文章をあれするための、あれ。 -13ページ目

文章をあれするための、あれ。

日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

「1億人のプチ狂気」という本を読んでいる。

ネットサイトの投稿コーナーで、
人に言えない性癖や行動、余計な心配事を
一般人がカミングアウトしたものが
一冊の本になっている。

例えば「公共の場でまとまったスペースをみると
側転せずにいられない」人や
「人の目をみるとき右目か左目、
どちらを見ればいいのかわからず混乱し、
話の内容がわからなくなる」人など
さまざまな人の「プチ狂気」が載っている。

「えぇぇえ!?」というものや「あ~わかる」というもの、
いろいろあるのだが読んでいて
思い出したのが私が子供の頃の「プチ狂気」

おえかきをする時、
必ず顔から足までかかないと
その描かれた人物は天国に行けないと思って、
必ず全身描いていた。

私の中では「おえかき帳ヘブン」なるものがあり、
人やキャラクターたちは描かれると
そこに行くのだ。

しかし、全身描かれなかったら地獄へいく。

そのため、飽き性の私でも、
顔がイマイチうまく描けなかったときも、
足まで書くことは一種の義務だった。

描き始めたからには天国に連れていかなければならなかった。

何度か、もう「顔だけでいいや」と
おえかきをする手を止めようとしたこともあったが、
そのたび、頭だけのマンガ顔少女が
地獄で私を恨む姿が見え、
おびえながら全身を描くのだった。
プレゼントはうれしい。

なにがうれしいって、
それを用意してくれるあいだじゅう
私のことを考えてくれるんだってこと。

正直もらったものよりも
気持ちの方がだんぜんうれしい。
ほんとに。

ささいなプレゼントでも
「ワタコ枝豆好きって言ってたから・・」
といって実家でとれた枝豆をくれたりなんかしたら
それは枝豆を見たときに
私のことを思い出してくれたということ。

誕生日みたく、半ば強制的(良い機会ともいえる)に
プレゼントを用意するのではなく、
ふと、町をぶらぶらしていて
「あ!これ あの人にちょうどいいやん!」てのが素敵なのである。

何もない日のプレゼントは人々を制約なしに繋ぐ。
逆にいえば 何もない日のプレゼントを見つけちゃう相手は
少なからず自分にとってたいせつな人だ。
頭の片隅にいて、いつでも出てこられるような。


何もない日のプレゼントは、
あげるのもうれしい。
というか、もらうよりうれしい。

みつけちゃって、手に入れて、
相手の反応を想像して、あげるまで全部が
たのしくてうれしい。

誕生日プレゼントより
「相手のことたくさん考える度数」も
ふと すごく良いものに出会える可能性も高い
何もない日プレゼント。
もっとしていこうと思います。げりらプレゼント。
おたのしみに。
子どもはアホだ。
アホだから好きだ。

今日の子どもたちも最高にアホで愛らしかった。

日雇い派遣の仕事が終わり、
クタクタで電車に乗った。

この駅が終点だから、車内はガラガラ。
出発を待つ。

ぼーっとしていると
いつのまにやら人が増えていて、
何やら子どものわめき声が
なかなかの音量で聞こえてくる。

なんだなんだと声の先をみると、
車内の端にある
大人3人分くらいの長さの椅子に
男の子が四人、椅子にひざ立ちして
ぎゅうぎゅうに押し合っている。

丁寧に靴脱いで並べてまで
何やってんだって、
窓の位置のポジション取り。

私も小さい頃ああやって
窓から外の景色みてたなぁとしみじみ。
見てるだけでとてつもなく楽しかったのだ。

それにしてもこの男子達はうるさい
皆で押し合って「いたい~いたい~」
「まどみえへ~ん」とぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうしている。

出発もまだなのに5分ほどむぎゅむぎゅしていて
アホ可愛くて私はニヤニヤするのをこらえ
必死におちょぼ口をした。

そして遂に出発のときが訪れるのだが
盲点だった。
私たちが乗っていたのは地下鉄だったのだ。
窓から見えるのはコンクリートの壁のみ。
ずっとみても何も変わらない。
「あっ!家が動いてる~!」とか言えない。

さっきまであんなに騒がしかった彼らは
ただ黙りながら窓の外のコンクリートを見ていた。
私は笑いがこらえられなかった。

そんななかふと思ったのは
「期待している時が一番楽しい」ということ。

現実はショボい。
期待してもがっくしするだけ、と
年をとるにつれ期待をしないようにしてた私を思い出す。

そうこうしてるうちにも電車は進む。
なにやらこの線は特別みたいで、
なんと地下鉄ではあるが途中で外に出た!

