さて、なかなか前に進まない「萩往還 佐々並から萩へ」シリーズでありますが、
まあ皆様、どうぞ堪えてやって下さいませ。
佐々並市頭一里塚をスタートして、やっと中ノ垰一里塚までやって来ました
不肖山笑と好青年E氏の二人は、炎天の下、ひたすら萩を目指して歩くのであります。
そして「釿切 御駕籠建場(おかごたてば)」を通過します。
本往還には、萩から、倅坂(かせがざか)、釿切(ちょうのぎり)、
日南瀬(ひなたせ)、一ノ坂、柊(ひいらぎ)、鯖山峠に、
この御駕籠建場が設置されました。
いずれも見晴らしの良い場所であります。
藩主一行は、この辺りで駕籠を降ろして休憩したのでしょうなあ。
それにしても駕籠を担ぐ人は、きつかったでしょうなあ。
駕籠を担ぐ人は、俗に、「六尺(ろくしゃく)」と呼ばれておったようであります。
六尺というくらいですから、まあ、180cmくらいの人なんでしょうかねえ。
やはり体格の良い人が選ばれたんでしょうなあ。
山口県出身の総理大臣で、田中義一という人がいますが、
彼の父親は、体格が良かったらしく、駕籠を担いでいたらしいですよ。
そして、案内板を読みますと、この付近には下の茶屋、上の茶屋と
よばれた茶屋が二軒あったようですねえ。
毛利の殿様は、ここで八重桜を塩漬けされた、桜茶を飲んだようです。
でも、桜茶って結構塩辛かったりするんですよね~。
ちょっと微妙な味なんですよね~。
さてさて、それではつづきはまた書きましょう。
本日はこのへんで、ご無礼いたします。
その拾壱へつづく