辺野古沿岸部埋め立て、やはり、承認!! | 三井三太郎オフィシャルブログ「三太郎のここだけの話」Powered by Ameba

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予想通り、いや、こうなるしか無かった!


結局は、そうなるだろうと思っていたら、やはり、そうなった。


だって、他府県で何処かが、「どうぞ、我が県に来てください、普天間基地そのまま、うちで、

受け入れましょう。」と、名乗りを上げない限り、そうなるしか、無かった訳だから。


(小学校がすぐ隣に有る、街中の)

米軍普天間基地反対、辺野古移転反対!!

を、訴えて2010年4月25日に、読谷村運動広場で10万人集会が、行われた時に、私も取材に

行ったが、複雑な心境になったのを覚えて居ます。



と云うのも、テレビでは、「反対、反対、絶対に県外に!!」と云う声ばかりが、







流されて居たが、

実際に地元で、取材をしてみると、「家族も親戚も米軍基地で働いているので、基地が無くなったら

食べては、いけませんよ!」とか、「うちは、米軍兵士を相手に商売をして居るので、基地が、無くなったら

困ります。でも、本当は、そう思って居ても、何言われるかわからないから、それを、テレビカメラの前で

云うことは、出来ません。ごめんなさい。」などと言う人が、かなり、たくさん居たからです。


今回も、反対を訴えて、県庁に1000人ほどが、なだれ込み、抗議をしたが、辺野古移転に賛成の、

署名が、8万人分も集まっても居ると、ウォール・ストリート・ジャーナルでは、伝えている。


私も、米軍厚木基地のそばに、住んだ経験が、有るが、ジェット機の轟音は、まさに拷問並みで有った。

ただ、その轟音も、三か月もすると、かなり、慣れてしまい、最初ほど苦痛を、感じなくなって、しまったのも、

事実でした。


その人の、立場によって、意見も分かれてしまうのは、仕方がないとしても、墜落事故だけは、許されない。




(沖縄国際大学に、墜落した、米軍ヘリコプターの残骸)