


私が事件を知ったのは7日の夜、
この不幸が起きて9時間近くもあとです。
いつものようにフェイスブックを開くと、
フランス人の近状が全て悲しみと怒りにあふれていて
何事なのだと思いました。
   

     
犠牲者に対する悲しみ、犯人への怒りでもありますが
なにより、
「表現の自由が危ぶまれた」ということが
特にフランスの人々にとって悲しみであり怒りであるようです。(それ以外の人にとっても)
 

報道によると犯行はイスラム過激派の
テロ組織アルカイーダの一員によるものだそう。
 

件の週刊誌は以前からイスラムの風刺画を掲載し
脅迫を受け、それでも屈せず新たなものを載せ続けていたようです。
(もちろんカトリック、政治などそれ以外に関する風刺も)
しかし度重なるイスラム系からの脅迫により、
誌専属の画家には警官が2人ついて
つねに警護していたようですが
この警官らも事件で犠牲になりました。

  犯人は風刺画に対する報復として計画的に襲撃したと思われます。

 この「表現の自由」への襲撃に
フランスでは大きな反応がありました。
 
事件の翌日の新聞です。
どちらも1面で、大きな見出しには
Facebook上でもよく見た「liberté」(自由)の文字が。
「自由に対する殺人」
「自由を殺そうとしてしまった」
   

「自由、平等、博愛」は
フランス革命のスローガンで、国の標語でもあり、
フランスにいると1か月に3回は耳にするほど (日本は標語なし)
フランス人の基礎になっているともいえる
大切な要素が危ぶまれているのです。
事件のあった夜には
パリ・リヨン・ナントなどフランスの各都市にて
追悼と弾圧に対する抗議の集まりがありました。
 
イスラム教信者でも「Je suis CHARLIE」の紙を
手に集会にでた人もいます。
「風刺画に納得いかないのであれば、
ペンでそれに対して答えなければいけない」という主張です。

私の住む街アンジェでも。
翌日に残ったろうそくとパネルや
表現の自由とそれに対する脅威への抵抗を表すペン。
お花もそなえられていました。
   


  街のBD(欧米漫画)屋さんも
CHARLIE HEBDOのバックナンバーを展開。
   

  すこし歩くと
お土産屋さんの入り口にも手書きの
「Je suis CHARLIE」の紙。
   


  この一連のうごき、すごくフランスっぽいなぁと思いました。
 
自由が危ぶまれたことに反応し、(もちろん死傷者が出たことにも)
自分の意見を瞬時にネット上でも、街中でも主張する。
 
風刺週刊誌の存在、
Facebookでフランス人皆が皆
この事件に対する反応を示していたのと、
新聞の見出しが「死者何名」などでなく「自由」に関するものだったこと。
 
こんな言い方は良くないかもしれませんが
「ああフランスにいる」と強く感じました。

私もこの事件は心がいたくなります。
フランスにいる間なんども
個々の表現の自由が日本より許されていると感じていました。
(カルチャーショックを受けるほど)
この国で それが武器によって脅されているのをみて
心がいたいです。


ところで報道を見て数人の友達が
心配して連絡をくれました。
私は元気ですピンピンです。ありがとう。
この事件は狙いが定められていたにせよ
フランスでのテロの危険性は高まっているそうです。
 

だからといって 警戒レベルが下がったあとも
フランスは危ないテロの国だ
行かないでおこう行くのを許さないでおこう
 と思う人がいると私はかなしいです。

いつだって命の危険はあると思います。
日本は地震が多いよ。
安全なところなんてあるのでしょうか。

  そういうことを歌った「危険があるから引っ越そう」から始まる
アナログフィッシュの「抱きしめて」という曲。
良い曲なので、よければ。
https://www.youtube.com/watch?v=MBKxB2P_bXY

ホストシスターのROSEが今週から
日本語を自主的に勉強し始めた。自主的に。

私がパリのアジアショップで買った
「おこのみソース」の文字を覚えることから始まった。

「まっくろくろすけはどうかくの~?」
「うさぎは~?ねこは~?いぬは~?」と、
色んな単語を聞いてきては
私が書いたひらがなをうつして下にローマ字で音をかいている。

