向かいに住む義母、最近めっきり顔を出さなくなった高2男子(内孫)が部活の時間調整のために、ちょっと顔出し。
義母、寒くなかったか?そんなに遠くから歩いてきて(私達に向かって、暇なら迎えに行ってやれ)大変だったなと、およそ高2男子を小学生低学年生のように扱う。高2孫は『うーん』『あー』と気のない返事(小さいころから)
義母が『お茶かジュースどっち飲む?』と孫に投げかけ、孫は『水がいい』と返答。
聞くと、本当に水が好きらしい。
孫が帰り、我が家で義母と夕食時、妻が『サイダーあるからみんなで一口ずつ飲もう』と提案。
義母は『(高2孫)がジュースも飲まず、水を飲んだ』『お茶もジュースも飲まないでエライ!』『水、おいしいよね』『(だから)私も水でいい』
『お前たちも水にしな』
いやいや、あなたが水飲むのは勝手だけど、どうせ水飲むなら『水で』じゃなくて『水が』じゃない?
ガマン心が言葉に出てしまってるよ。『水で』という表現は『サイダー飲みたいけど、高2孫を褒めてしまった手前、水でもしょうがないな』って聞こえます
その辺の細かい心情と表現が噛み合わなくなるのは老化の一つかな、それとも生来の性格かな。
私は後者の要素が強いと思う…。