志ん生師匠の『びんぼう自慢』(ちくま文庫)を読みました。
ご自身の生涯について語られたものですが、志ん生師匠の語りで想像しながら読んでしまいますから、面白いの何の☆
少年時代、父親の大事にしていたキセルを質に入れてしまったの時の描写が特に面白く…
「おやじは長押(なげし)にある槍をおろして、そいつをしごきながら、
『あンちきしょう、どこへ行った。槍玉にあげてやる、ウーム!』
って、まっ赤になってうなってる。お袋のほうは青くなってるから、何のこたァない交通信号です。
世が世ならばなんでしょうが、明治の御世(みよ)に親が子供を突ッ殺すなんてえことはできやしない。
でも、親父の気性なら、ひょっとするとやり(槍)かねない…なんてえノンキな洒落をいってる場合じゃァありません」
…ネ?最高でしょ♪志ん生師匠の声がモロに聴こえてきて、読んでて爆笑でした☆
関東大震災の時、おかみさんと一緒にいた師匠は、箪笥の上にあった鏡台が倒れるのを見て…
「オレたちァ、兄弟(鏡台)なんぞじゃァねえ。夫婦だ」
…ってのも面白いっす♪
その面白さは、笑えないシチュエーションで発しているからこそだからでしょう。
貧乏しながらも、真似のしようがない道楽三昧の中でも、落語が心底好きで、且つ、落語の稽古を怠らなかったこそ、名人になれたのでしょう。
三島由紀夫が『小説読本』の中で、理想的な小説家は…
「情感百パーセント、理智百パーセントほどの、普通人の二倍のヴォルテージを持った人間であるべきで、バルザックも、スタンダールも、ドストエフスキーも、そういう小説家であった」
…と仰っていましたが、理想的な噺家もそうかなと思います。やろうと思ってもやれるもんぢゃないですから。正にそれが、古今亭志ん生。
「あたしんとこへ客が寄るなんてえことは、猫がワンと鳴くより、もっと珍しい」
「お礼として二十円送ってきたときの、かかァのよろこびなんてえものは、そりゃァ大変なもので、
『まァ、うれしい、二十円、あんた、二十円だよ!』
てんで、あたしゃァ、かかァがあたしを捨てて、その二十円と結婚するんじゃァねえかと思ったくらいでしたよ」
…志ん生節を存分に堪能出来る一冊です。是非!