うさぎ
usagi 

こんなふうに。

彼女的日本語ブーム到来で学習意欲はさらに広がり
パソコンでローマ字付きのあいうえお表を印刷して
知ってる単語を1人でひらがなで書きはじめた。

そんな中、昨夜寝る直前に
彼女にされた質問がこちら

「『ぼけなす』の『ぼ』ってどうやってかくの~?」

ぼけなすは日本のアニメ好きな友達に教えてもらったらしい。
小3レベルの女子たちにウケる単語ぼけなす。
ボケなナスビって変だもんね。

彼女の日本語ファイルに挟まれたあいうえお表は
スタンダードなもので
濁音半音ちっちゃい「つ」などもろもろの音がなかったのだ。

聞かれた瞬間にはとりあえず
「『ほ』の右上に二つ点つけるのよ~」って言ったけど、
なんで「ほ」なのか、うまく説明できなかった。

日本人には
「『ぼ』は『ほ』の濁音だよ~」で通じるけど
そうは説明できない。
彼女の頭の中では
アルファベットで音か構成されているんだもの。

BOがHOの濁音だよってどういうことだよ。
POもHOと関わりあるんだよってどういうことだよ。

言ってみて考えよう!
ほ・ぼ・ほ・ぼ・ほ・ぽ・ほ・ぽ・ぽ・ぼ・ぽ・ぼ

発音するときを考えれば、口の形も舌の位置も変わらない。
ただ「ぼ」と「ぽ」のときは口を1回閉じないと発音できない。

なんとなく「ぽ」は破裂音な感じで「ぼ」は振動音?

さてインターネットで調べてみよう!


  • 清音 「ほ」: 声帯を近づけてその間を通る息の摩擦音。無声。
  • 濁音 「ぼ」: 両唇を閉じてから開く破裂音。有声子音。
  • 半濁音 「ぽ」: 両唇を閉じてから開く破裂音。無声子音。

    (ウィキペディアより引用)

  • なるほど。 「ぼ」も「ぽ」も破裂音だけど有声か無声かなのね。

    ただ無声子音 有声子音ってなんだ。

    うぅ~ん、インターネットをさまよい2000年代風のHPでわかりやすい説明を発見!

    声帯が震える子音を有声子音、震えない子音が無声子音 だそう!
    なるへそ。ぼのときは震えてるのか!?短すぎてよくからん!
    「ぼーー」ってのばしたらオになっちゃうし。

    でもこれで違いはわかったぞ!
    説明もきっとできる!
    「口の形と下の位置が同じだから関係あるんだぞ~~!」って言おう。

    その頃にはもう忘れてるかな。ROSEちゃん。
    バカンスの間だけ一緒にいるから次に会うのは2月。
    (フランスほんとバカンスおおいです)

    ところでインターネットをさまよっていたら
    こんなおもしろい不思議をみつけたよ。

    かぞえ方の「本」は いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん って
    数によって発音が違っている!
    新たな研究対象ですな。

    足が冷えたので今日はこのへんで。
    フランス人の家で日本映画「そして父になる」をみた。

    バカンスがあける前日、
    仲良くしている50代のマダムのおうちにランチに行ったら
    「午後は仕事するからよかったらこの映画みたら~?」と言われて
    渡されたのがこのDVD。

    彼女は4年前留学していたホストファミリーのご近所さんで
    時々私にフランス語を教えてくれていた。

    文化面でもお世話になった。
    演劇やサーカス、映画につれていってくれ、
    当時16歳の私は彼女に村上春樹を教えてもらった。
    映画「ノルウェイの森」もミニシアターで一緒に見た。

    今回の留学でも、バカンスの間
    ホストファミリーの家に帰ってくるときには
    必ず連絡してお話をする。
    おしゃべりでおしゃれで素敵なマダムである。

    そんな彼女が大絶賛の「そして父になる」

    6年間育てた息子が実は違う家の子供だった
    という取り違えのお話。
    高層マンションに住み息子を小学校お受験させる父親を演じるのは福山雅治。

    なんとも父親役がさまになってない。
    でもそれがいいんでしょう。
    「なんか違うよ~」っていう父親役がはまっている。

    福山家族と取り違え相手の家族、
    二つの家族は会う回数を重ねるようになるのだが
    6年間大切に育てた息子は
    実の親であるオンボロ電気屋の
    箸の持ち方も知らないお父に懐いているのに、
    こっちの実の息子はなかなか懐かない。

    なんでだろう、って。
    きっと間違っていたんでしょう、
    判断する基準を。
    「子供はこう育てるべきだ」って思って
    それに従って間違いなく育ててきたけど、
    もともとの基準が間違っていた。
    子供を幸せにするために英才教育をさせるって決めて
    その通りにしたとしても
    果たして子供は頭が良くなって
    いい会社に就職できたとして
    幸せなんだろうか?

    私は子供産んだことないし
    今欲しいわけでもないので
    まだよくわからない。
    ああ書いたけど福山さんが
    完全に間違っていたとも思わない。
    実際育てた子供も懐いていたわけだし。

    私が言いたいのはとにかく
    ベースが間違っていたらもうダメだ。
    そのベースに従って考えてもダメだ。
    ということで
    自分の話である。

    私はこの頃
    自分の選んできた選択肢を
    判断する基準がおかしかったなぁと思う。
    自分で考えて選んできたつもりだったけど
    ベースのところを何も考えていなかった。


    フランスにいると私は日本人だと強く感じるし
    東京にいると私は大阪出身だと思う。

    今ここでは私は何も考えてない、そこから進もうとしていないと絶え間ず思いしらされる。