長男の施設は 

とんど バーベキュー そうめんながしなどの行事があり

一家で参加できて 楽しい思いもできるけど

役員というものもありました

 

役員になると 行事が終わっても 話し合いなどがあり

次男三男が 帰りたいと ぐずっても

なかなか帰れないので

それが負担でしたが

 

親の高齢化とともに なり手が減り

 

トーサンが 会長をうけた年

長男は死んでしまい

そのあと どなたが ひきうけてくださったのか しりません

 

 

だいたい 月に1度の面会日

月に1度の家に帰る日

長期帰宅する日 などがありました

 

毎週連れて帰る家庭もありました

 

 

大きな座位保持装置 酸素ボンベ などを 持って帰らないといけません

 

家まで帰って

胃瘻がはずれていたら

(ボタン式ではなく バルーン式にしていたので)

また いれてもらいにいったりしていました

 

 

食事のケア 注入

胃瘻をつけてからは 胃瘻のケア

吸引 吸入 酸素の管理 肛門からチューブをいれて空気をぬく作業

紙オムツの交換

体位変換 

 

24時間つきっきりになるので

トーサンと交代で みることになり

そのころから トーサンの 早起きくせがつきました

 

 

GWは ぎっちり家でしたが

ある年 5月4日からの帰宅になって(医療的なことで)

3日が ぽっかりあいて

フラワーフェスティバルに はじめて つれていったら

次男三男大喜びで そのときから 我が家のこだわりの行事になりました

 

長男には とても無理なので

長男の帰宅日を 4日からに ふりかえてもらって

毎年 次男三男を連れて行くようにしたんです

 

 

長男が入所しても 長期の休みには連れて帰るので 

レジャーってことはあまりなかったです

 

 

病院にある施設で

医者も看護師もいるから

これだけの医療行為があっても 入所中 困ることは少なかったですが

 

その他の施設で

医療行為があることを理由に預かってもらえなかったら

それはおかしいって 感じます

 

施設の数は少ないのに

医療行為で 入所者をはねていたら

行き場のない人がたくさんでます

 

 

ただ

長男の施設も 小児外科はなくて

 

胃瘻をつくるとき  腸閉塞になったとき

気管切開するとき  など

手術が必要になると

小児外科のある病院へ転院になります

 

そのとき 親のつきそいが 必要ですが

 

ねがえりも うたない 長男だけど

ほぼ24時間のつきそいを 要求される病院と

「夜はかえっていいですよ」と 言われる病院とが ありました

 

 

 

このシリーズ

話があっちいったり こっちいったりしつつ

だらだら長くすみません

 

 

 

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