当たり前の境地
人それぞれのデフォってのがある。
個人的に最近流行りのデフォという言葉は好きではない。
デフォルト
・債務不履行
・初期設定。
普通。いつもの状態として使用されている。
普通の状態がいかに緻密で洗礼されてるかでその人のレベルが表される。
かつての自分はかなり低かったが、いわゆるデフォルトのハードルを高めた結果社会復帰に近づいていった。
そして嫌悪感ってのが異様に少なくなっていった。
今思えば自分を高めることだけを考えた努力をしていれば右往左往することがなかった。
しかしそれも必要な寄り道だったのかもしれない。
アスリートとは言えないスポーツマンだったけど、今でもイチロー、室伏広治は尊敬している。
彼らの好きな言葉がある。
イチロー、
『気分が乗らないから』は無し。
室伏広治、
トレーニングが嫌にならないか?とのインタビューに対して、『嫌とか嫌じゃないとかそういうレベルでやってない。』
成功者という表現より上手くいってる人のマインドを取り入れ、努力を生活に組み込むことが重要だ。
当たり前だろうけど、その当たり前を実行すればおのずの道が開けて行く。
少しづつその当たり前のレベルを上げてみましょう。
それでは。
ウサギと亀
昨日、長く続かないマインドについて書いた。
共通して自分に甘い。
よく言えば自分の気持ちに正直(笑)
しかしこの決断を継続するリスクは甚大だ。
気分が先行し、本来やるべき事を遂行しないのだから。
ただやると決めた事だけ邁進して結果を出すやり手は除くが、どんな事に対しても一つ目の課題で諦めてしまうだろう。
このマインド脱却に着いて自分なりに考えて答えを出した。
まず僕の経験、無責任な自分に喝を入れる決意をした。
確実に自分に厳しくできる事柄から始め、徐々に難易度を上げる。
一番最初に手をつけたのは誰もいない短い歩行者信号を守る事だ。
車が来ない状態なら普通は無視だ(笑)
しかし渡りたいという願望にストップをかけた。
これに何の意味があるのか!
信号無視というのは道交法で違反なのは重々承知だが、誰も見ていないところで渡りたい自分を強制することに意義がある。
誰か見ている状態で信号守ることなんて他人の目を気にしていた自分には普通だった。
このようにまず誰も見ていないところでズルをする自分に喝を入れることを徹底していった。
かつてズル賢く生きていた自分、そのせいで皺寄せが来ていたが気もしなかった。
何でもそつにこなし、できない人を小馬鹿にしていたイジ悪い自分。
ウサギと亀のウサギのようだった。
そんな自分を見切り、亀として生きることを選択した。
そんな感じで地道に一つ一つ課題をクリアしていくと変化が現れ出した。
つづく
波
この歳になって浮き沈みがなくなった。
当たり前に。
記憶にあるのは20代かな? かなり不安定やったなぁ。
基本的に浮いてる状態で決めることって続かない。
気分も上々、体調良し、無敵だ。
しかしやがて徐々に下がってきて弱気になり、あの時の最高潮の自分は影を潜める。
そして逆に下がった状態で思い浮かぶことはネガティブシンキング。
からの上昇トレンドで繰り返す。
YouTubeに少し出させてもらってから視聴者からのメッセージが増えた。
よくあるのが温かいメッセージとお店に来たい系の内容。
しかしこの手の人達のやり取りはほぼ長く続かない。まさにメッセージを送った1ターンがマックスなのだ。
やがてやり取りができた満足感から激減し無くなる。
さらに似たケースは面接だ。
思い高まって勢いで面接に来て、やる気満に見えるが正に躁状態。
採用し1回目の来店率は半分以下、続いても1ヶ月くらいが関の山だ。
熱しやすく冷めやすいといった表現だが、長く続かないマインドなので生活に支障が出る。
さてこれを性格という枠組みで片付けて良いものなのか?
かつて自分もそのような性格?で右往左往していたけど、得られる結果は得て失っての繰り返しだった。
ある年齢に達した時に自分の不甲斐なさに気づき、そのマインドから脱却する挑戦が始まる。
長期間気分で決めていた行動を強制するのは容易ではなかった。まさに自分の中に天使と悪魔が潜んでる状態だ。
決意したことも先送りして頓挫の繰り返しだ。
しかしどこかで転機を作らねば一生腑抜け、いや年々酷くなる未来が待ってる。
その強制を実行するキッカケ、実は単純なものだった。
続く







