1~3の続きです

 

 

 

中1の先生との心のすれ違いの話です

 

 

 

他の学校の支援級の先生も

うちの担任のことを よくは言ってませんでした

 

(こうして情報が集めすぎていたのも

私の欠点かもしれませんね)

 

 

日々 いらいらと過ごしましたが

一番のストレスは 担任より むしろ 教頭でした

 

 

その先生が 担任になった時

校長と話をしに行きましたが

その後 きっと 日々 あれこれあるだろう

そんなとき もし 担任に 話しにくいことがあったら

教頭が かけはしになる とのことでした

 

 

三男のむかえは 中学までいかずに

「これから帰る」と連絡があったあと

石段の下で待っていました

 

すると 三男のあと

教頭がおりてきて

 

「おかあさん おかあさん

今日 こんなことがあって」

 

と 担任の悪口を 私に言うのです

 

 

いや 私に言うより

それを解決に導いてほしいのだけど・・・

 

だけど 教頭は 担任のそういうことを

私の口から 市教委へ言ってほしいようでした

 

 

 

そして その後

 

「担任に これこれこういう用があるんだけど

(支援級や三男とはまるきり関係ない話)

ぼくは 担任とうまくいってないから

お母さんのくちから それを 担任にいってほしいんだ」

とも 言います

 

なんでーーーー

 

 

そういうことがあまりに多すぎて・・・

 

 

 

その年度がおわると その教頭は 校長になって

他の学校へ行き

そして 新聞沙汰になることをしました

 

当時 私のブログを読んだ 教員さんたちから

「もっと 教頭(のちの校長)について

おしえてほしい」

と 言われたことがあります

 

 

 

 

その年度がおわると

担任は もうひとつの支援学級の担任にかわりました

 

女の子一人に 初老(失礼)の男性担任

 

 

そして 三男の学級には よそからきた先生がつきました

 

校長が

「一年間ご苦労かけたので

自分が知るかぎり 三男くんに一番合っていると思った先生を

担任にしました

ただし 自閉症の知識はないです」

とのこと

 

自閉症の知識はないけど

おおらかで

 

教材をきちんと使うことはなかったけど

 

一緒に畑をたがやし

たくさんの豆を植え

それを むすびつけるために

たくさんの蝶々結びを経験させ

三男も たのしそうに それをしていました

 

さやまめだけの野菜炒めをつくって

二人で きゃーきゃー 食べていました

 

 

三男が一番安定していた時代です

 

その先生は いい先生でしたけど

 

・・・・でも 中1のときも

三男 くずれてなかったんですよ

 

 

 

私が愚痴をいうたび

療育の先生が

「年度途中で先生がかわることはないんだし

愚痴をいったり 喧嘩をしたりするより

どう一年をすごすか 考えたほうがいいよ

それに まあ いろいろあるけど

でもね 三男くん くずれてないじゃないの」

と 言われていました

 

このあと 支援学校 高等部で 大きく崩れることになるんですけどね

 

 

 

その中1の担任は

その後の赴任先では うまくいっていたとのこと

 

 

 

三男 生活介護で活動中

外を歩いていたとき

 

「あー 三男くん!!!

ぼく 三男くんの中学時代の担任なんです」

と 話しかけてきた先生がいたと 職員さんから

報告を受けました

 

 

それは その中1の先生だと思われます

 

 

 

あの戦いの日々はなんだったんだろう

 

もし 今 出会ったら 笑顔で話せる気がします

 

 

(だけど 元教頭とは無理です)

 

 

 

 

 

 

 

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