萩往還 佐々並から萩へ その壱拾 ~釿切 御駕籠建場~ | 萩往還を歩く

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幕末維新の志士たちが駆け抜けた歴史の道「萩往還」は城下町萩と瀬戸内の港三田尻とを結ぶ街道であります。さあ、今から、萩往還とその周辺を歩いてみましょう。きっと新たな発見があるはずですよ。

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さて、なかなか前に進まない「萩往還 佐々並から萩へ」シリーズでありますが、

まあ皆様、どうぞ堪えてやって下さいませ。


佐々並市頭一里塚をスタートして、やっと中ノ垰一里塚までやって来ました

不肖山笑と好青年E氏の二人は、炎天の下、ひたすら萩を目指して歩くのであります。


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そして「釿切 御駕籠建場(おかごたてば)」を通過します。


本往還には、萩から、倅坂(かせがざか)、釿切(ちょうのぎり)、

日南瀬(ひなたせ)、一ノ坂、柊(ひいらぎ)、鯖山峠に、

この御駕籠建場が設置されました。


いずれも見晴らしの良い場所であります。


藩主一行は、この辺りで駕籠を降ろして休憩したのでしょうなあ。

それにしても駕籠を担ぐ人は、きつかったでしょうなあ。


駕籠を担ぐ人は、俗に、「六尺(ろくしゃく)」と呼ばれておったようであります。

六尺というくらいですから、まあ、180cmくらいの人なんでしょうかねえ。

やはり体格の良い人が選ばれたんでしょうなあ。


山口県出身の総理大臣で、田中義一という人がいますが、

彼の父親は、体格が良かったらしく、駕籠を担いでいたらしいですよ。


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そして、案内板を読みますと、この付近には下の茶屋、上の茶屋と

よばれた茶屋が二軒あったようですねえ。

毛利の殿様は、ここで八重桜を塩漬けされた、桜茶を飲んだようです。


でも、桜茶って結構塩辛かったりするんですよね~。

ちょっと微妙な味なんですよね~。


さてさて、それではつづきはまた書きましょう。

本日はこのへんで、ご無礼いたします。


                                      その拾壱へつづく