ここではあの男子らも大喜び!
「ダイナソーが近づいてきた!」と
わけのわからないことを叫ぶ。

でも、コンクリートでも、
見るのをやめなかったから
近づくダイナソーが見れたのだ。

「なぁんだ ずっと同じやん」と
窓に背を向けていたら見えなかった光景だ。

期待をして楽しんで、現実にがっくししても
諦めなければ良いこともあるのかもね、と
彼らに教えてもらった。

だからアホな子どもは好きだ。
商店街を平日20時過ぎに歩くと、
ぎょっとするような行列にでくわすことがある。

仕事おわりの疲れたサラリーマンやOLで
構成されたこの行列の先は
お惣菜屋のレジ。
閉店前のタイムセールだ。
店員さんが「お買い得~お買い得~」と
叫びながら最後尾を案内している。

よくみると疲れた顔の大人たちはオレンジのお盆に
そんなに食べるのか?って程、
いくつものお惣菜をのせて待っている。

この光景を見るたび、絶望を感じる。
仕事に疲れ、料理する気力もなく、
安い惣菜を行列に並んでまでまとめ買い。

彼らは幸せなのだろうか。

レベルの低いストレスをレベルの低い快楽で発散しようとすると
生活の質は下がるのみだ。


ちょうど2週間前の私を思い出す。

兵庫の田舎のさびれたホテルに住み込み、
ウェイトレスのアルバイトをした。

環境はすこぶる悪かった。
部屋は汚い・空気は悪い・水もご飯もまずい・人間関係も微妙。
朝早く働いて昼に寝てまた夜働く。

単調な仕事、何も考えない頭、質の低い生活で
爆発するほどではないものの
みりみりとストレスが溜まっていた。

そうすると、それをどこかで発散したくなる。
わたしの場合はお菓子だった。
ちょっとコンビニに出掛けると
ついついチョコやじゃがりこを買ってしまう。
お腹も空いていないしお金もないのに。

レベルの低いストレスをレベルの低い快楽で解決しようとしていたのだ。

そういうことをしていると、
生活のレベルもどんどん下がってくる。
心もどんどん死んでいく。

そんな質の低い生活者達が
集まった平日20時の惣菜屋はまさに絶望だ。
できれば見たくない。

しかし、そんななかでも稀に希望と触れ合えることはある。

こないだの平日20時は例の惣菜屋は良かった。
惣菜屋に並ぶ死んだ人達の横を
よぼよぼのおじいちゃんが自転車で駆け抜けた。
あの、古い人がよくやる独特の漕ぎ出し方、
ペダルに片足を乗せ、もう片方で地を蹴り
勢いをつけるあの漕ぎ出し方で駆け抜けていったのだ。

会社員達とよぼよぼのおじいちゃん、
死に近いのはお爺のはずなのに、
生きる希望をくれるのは彼なのだ。

どうか、私もお爺側で生きていたい。
ブログを更新しなかった週末、
豚を見に行っていた

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週末ステイしていた家族の親戚が
家畜農家で、食べるようの牛と豚がいたのだ。
昼食が終わってデザートの合間に散歩ということで家畜達を見に行った。

牛はこんな感じ
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この牛達は外から見えるようになっていたが、
豚達は長屋のようなものの中にいた。

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豚を見たいと言ったら、農家の奥さん
「本当に?臭いつくよ~私でも滅多に行かないのに」と、
連れていくのが嫌そうな顔で言われた。

行ってみると予想以上に心臓をやられた。
豚達すごく怖い。

入ると、近づいてきてなくのだ。
ブヒブヒなんてもんじゃない。
グフォグフォなく、叫ぶ叫ぶ。
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この豚達を前にすると
彼らがとんでもなく不幸で、
私が責められている気になる。

奥さん
「この豚達1週間後に連れてかれるから
今はあんまりエサやってないの~
だからなくの~
最後に食べ過ぎると脂肪になってまずいからね~」と
平気で彼らの前で説明する。

わたしゃたまんなくて逃げだしましたよ
もう豚食べランねぇと思いながら

でもその日食べたお昼豚のロチだったんだよ、
豚肉のオーブン焼き。
家ではもちろん自分とこの家畜のお肉を
使っているて言ってたのよしかも。

あぁ、ここで育った豚を食べたのね、、と思う。
あのグフォグフォなく豚を、、。

「千と千尋の神隠し」で大量の豚がグフォグフォなくシーンがあるけれど
あのシーンのおそろしさが今はわかる。