『何という苦い絶望した風景であろう。私は私の運命そのままの四囲のなかに
歩いている。これは私の心そのままの姿であり、ここにいては私は日なたのな
かで感じるような何等の偽満をも感じない。私の神経は暗い行手に向って張り
切り、今や決然とした意志を感じる。なんというそれは気持ちのいいことだろう。
定罰のような闇、膚を劈く酷寒。そのなかでこそ私の疲労は快く緊張し新しい
戦慄を感じることが出来る。歩け。歩け。へたばるまで歩け。』
梶井基次郎 作 『冬の蠅』
基次郎が、文字通り闇雲に夜道を何里も歩き通している場面での、自己の精神
状態を記述したものです。
過酷な状況における、自己の身体に迫る刻苦と、五感を通して精神に迫る強い
ストレスとが、基次郎の心に、いわば受難的快感を生じせしめている場面です。
身体の刻苦はともかくとして、私としてもはたと膝を打つところがありました。
たまたま、大風が吹きまくっていたり、空中で雨粒同士がこすれあってできる飛沫
を感じるような大雨であったり、街の3方を囲む山にこだまし、すばらしいサラウンド
の大音響につつまれる雷鳴の中など、そういった、五感を強烈に刺激する自然現象
などに接するとき、
『俺は生きている! すでにあの世に行ってしまった同世代の人も多いなか、
ふらふら、ぐらぐら、しょぼしょぼしていても、とにかく俺は生きている!』
と、自分自身に言い聞かせます。