1月23日 母が永眠しました

 

仕事場と親戚には連絡しましたが

友人には だれにも連絡してないままです

ごめんなさい

 

順を追って 詳しい状況を読んでいただきたかったし

弟が帰ってくるまで 1人で判断決断することが多くて

集中したかったのです

 

 

24日 通夜

25日 葬儀 の話を長々書きます

 

母との別れの悲しさをゆっくり感じる間がなく

父への憎しみにも近い感情と

親戚との軋轢

(特に通夜の父は もう つきぬけていて

私も 注意することも忘れて 口をあけて きいていた次第ですが

そのあと 大変なごたごたに発展します)

 

あと 平均的?家族葬のお値段などの話です

 

お悔みコメントはいりませんよー

 

でも 疑問点などは どうぞ

 

 

 

23日 長男の命日

 

その午前2時過ぎ 固定電話が鳴りました

 

病院からの電話は いつも携帯へだったので

間違い電話かしら とか 言いつつ 起き上がると きれて

携帯電話が鳴りはじめました

 

ああ 病院だ

 

当直の先生から 母の呼吸状態の悪化を伝える電話でした

すぐに来てください とのこと

 

眠るのが 0時こえていたので もうろうとしたまま

弟に電話して伝え

 

「また状況を電話する」

 

と言うと

「明日の朝一番でどうしてもすませたい仕事がある」

と 言います

 

木曜日(←23日)の朝一番という意味だったようですが

「明日」なんて言うから 金曜日の朝一番って意味かと思って

いつ帰ってくる気なんだ?状態

 

頭のきれが悪いと話し合いも無駄に時間をくいます

 

 

これまでも危篤電話はよくありましたが

夜中というのははじめて

 

もう だめなのかも

と 思うと

そのまま 広島市への移動も考えられるので

必要なものを持って トーサンと病院へ

(次男に 鳥の朝の世話をまかせて)

 

 

到着すると

酸素マスクもつけていたし

いつも通りなのに

 

もう 生きてないんだ

 

と 気づけました

 

気配がないんだもの

 

でも まだあたたかくて・・・ 

呼吸も 脈もないけども・・・

 

 

 

ほどなく先生がこられ

急変で 電話を切ったあと すぐに逝ってしまったもよう

 

心不全をおこす状態であったし

 

もう あまりに苦しそうで

やっと 楽になれたね と いう思い

 



母は 50代のとき 間質性肺炎になり

そのときの医者に

「この病気になったら 苦しんで苦しんで苦しみぬいて

そんなに生きれず死ぬ」

と言われ ひどい鬱病になりました

 

間質性肺炎と30年以上 つきあって 88歳まで生きられる未来がみえたなら

鬱病にならなかったでしょうし

その医者と出会わなかったら 鬱病にならなかったでしょう

 

ひどい鬱病は数年かけてなおし

その後は 時々 鬱になりつつ

2000年には 心臓弁膜症の手術

 

「100歳まで生きれる心臓にしておいたよ」

そう言ってくれる担当医でよかったなあ と 思いました

 

ただ 最初の医者が言ったように 結局

苦しんで苦しんで死をむかえたことがかわいそうでした

 

肺の問題だけじゃなく

苦しさから また メンタルも不調でしたし・・・

 

ただ 最後の最後は やすらかな 眠っているような顔でした

 

 

私 長男が死んで以来 泣きたい感情に蓋するのが上手です

 

イメージとしては 心の 悲しいゾーンのところに

シャッターを下ろす感じ

 

もう義務遂行マシーンになろうと 思っていました

 

弟に電話

 

 

 

看護師さんにエンゼルケアをお願いして 終了時間をきいて

葬儀会社に電話

 

5:15に迎え予定ということで

エンゼルケアのあいだに 朝ごはんをたべておくことにしました

 

コンビ二にいくと

親子丼とうどんを買うトーサン (ばか?)

(私はサンドイッチ)

 

案の定 車で 食べていたら

まだ うどんをたべてないのに エンゼルケアが終わったと電話があって

あわてるトーサン

 

霊安室へ私は移動しましたが

トーサンは 全部食べてから移動

 

葬儀会社からのむかえの車がきて

私たちもあとを追うように出発

 

当直医と 看護師さん3人でおみおくりくださいました

 

そのうち1人は 少しのあいだいた病棟の師長さん

 

 

もう ここへ来ても 母に会えないんだなあ

 

まだ 精算にこなきゃいけないけど

もう いつもの手順で 母のところへいくことはないんだなあ

 

まあまあの負担だったけど

でも 今度 病院にきたとき

病棟へのエレベーター見て泣くかも

(いや 泣かないか

人前で泣かない主義)

 

 

6時すぎ 斎場に到着

 

先に着いた母は もう 控室に安置されていました

 

打ち合わせは 13時からとのことで

それまでに 写真など そろえないといけないものがあって

呉に帰ることに・・・

 

 

その斎場は 両親が 見学にいって きめたもので

少人数の葬儀なら 20万でできるといわれたと 母は言っていました

 

「本当かね?」

と 言っていたので

そんなわきゃないだろう と思っていましたが

もう 会費を払い始めていたので

そのままにしておりました

 

