方便
嘘も方便
使い方、間違ってる人が多いね
利己的に使われてて相手を不快にさせてる。
良い結果の為の必要な嘘。
そもそも方便って言葉は仏教用語だ。
一旦理解するための仮の教え。
それが一人歩きして利用され諸派が生まれた。
例えば小さな子供には、知らない人にはついて行かない。
とかね。
見極める力がないからね。
とにかく浅い考え。
よく滝行が良いとか、、、、、。
寒く冷たくて忍耐力は身につくだろうが、それはそもそも滝という困難に対して向き合うつもりで行ってる故に心構えができてる。
不測の事態が起きる娑婆世界では感情を揺さぶられるのでそういった修行自体は本質的に意味をなさない。
ペースメーカー付きのフラットなマラソンで好記録を狙うようなものだ。
本当のレースはアップダウンがあったり、駆け引きがあって揺さぶられたり、雨が降ったり、向かい風、自分のペースを乱される。
体調良くて気分良くて余裕がある時、人に優しくできて自分は優しいと豪語するようなものだ。
どんな困難な状況でもやり通すことが大切。
寺社仏閣、パワースポットに心が洗われると思うのは自由だが、本質的には生きてるその瞬間に全ての答えがある。
人と接して感情が湧き出て、それに対してどう対処していくかが修行だ。
常にいろんなことにイライラするのは何故?
そのイライラする自分を放置していたらどうなる?
有意な状態で余裕とは言えない。
お金があるから余裕があるって考えも方便だ。
常にどんな状況に追い込まれても動じない心ね。
さあ僕も常に起きてることに感情を揺さぶられてるが、動じない強い心を持つ。
ちょっと宗教じみた内容になったけどそれが本来の人生である。
それでは。