読むものがないというのは地味にストレスだ。
自分のことを読書家とは全然思ってないのだけど、そんな私でも一定の読書量が必要らしい。けれど読めればなんでもいいかというと、事実の羅列である新聞だけでは全然満足できないので、おそらく他人の考えとか感情に触れられるものがいいんだと思う。
クリエイティブ系のことをしている人は、インプットしないとアウトプットもできないとよく言っていて、そういうものなんだなあと他人事に思っていたけれど、なにかを生み出したり表現しなくたって、ある程度インプットすることは人間の基本的な欲求なんじゃないかと、自分がこうも飢餓状態になって気づく。美術館でも映画でもファッション誌でも、インプットしたいものは人によって様々だけれど。
ちょっと前は気に入った小説家の本を図書館で読み漁っていた。けれど、最近は忙しいせいか、はたまた自分の人生だけでも悲喜こもごもいろいろあるせいか(だって家族の人生で起こることだって私に良くも悪くも多大な影響を与えるのだ)、架空の世界の悲喜こもごもまで感じとりたくないという気分なので、となると読めるのはエッセイかノンフィクションくらいしかない。
そんなの何読んでいいかわからないよ~と思っていたところに、ふと友だちがそういえば米原万里さんを好きだったことを思い出す。彼女はエッセイストではないか!!
そう思ってさっそく図書館で借りてきた。
読みごたえがあるのに面白すぎてびっくりした。
本を読んで噴き出してしまったのもこれが初めてだ。
友だちは東京の空の下で一人で本を開いてこんな面白い世界に入っていたのかと思うと、なんだか誇らしいような、自分が時間を無駄に過ごしてきてしまったような悔しい気持になる。なんでもっと私も早く読まなかったんだろう!
その理由の一つは、私がミーハーだからだ。誰もが知ってるような著名作家の本しか読む気がしなかった。バカだなあ。
もう一つは、友だちが愛してやまない作家(そんな気がした)に、そう簡単に手を出してはいけないと思ったのだ。言ってみれば別れてからって友だちの元カレに即手を出す感覚と似ている。節操がないし、だいだい友だちにたいする敬意がない。
けれど友だちと米原万里の関係を知ったのは、おそらく10年以上は前である。もうそろそろ時効ではないだろうか。
そんなわけで、また図書館通いが始まったのだ。
読む本があるというのは、幸せなことである。
