タイトルと少し(いや かなり)ずれた話になるかもしれません

 

 

私 独身OL時代

学校に通っていたのと同じ 広島交通のバスで

通っていました

 

会社に

特に同じ部に 実家と 同じ「区」の人が多く

バスもいっしょ

 

入社してすぐに 同じ課の課長代理さん(その後 課長さん)に

「高校時代は 冬の制服はグレーのスカートだったろ?

バスでよくみかけていた」

と 言われ

 

げげげ 学生時代の私も知ってるわけ?

と びっくりしたことも・・・

 

だれかが 仕事の関係で 車で来ていたら

「車に乗りたいひとーーー」

と 終業後 言われ

手をあげたものが 乗れるだけ 乗せて帰ってもらっていました

 

みんな なかよしだったんです

 

 

そのなかの となりの課の 当時の係長さんが

よくメールをくれる

という話は前にかきました

 

PCあてに 容量の大きな写真をおくってこられたりするので

スマホに転送されずに 気が付かなかったり

 

どう返信したらいいのかわからなくて

そのままになったりしたのもあります

 

ラインなら スタンプですむものを

メールだと 悩むこともあります

 

しかも 30数年会うこともなかった人ですよ・・・

それに 同じ課ではなく となりの課です

 

 

前のメールも返信しないままだったのですが

今回きて

 

谷村新司さんの死についてなど 書いてあり

 

そして 元課長代理の死についても 書いてありました

 

うわーーー まだそんなに高齢ではないよね?

さびしい

かなしい

って 思いつつ

それでも うまく返信できません

 

 

その元課長代理さん

 

私がまだ独身OL時代

娘さんを亡くされました

 

当時の私はどう声をかけたらいいのかもわかりませんでした

 

元課長代理さんは いつもどおり 元気に出社され

ほっとしました

 

 

そりゃ 普通にするしかなかったよね

 

と 当時の私や 当時の課長代理さんに

話をしたい気分

 

いや 今の課長代理さんでも 話したかったかも・・・

 

もう 会えないけど・・・

 

 

 

話がそれますが

前になにかで 読んだのですが

ある えらいおかた

 

死イコール無 という考え方だったのに

愛猫が死んだ時

 

「天国に行ったら

ボクのお母さんのところへいくといい

優しくしてくれる人だから」

みたいなことを 言ってしまい

自分の変化に驚いた と 書かれていました

 

 

わかる・・・

 

私も いまだに

虹の橋のたもとで ゆきっちゃんが待っていると思うと

それだけで泣けます

涙がでます

 

でも私

おそろしく涙腺がかたいので 親が死んでもそんなに

泣かないと思うのです

 

なんか 上記の人と 似ているような・・・

 

 

そして 我が子の死というのは

また なにか違うのです

 

説明がうまくできません

 

 

そして 長男は 墓にもいないし

虹の橋のたもとにもいない

 

風になっている と 感じる私です

 

 

 

 

 

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