意識の「意」と「識」 | フェアリーメンのオーラ・サード・アイ透視鏡 意識画面共有サード・アイ  オーラ鑑定    

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今日、聞こえてきたメッセージ・・・・
ここで、お話していきましょう
一番、肝心な事
すべてを明らかに致します。
「意識」は敏感に成り過ぎると
過剰に反応する
意識の意は生き物
生命体そのものですからね
意識の意味
「意」と「識」をべつに考えないと
混乱しがちになってしまう
「意」はエネルギーでもあり
生命体として、お考え下さい
「識」は動作、行動、行われる事
だから、意に識を与え過ぎると
疲れてしまったり、悩んでしまいます。
フリーランス組織的考え方
こうしなければ、いけない
これが、常識だとか
人にとって、何が有効か・・・・・
ではなく、「無意識」的考え方
それが、大事なのです。
だから、動くことをやめて、止まっていなさいではなく・・・・
宇宙的「識」が大切なのです
自分でありて、自分でなく・・・・・
何かに動かされるエネルギー
それが、本当の「識」なのです。
もっと、高い「意」と「識」が求まられています。
識感を変えることなのです。
目で見えているのも大事な世界ですが、
目で見るのではなく、目に見えない世界の両立が大切なのです。
つまり、「感じる」事に頼る事
感じる方向性も、もちろん、あります。
条件的に、目を閉じて感じる事
やさすらかな気持ちでね!
パラボラアンテナ的意識です。
受け止める受信機が必要なのです。
「意」を脳の中で高めるのではなく
頭上の上で意識を働かせる事
頭の中で、考えていると
ろくな意識しか、にじみ出て来ない・・・・・
あっ~でもない
こう~でもない・・・・・
常識と言う事にとらわれすぎなのです。
簡単に言えば、考えなくて良いと言う事です
感じる意が大切なのです
考える事は、常識的な事が多いです
常識的に、捕われがちだと、感じる事が出来ないのです
余裕を失い
空回りなのです。
常識に拘る事が、過剰意識にもなります。
人は・・・・・
自分は・・・・・
ではなく・・・・・
「意」を無にして、高度な「意」を受信受け止まる事です。
目で見ているから
色々な事を、恐れて臆病意識になり
それが、過剰意識に変わり
死滅してしまうのです。
それを、現在では「ストレス」による病気になるのです。
つまり、「感じる」「触れる」五感が事が大切なのです
感じても無く
触れる事も無くでは、本当の真実を知らないのです。
目で見える事の不純を感じる事
存在は事実でもあるかもしれないですが
自分が思う事
思ってしまう事
勝手な思い込みにより
歪んだ世界に変えてしまう事
それを、真実と思い込んでしまう事
とても、苦しく、辛い事ですよね
リンゴが、甘いのか
酸っぱいものなのか・・・・
見ているだけでは、決して解らないことですよね
過去こうだった・・・・・
酸っぱかったから・・・・・
それが、過剰意識で、本当の識ではないのです。
算数でも、答えが出ても
検算、確認も大事ですよね
確かめずにそれを。真実と呼ぶにはふさわしくない
正しい発言、意見では無いですよね
八方塞がりという言い方がありますが
見方を変えれば、自分で自分を
八方塞がりにしているだけなのです。
上が開いてる事に、気づかないだけなのです。
それが、高い「意」なのです。
「意」の方向性は、宇宙的に広すぎるほど
空きなんて言い方おかしいですけど・・・・・
すべてが、自由なのです。
目で見える事・・・・
それが、八方なのですから
八方を意識しなければ良いのです。
目で見える世界なのですから
まともに考えていたら
それが、八方ふさいでしまうのですからね!
「意」の向くまま
「意」をどこの方向へ受信機の方向を向けるのも
あなた自身なのです。