母の母は 原爆投下後の焼野原を
身内を捜して歩き回りました
でも その証人がいないので 原爆手帳はとれないままでした
原爆症で 糖尿病になり 透析をしましたし 失明もしました
晩年 入院直前 私はとまりにいっていて
無理をさせてしまいました
入院中 洗濯物をとりに かよっていましたが
「明日から旅行にいってくるから 3日間だれもこないよ」
と言い そのあと 祖母は意識がなくなり なくなりました
(旅行へは行ってない)
失明した祖母の食事介護のとき
「魚はいらない おかゆだけでいい」
と言っているのに 栄養をとってもらいたくて
目がみえないのだからわかるまいと 魚をたべさせて
おこられていました
そんなこんなの悔いから
「私は 自分の孫に やさしくされない運命でいいです」
と 神様にいっておりましたが
そもそも孫なんて うまれない運命でした
母が 入院前 ふと
「私は おばあちゃん(母の母)にやさしくしてなかった
毎日いかないといけないのに
(そのころは 完全看護のはじまりで
プロのつきそいさんの禁止
それでいて 人手不足から 家族に毎日くるように
病院が要求していました)
毎日はつらいし あんたにいかせていた
(一番 祖母の病院へかよったのは 私 高校生のとき)
〇〇(弟 小学生)にもいかせていた
なのに 私は 娘息子によくしてもらって
申し訳ない」
と 言ってことがありました
今回 その話を弟にすると
「あー ぼくも おばあちゃんに申し訳ない
って いつも思っていた
駄賃にジャンプをかってやるといわれて
おばあちゃんのところへ 電車にのって行っていたけど
着替えをわたして 着替えをうけとったら
電車に時間まで 漫画をよんでいるだけで
雑談のひとつも やさしいことばも なんにも あげなかった
かわいそうなことをしたとずっと思っている」
と 言いました
小学生でもそんなこと 思うんだ
時代はかわったけど
後悔はしないようにしたいなあ
ホットケーキのうつくしくなさは つっこまないでね
でも はちみつは きらきら きれいでしょ
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