正と誤(客観的事実)か善と悪(主観的事実)か | ライバルがいない道を歩く技術「ビジネスメンタリズム」

ライバルがいない道を歩く技術「ビジネスメンタリズム」

あなたの授業やセミナーがエンタメ性溢れる「魔法の授業」に変わる!本格メンタリズムを駆使したエンタメ講師、日本唯一のビジネスメンタリスト®が魔法の授業のコツを書き連ねています。
※メンタリストとはメンタルマジックを行うマジックパフォーマーの事です。

あなたが何かを判断するときに基準としているのは

「正しいか誤っているか」
 
「善いか悪いか」
 
どちらですか?
 
どちらも大切ではあるが、どういう使い分けをしていますかか? 
 
たとえば、言っている理屈が完全に間違っていても、

「この人は良い人だからまあいいか」
 
という、正誤(客観)より善悪(主観)を取る場合があります。
 
たとえば、非常に正しいことを言っている人に、
 
「言い方が気に入らない」

「批判された」
 
と言って、正誤(客観)より善悪(主観)を取る人などは非常に多いです。
 
客観が素晴らしくて、主観がダメだというのではありません。
 
人は「正誤(客観)」より、「善悪(主観)」による判断の方が思考を使わなくて楽なので多くの場合従いたくなります。
 
特に、自分の主観的な判断をけなされると人は腹が立つものです。
 
人は、自分の主観(善悪判断)こそが「客観的事実」であり「正しい」と思い込んでいるのです。

「無意識に客観視」出来る人は存在しません。
   
私もそう言う傾向があるが、このことを知っていると知らないとでは発信する情報の質に差が出ると思っています。
  
お金をだまし取られている人が多く存在している客観的事実に目をつぶり、「私はあの人を信じているからそんな情報はウソだと思う」と、主観的事実だけを見つめ続ける人が身近にいます。
 
身内が犯罪を犯したときに、警察に突き出さず匿まってしまう心理です。
 
私にも、「まあ、この人だから多少無茶を言っても仕方がないか」と苦笑しながら許してしまう仲間がいます。
  
人に(主観的に)好かれてしまえば勝ちなのは確かに真理です。
 
それでも、教育業界の末席を汚す立場にいる以上、「正誤」による判断は自分の判断基準として持っていたいと思います。
 
自分の基準がブレたとき、自分の判断に集まってくれた人は離れていきます。
  
思考するのを止めたらこの業界を離れなければならないのです。
 
ブレないためにも様々な立場からの見解を集めることにしています。。