学生の頃、いろいろなバイトをした

一番性に合っていたのが引っ越し屋のバイト


引っ越し屋は覗き見するというか、ガン見するというか、他人の生活が丸見えになる

当時はバブルが弾けた直後だったので、大きな一戸建てから小さな賃貸に引っ越す家族だとか立派な持ちビルから自社の物件であろう観光地の廃墟みたいな旅館に引っ越すとか、そんなのも多かった

関空開港に関係する大口の引越しも何件かあって、税関の引越しと全日空だかなんだかのCAの寮の引越しというのに参加した。税関は書類の箱が6千箱もあって腕がパンパンになったし、CAの寮の方はパンツが盗まれただの嘘かほんとかわかんない話が飛び交っていた

印象に残っているのはよく国道の脇で蟹とか桃とか看板出して売ってるでしょう?あの商売をやっている人の引越し。蟹や桃、みかん、りんご、松茸…もう笑っちゃうくらいに色んな種類の看板を持っていた。引越し先は当時億ションと言われた大きなマンションだったので、あの商売って儲かるんだなと驚いた

他にも20代半ばでペントハウスみたいなところに住んでいた綺麗な女性。ベンツに毛皮のコートとか、完全に別世界の住人だ。

この日は完全お任せパックで荷造り一式我々がしたのだが、「アンプくん、ちょっと」と一緒に行ったおばちゃんスタッフが小声で手招きするのでついて行き、おばちゃんが指差した洗面台の下を見ると、いちじく浣腸を箱買いしてた


肉体的にはきついけど、飽きないので2年くらいバイトを続けた。仲間も面白い人が多くて、このまま社員になってもいいかな、なんてぼんやり考えていた


阪神淡路の地震が起きて、神戸支店が被災したので大阪から応援に行った。

瓦礫の中にヒビだらけになったマンションから荷物を搬出するのだが、エレベータが止まっているので9階とかの階段を延々往復した。何より道路がずっと渋滞しているので、行くだけで多額の残業代がついた。指令書を見ると、普段の倍の料金を取っていた。むう

被災地に自社のロゴが大きく入ったトラックでおにぎりを差し入れる一方、被災した人からは普段の倍の料金を取る。人件費とか考えたらそうせざるを得ないのだろうが、大袈裟だけど、これが資本主義の限界だ、なんて幻滅したのを覚えてる


次の年、今の仕事を始めた。