シャワー中は浴室から「パオ~ん」という叫び声が聞こえていたし、
私が高校留学する際には
自分も新しいことに挑戦するといって、
腹話術を始めだした。
わさびのチューブが終わりかけのときは
そこに醤油をいれ、
歯磨き粉が終わりかけの時は
チューブを切って、最後まで使い尽くしていた。
そして独特の略語を使う。
「どういたしまして」は「どいたま」
「おまたせ」は「おまた」
あと1文字くらい言えばいいじゃないか!
と思うのだが、
そんな人なんだからしょうがない。
あまり周りがどうだから、、とかではなく
個人の基準で生きている人なのだ。たぶん。
彼が私の父なのだ。
彼の血が私にも流れているのだ。
時々、その遺伝子の存在をどうしようもなく感じてしまうときがある。
私も、「変な人」と思われることが多い。
特に、知り合って間もない人に。
「カワイイ」と同じで「変」という言葉も
幸か不幸か幅が広くなってしまった。
笑いながら言われる、
「ワタコって変やんな~」は単に
「ちょっとキャッチーだねぇ」くらいの意見だ。
そんな場合は私の中の父の遺伝子はばれていないはずである。
父の「変」、そして私の中にある父の遺伝子の「変」は
キャッチーとはまた違う。
「うわぁちょっとこの人、変わってるわぁ~」と、
素の心にあらわれる「変」なんだ。
親しい人には、ふとした瞬間に真顔で
「ワタコって、ほんま変わってるよな」と、
みつめられながら何かを確認されるように言われることがある。
これは私の中の「父」がばれてしまったのだろう。
そして「この人変!」という心の叫びが
ある程度溜まり、本人に確認という段階まできたのだ。
最近、私の中の「父」を発見したのは
私の入浴方法である。
毎朝、両手をまぶたの下にあて腕で頬を隠し、
そこからシャワーの水をつたわせ
まぶたに当てている と知人らに話したら驚かれた。
理由はシャワーをまぶたにあてると
むくみがとれるからである。
そしてシャワーの水を直接あてるのは
肌に悪い。
手を使って水力を弱め、
腕で頬を隠すのは当たり前のことだ。
これが私の編み出した現時点最高の
まぶたむくみ解消法だ。
と誇らしく思っていたのだが、
知人らはそんなことしないらしい。
ただ目を覚ますために顔にバシャッと水を浴びているのだそうだ。
そんな話をきくと、この効率を考えた行為、
少し父っぽいな、、と思った。
私は、父が変だと知っているから、
自分の中に父を見つけるとき、
「あぁ私って少し変なんだ」と自覚することができる。
それ以外にも、父がしていた謎な行動を、数年たって
している自分に気づくことがある。
そんな時は、遺伝子に嫌気がさしつつも、
あの理解不能な父のことが
少しわかった気になる。
だって「おまた」の方が人生が楽しくなるじゃない!


