こんばんは。
ブログにお立ち寄りくださいまして
ありがとうございます。



毎朝、マヤ暦で今日はどんな日か?
私の感じた開運ひとことメッセージを
お届けしています。



『猫との幸せな暮らし』が
私のいちばんのテーマなのですが

「なぜ、それでマヤ暦なのか?」については
こちら↓

今朝の記事は


先日、ラジオで
訪問医の小堀鷗一郎医師の話を
聞きました。



元々は外科医で退職後
訪問医となり多くの患者さんを
見送ってこられた先生。



話の中で印象に残ったのは
大きな病院の若い医師の
「医師としての良心が許しません。」
という言葉。



どういう場面での言葉だったのか
というと



在宅医療を受けていた患者さんが
緊急入院された後
自宅に帰りたいとの希望があり



小堀医師からも退院の提案がされた時に
その状態で帰すことに対する言葉でした。



私がもしその患者さんだったら
その言葉に絶望するな
と思ったのです。



病院は命を救う所だ
という使命があるのは
理解できるけれど



必ず誰でも最後には
死を迎えるのです。



本人が人生の最後を
どのように過ごしたいか?
どう死んでいきたいか?



良い死に方というのは人それぞれで
その人がそれまでどういきてきたか?



そこを考えることが大切だという
小堀医師の考えの方が私にはしっくりきて
その通りだなぁと思うと同時に



医師だけでなく多くの人にとって
死というものが極端に忌み嫌われるものに
なってしまっているのだな
と思いました。



私自身は人間よりも寿命が短い動物と暮らし
家族である動物の命の終わりを
間近で体験しました。



終末期の過ごし方についても
たくさん悩み、たくさん後悔もして
生死、命の流れを動物たちから教えてもらいました。



生と死は分けることのできない
ひとつながりの止めることのできない流れで
避けることはできない自然のもの。



必ず訪れる死を意識するからこそ
今を精一杯に
自分らしく生きることにもつながり



クオリティ・オブ・ライフと
クオリティ・オブ・デスは
ひとつづきのものなんだなと思っています。



私の周りの人々は動物と暮らしていて
動物たちが教えてくれる命のことを
考えている人が多く



死について
嬉しいものでは決してないけれど



極端に恐れすぎずに
自然のこととして受け止めようとする人も
少なくない印象を持っていますが



ラジオでのお話を聞き
まったく一般的な考え方ではなく
少数派なのだなということがよくわかりました。



小堀医師がラジオのお話の最後に
もっと死についてみんなが考えた方がいい
と話されていましたが本当に同感です。



終わりがくるのだと意識するから
本当に今が大切なのだと思えます。



最後に取っておくのではなく
やりたいことはすぐやって
会いたい人には会いに行き
伝えたいことは毎日でも伝える。



それが人生の質を高め

誰にでも訪れる死の時には

後悔を最小限にしクオリティ・オブ・デスを

高めることに繋がるのだと思います。




日々を過ごしていると

終わりが来ることを忘れがちになります。




だからこそ、あえて

時々こんな質問を自分にしながら

生きていきたいなと思います。




「明日、死んでしまうとしたら

 これをやるのだろうか?

 本当にやりたいことなのかな?」




ひとりひとりが「死」に意識を向けることが
それぞれが望む生き方や死に方を選べる
社会に繋がるのではないでしょうか。








読んでくださって
ありがとうございます!



穏やかな夜を☆彡