それから数日経ったある日の事でありました。
僕が尊敬する人物のひとり、
系図とお墓大スキーな、頭脳明晰A氏からも、
このような話を聞いたのであります。
「そういえば、大内(山口市)に、
佐藤榮作さんの先祖の墓があるらしいですねえ。」
「ええっ!Aさんもご存知だったんですか!
へ~、やっぱり!!そうなんですか!!」
僕は、早速 図書館に行って資料を探してみました。
すると・・・。
ありました!!
「佐藤首相記念写真集(防長新聞社)」
先祖の墓前で手を合わせる佐藤さん夫婦(47.6.21 山口市大内で)と、
あります。
「おー!!やっぱりそうじゃったんじゃあ!!うん。こりゃあ間違いない!」
それから、
昭和47年6月22日(木)「防長新聞」の記事にもちゃんと載っていました!
そして、
「佐藤榮作日記」には、
「6月21日(水) ホテル田中発、氷上の墓参。
一同大歓迎。引続き県庁に出かけ知事の歓迎会に出席、短い記者会見、
終わって菜香亭の歓迎パーティーで昼食。」と、あります。
「おー!!氷上ちゅうて書いてある!
やっぱり佐藤先生は大内の氷上の墓地へ来ちゃったんじゃあ!!
ん?でもホントにあそこの墓地なんじゃろうか?
それから今でも墓はあるんじゃろうか・・・。
よーし!もう一度あの墓地へ行ってみよう!!」
そして再び墓地へ行く不肖山笑。(これでこの墓地に行くのは3回目)
すると・・・、
「あっ、お地蔵さんがあるのう。ん?もしかして、
この前見た写真に写っちょったぶんかのう・・・。」
そして墓石の側面を見ますと・・・。
「佐藤!!おー!!佐藤っちゅーて書いてある!!」
風化して字は読みづらいのですが、佐藤の文字が確認できます。
そして当時の写真と見比べながら、僕は墓石の後ろに回ります。
「おお!!これじゃあ!!この墓に間違いない!!あった、あった!!」
僕はうれしさのあまり、すぐに幕末仲間にメールを送りました。
そして、あんまり興奮していたせいでしょうか、
このような文章になっていました。
「題名 墓情報 突然ですが只今大内にて佐藤栄作の墓を発見!」
違う、違う。佐藤栄作の墓ではない!
佐藤栄作の先祖の墓じゃ!!
後で気が付き、実に恥ずかしい思いをする、不肖山笑でありました。
「いや~、じゃがこの度は嬉しかったのう・・・。」
貴重な情報を下さった、白髪の紳士Tさん。そして、頭脳明晰Aさん。
この度はありがとうございました。
つづく