2014年に書いて 下書きにひっこめていた三男の「強度行動障害」に

ついてのブログのリニュアール版です

このシリーズ もうすぐ一旦終わります

 

 

 

1回目の入院から 退院して 高校3年生の1学期
すぐに 自傷が再発してしまいました

次男をさがすのも 相変わらずです
夕方になると 次男の名を呼びながら

外へ飛び出して行こうとしました




毎日 夕方から夜は
三男につきあって 真っ暗な部屋で 一緒にならんでいました

なぜか テレビは ゆるされていたので
真っ暗な部屋に 音のないテレビはついていて
暗いので 本も読めず ただ 一緒にいました



部屋が暗いと 外がよくみえ
宮城野萩や 朝顔のシルエットが 前日より 成長していることだけが
楽しみでした

(宮城野萩って あったっけ・・・

からしたんだわ 私)




2回目の入院は 夏休みに合わせました


そのころ スクールバスからの苦情を受けて
学校が対策を考えているということでした

その対策とは

「迷惑な子は 乗車をことわる」というプリントが
配られただけでした

うちが 昼間自由になる車もなく 運転もできず 公共の乗り物も
だめとわかっているのに ぺらりと1枚

せめて
一言そえてほしかったわ


バスについては 過去に長く長く書きました

当時のうちの方面のバスの運転手に

問題がありました

 

でも 三男がみんなの迷惑であったこともたしかです

 

うちにとっては すぎさったことですが
今後
経済的理由 健康上の理由で 車を持てない人 運転ができない人の子が

暴れたときは やはり 学校はスクールバスにのせることをことわるのでしょうか

 

学校の場所が当時はすごく悪くて

せめて 平地なら と 何度も思いました




2学期 学校のはじまる前日 退院

また すぐに学校に行き始めました


3回目の入院はそれから さほど 日にちのたってない10月


父さんが 角膜移植の手術を受けるので
父さんが自宅にいないことも 眼帯をすることも
刺激になるということで 三男も入院



でも この3回目の入院を終えると
少しずつ 三男は 落ち着いていき・・・・

(うちの場合は 入院したけど
友人の場合は 入院せず ゆっくり落ち着いていきました
入院があう子と あわない子がいる とも ききました)


一家で 一つのテーブルで 食事ができた日の
喜びは忘れることができません


みんなから 大きく遅れた進路への活動も
懇意にしていた事業所が
三男用に 三男用に1室 用意して
受け入れると 即答してくださり
すんなりと 決まりました



卒業式の朝

スクールバスの運転手さんたちが
「おお・・・ 見違えたのぉ」
と スーツ姿の三男を見てくれました


無事 卒業し
事業所の送迎車では きちんと座り
自分からシートベルトもします



今でも 自傷のある日はありますし
調子の悪い日はあります
だけど 三男のふりをした別の人間だったような空気は消え
三男は三男に 戻りました


笑顔を みることができる日々に 感謝です




私の生活信条は 「丁寧に生きる」でした

だけど 大変な日々では 「だましだまし生きる」に変わってました

未来のことなんか 考えられない

今しか 考えられない

とりあえず 今日生きてみよう

そんな足元だけ見て 少しずつ 前進する もしくは立ち止まる

生きているだけで 精一杯なときに

なにかを 一生懸命になんてできない

ただ どうにか 今をすごす

長い人生には

そんな日々があってもいいんじゃないかな

って 思います

そして どんな辛いことも 終わりはきっとあるって

信じれたらって 思います

 

 

って 2014年の強度行動障害ブログは終わったのですが

その後 また 三男は荒れて行ったんです

 

 

 

 

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