実家のすぐ隣にも 斎場があり そこは 大手ではなく

実家とコンビニに はさまれた立地なので

それも魅力的で

父母、先にしんだほうが そこ

あとの人が 掛け金をはらったほう と きめていたのに

 

実家じまいをしたので 実家の横である意味はないし

 

父の掛け金が満期

母のが 14万かけている状態でした

 

うちは 父が4人兄弟で 全員1人っこと結婚し

親戚が少ないので 密接な感じで

 

そんななか 1年前 伯母がなくなったとき

いとこ(金持ち)が

「地味にしよう」と 前例をこまかく きめてくれました

 

香典はなし

1万程度だしあって 花をおくる

返しはなし

飲食はほとんど用意しない って 感じに・・・

 

伯母のときはお寺でしました

 

義両親のとき 斎場を迷走しましたが

お寺ですればよかったなあ というのが後悔

(法事はお寺

今は 食事をつけてませんが つけていたときも お寺)

 

長男のときも 葬儀はすごくたくさんの人にきていただいたので

お寺はむりでも

法事はお寺にすればよかったな

 

今回 もう 親がきめていたので その斎場にしたんです

 

親戚もみな 同じ区で 近いのです

 

23日を通夜にすると弟が無理なので

24日通夜 25日葬儀 で 会場をおさえ

 

呉へ帰りつつ

菩提寺に電話

 

呉や義実家のお寺さんとは 雑談もできる関係ですが

実家の菩提寺 仏壇しまいのとき はじめて 顔をみたくらいなんですよー

 

無事 ほどよい時間をおさえ

また 葬儀会社に電話し 焼き場の予約完了

 

職場のサ責にラインで事情を連絡したものの

既読つかず

(この日の仕事の代行がきになるので

別のサ責に連絡したり 翌週もやすむ日があるので 調整)

 

7時20分 呉到着

 

整形外科の順番とりにジャストの時刻

 

順番とって 9:05受診完了

(タクシー事故の件で この日 受診しないといけなかったんです)

 

 

 

いろいろ必要なものをそろえ ばたばた

 

親戚には ラインでしらせましたが

「ラインをあまりみない 電話も気付かない 固定電話がない 叔母」のところへは

いとこに連絡を依頼

 

その叔母に連絡がついたら電話がかかってきて

 

「まああーーー びっくりしたわー

会いに行こうと思いつつ 顔をみないままになったけどね

その前もね おにいちゃんと電話でしゃべっていたらね・・・」

 

と しゃべり続けるので

この時間ないときに なんなんだと 途中で 電話をきり

 

その後も ずーっと ラインか電話をしつつ

あれこれ用意

 

 

弟は 24日の朝 かえりはじめるとのこと

(結局 弟は 24日 16時前に斎場到着 16時から湯灌でした)

 

 

弟の長男は 大学生で 試験中

24日の夜中到着 通夜欠席 葬儀出席予定

25日も本来試験があったようで 追試をうけさせてもらうためには

葬儀出席証明書が必要

 

さて 頭よく フットワーク軽い 弟の嫁さんはというと

 

流行り病で 外出できない状況

 

弟の長女も 念のため

身体の弱い親戚だらけの会場に こないことに・・・

 

父ですが

電話して

「お母さん 死んだから」と言うと

 

「うわーーん かわいそうにかわいそうに」

と 泣きはじめるので

 

「泣くな

やることやって泣け

今日13時から打ち合わせだが」

と ききたいことを きいていたら

 

「夫として すぐにかけつけるのが 筋だが

足がないしなあ」

と 私が運転できないことを ぶつぶつ言います

 

「〇〇さん(トーサン)がいるけど?

13時からの打ち合わせ 参加するか?」

というと 

 

「行かねばなるまい

だったら 今日は 昼と夜は 外で食べるんだな?」

 

「いえ

昼も夜も施設で食べてください

12時15分に迎えにいきます

自分で それを 事務所に言っておいてください(←これまでそれでOK だった)」

 

と 父には言って

トーサンと私は おそばを食べました

 

 
2時間睡眠で ずっと動き続けているんだもの
元気つけるぞ
(じいさんは 元気つけなくてよし)
 
で このあと 父を迎えに行って
母に会わせて 
打ち合わせすませて
施設へ送っていったのですが
 
職員さんに見送られて出かけたにもかかわらず
なんだか 話が通ってなくて
行方不明だと思われたのが これですな
 

 

 施設の職員さんに

なんで母の死を伝えてなかったのかというと

職員さんみんなが香典くれると悪いからと

父は言ってました


そんなわきゃないでしょうが!


バタバタしていたので

父にまかせたのが私がばかだった

 

 

安置室はこんな感じ


みえないとはいえ

母がうつっていてすみません

 

とまることもできるのですが 帰りました

 

 
父は
「お母さんだけおいてていいのか
だれかがずっと線香の番をしないといけないんじゃないか」
と しつこかったけど
 
とまるとしたら 私しかいないし
あれこれこなすのも 私
 
てめえがとまれよ
(無理だけど)
 
まだまだ続きます
(くわしすぎて 話がすすまない)
 
 
 

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