萩往還 佐々並から萩へ その拾壱 ~民俗学の道~ | 萩往還を歩く

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幕末維新の志士たちが駆け抜けた歴史の道「萩往還」は城下町萩と瀬戸内の港三田尻とを結ぶ街道であります。さあ、今から、萩往還とその周辺を歩いてみましょう。きっと新たな発見があるはずですよ。

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そういえば、萩往還を、佐々並から萩まで歩いたというお話。

随分、間が空いてしまいましたなあ・・・(^o^;)


このペースで進んだ場合、一体、いつ話が終わるのでせうか。

今年中に終わるのでせうか。それとも来年でせうか。


まあ、ぼちぼち書いていきませう。


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ここ釿切は、民家が点在し、

人々の生活のにおいがします。

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この横穴は、道路脇の斜面に掘ってあります。

この中に籾殻などを入れて、芋などの食料を貯蔵します。


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こちらでは、野菜を洗ったり、鎌を研いだりするのでしょう。

僕たちの故郷では、こういった水を溜めた洗い場の事を、

「船(ふね)」と呼んでいました。


石臼も見えますねえ。

この石臼は、ここを通るたびに見かけます。

玄武岩製でしょうか。少し色が黒っぽいですねえ。

まあ、何とかっこいい石臼ですこと。


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こちらの写真は、4年前のものです。

当時は、ここに・・・、見えますでしょうか。

このように横断歩道がありました。

(画像をクリックしますと拡大できちゃうんだなあ~。)

残念ながら、今はもう、消えかかっています。

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そして、こちらは「庚申塔(こうしんとう)」であります。

この庚申塔、あちこちでよく見かけます。


これは何のためにあるのか、早速調べてみました。

すると、こうありました。


これは、道教の思想によるものだそうです。


60日に1回の庚申(かのえさる)の夜に、

人体に住む「三しの虫」が、

眠っているうちに体から抜け出して、

天帝にその人の罪を告げ口するらしいのです。


「よ~、旦那ぁ~。」


「おお、三しの虫かあ、今宵はどんな告げ口じゃ。」


「へえ、旦那。山笑っていうアホな男がおりまして・・・。」


「おう、知っちょるど。あいつがどうした。」


「へえ、ヤツは、この前、仕事中に、

下関吉田の東行庵をうろうろしてましたぜ!」


「何!仕事をさぼって東行庵をうろうろ!

う~む、実にけしからん!

山笑なるものを裁いちゃらんにゃあいけんのう!」


と、まあ、このような感じなのでしょうか。

それにしてもこの三しの虫って、

ゲゲゲの鬼太郎の「ねずみ男」みたいなヤツですなあ。

実にいやなヤツですなあ。


それで、庚申の夜に眠らなければ、そういったことはありませんが、


「寝んのも大変じゃいのう。寝ちょっても大丈夫な方法はないかいのう。」


ということで、この庚申塔が出来たようです。(ありゃ~、何とまあ横着な。)


庚申塔は、皆が眠っている間に、

この三しの虫を封じる役目を担っているのであります。


「よ~し、今宵も告げ口しちゃるかのう。イッヒッヒッ・・・。」


するとそこには、みんなの味方、庚申塔くんが!


「三しの虫!ここは通さんど~!!よ~し!庚申塔ビーム!!」


「うわ~っ!こりゃあまいった!こりゃあいけん!ひえ~っ!」


庚申塔くんによって、三しの虫は封じられるのであります。


嗚呼、庚申塔くん、ありがとう。

陰でこんな風に、僕たちの役に立ってくれちょったんじゃのう・・・。


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さて、道を進みます。するとこういう景色が!


ここは五文蔵の入口であります!


さあ!ここからはまた、土の道ですよ!石畳もありますよ!

ここからがまた実に良いんですいね!


このお話は、まだまだつづきますよ!


それではまたお話しましょうね!(今度はいつになるのかなあ・・・。)


                                その拾弐へつづく