三男の 元家庭教師のお姉さんが
今は重心っ子のママになって テレビにでたのを
リンクをはっています
まずは 説明から・・・・
三男 小学生時代 あちこち 療育などに行っていて
広大の教授経由 自閉症研究のお姉さんを紹介されました
関西地方の実家まで 車で行き来するくらい運転は達者なので
呉まで三男をみにいく とのこと
お姉さんが 大学生のときから 大学院生のときまで
月1~2度 きてくれていました
卒論にも つかうので お金はいらないとのことでしたが
ガソリン代のたしにしてもらう程度を出すのと
夕飯をつくってだしていました
それと おやつ
生クリーム大好きな先生だったので
ケーキをかうときもあれば
手作りの時は 残った生クリームそのまま どん!
口にしぼりだしてほしいくらい好きなようでしたから・・・
うちで 療育をしたあと
夜のウォーキングもつきあってくれていましたし
小5,6のときは 担任が 自閉研究していたので
学校にも はいってもらっていました
「留学生が普通の家庭をみたがっているから
つれていっていい?」
って 中国のインセイカちゃんをつれてきたこともあって
「次は ぷーさんをつれていくね」
と 言っていたら
教授に 注意うけてだめになったとか 言っていたことがあります
思い出が多すぎ
地元にかえって 教師になられ
普通級のあと 念願の 支援級の先生になり
凄腕として 名をなされていました
普通級のとき 広島への修学旅行のときは
「今 平和公園」とか こまめに連絡してきて
ひとめあいにきて って いわれていましたが
その日 あいにいくなら 三男をつれていかねばならず
いけなかったのが 悔いが残っています
我が子が自閉っ子ならいいのに
と 言っていました
遠距離恋愛を実らせて 広島にきて 広島でも小学校の教師をしていたけど
2人目のお子さんが
「重心だった」と 連絡が入ったのは
6年くらい前
病院に会いに行きました
療育や福祉関係の人が いざ我が子に障害があると
うまく対応できなかったって話は 時々ききます
先生の場合
自閉症ならプロで
かなり難しい病気のお子さんもみた経験があるし
ケアはできるでしょうけど
やはりショックはショックのようでしたが
それでも 受容と その後の動きまでがはやかったように思います
うちの長男が入所していたところの 外来に行ったとき
その熱心さや愛情の深さに
「逆に心配 燃え尽きないだろうか」
と なかのいい職員さん(というか管理職。長男入所の際 ちからになって
くださった人。以後、ずっとつながっていたけど、とうとう、
退職されました)
が 連絡くれたこともあります
だけど 燃え尽きることなく
走り続けているんですね
今回 私の年賀状って ほぼ本の宣伝だったので
先生から
「買ったよ 今 娘が読んでいる」
と 連絡がきて
娘ちゃん(1人目の子)は
出版社経由で 感想をくれました
直接家でよかったのに と
先生に そのお礼をメールしたら
「はじめてのファンレターは 正規のルートにさせてみた」
とのことで
本のなかの「天津」の下の名前を考えてくれているので
訓読みでちょっと古臭い名前
音読みで栗スイーツ系(音読みに動詞をつけないといけないんですが)
というと あててくれました
それより なんで 自分が カテキョー先生の娘だとわかったのか
それが不思議な様子で
名前をみたら わかりますって!
そのやりとりのとき
2人目ちゃんは 重心だけど 普通の学校へいく
と きいていました
いばらの道やなあ と 思いつつ
深くはきいてませんでした
1人目ちゃんが 中学生になるときいて
(もう1人 お世話になった ある大学の先生の娘ちゃんも
本の感想をくれ しかも 「天津」の下の名前を考えてくれていて
しかも 新中1
この2人に)
ささやかーな お祝い(本当にささやか)を
おくったんです
大学の先生からは ほどなく お礼のラインがきましたが
カテキョー先生からはこなくて
はて? と きいてみたら
「えーー 土曜日にポストみたときはなかったけど
(大学の先生とこは 木曜日にとどいている
その日は 翌週の月曜日)
あとで みてみる」
とのこと(届いていた)
8階から1階まで 郵便物をみにおりることすら
ヘルパーさんがこないとできないんです
(2人目ちゃんに つきっきりで)
そんなこんながあって
今日のテレビ欄をみて
ん?
医療ケア児?
もしや先生んちの?
って 思ったんです
私にはできなかった
こんなにがんばること
私には無理だったなあ
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