三男 高校生のとき
強度行動障害をおこしました
 
昔 そのことをブログに書いたはずだし
リンクをはろうと思ったら
2014年に書いたものを
下書きに ひっこめていました
 
それを書き直して 最近 アップしていました
(きのうまでのブログ
強度行動障害1~5をみてね)
 
高校卒業後 一旦は落ち着いた三男ですが
その後 また 自傷 他害 がひどくなり
そのときのターゲットは次男ではなく私
 
その後 三男 再入院 その後 同じ病棟に入所となりました
 
 
 
長男のような 身体も知的も最重度な障害を
重症心身障害と言います (略して 重心)
 
その病院には
「歩く重心施設」みたいな説明があって 
歩く重心? って 
まだ三男が荒れてないこと 思っていましたが
なるほど です
 
その 強度行動障害に特化した施設に 三男 今はいます
 
 
その入所のときの話はまたいずれ書きますが
今日は 三男が荒れていたとき
助けてくれた人と その後の話
 
 
 
三男から 家のなか 逃げ回っていたとき
たまたま メールがきた 同じ障害サークルの人に
状況を返信すると
 
その人 サークル内の人に
「あなた 行ってあげてよ」
と 連絡したようで
 
その友人 うちのマンションのまえに 車をとめて
「助けがいるときは 行くから」
と 私がヘルプだすまで そこで 待機してくれていました
 
トーサンが かえってくる姿をみて
私がワンオペでなくなるのを 確認して
友人は 自宅へ帰りました
 
ありがたいなあって 思いました
 
 
 
もう一つ ありがたかったこと
 
通院日(私だけが行く)
マンションのまえで ある友人(さきほどの友人とは別)が 車で 待ってました


彼女のうちは 電車で2駅分以上離れていて
年数回しか 会う機会がありません
(先日 療育の先生の講演会で 3年以上ぶりに顔をみました)


その彼女が
「病院へ 一緒に行くよ」と言います


私は運転できないので
他の友人たちが 「車を出すよ?」と言ってくれることもありましたが
断ってました



「いつも つきあうわけじゃないよ
行動障害が落ち着くまでだよ
行き先があの病院だからだよ」


彼女と知り合ったのは
呉に 療育センターを誘致しようというシンポジウム企画の場でした
なかよくなって 一緒に 自閉症キャンプも 参加しました


三男が 小学生のとき 担任と私が 小学校をかりて
教師むけ自閉学習会を企画したときも
私が 駐車場係りをしていたら
彼女が手伝いにきて おまけに 先生方に
飲物を 買ってきて ふるまってました

自閉ときくと 動かずにはいられない人で
 
家のなかの構造化なども完璧で
モデルケースとして紹介されたこともあるはずです
 
そんなに完璧でも
崩れるときは崩れるんですね
 
息子くんが 行動障害をおこしているので
気持ちがわかる とのこと
 
車にのせてもらうかわりに
療育の先生との面談には 参加してもらい
彼女も相談したいことがあるなら 相談して ってことにしました
 
 
他害ではないし 大暴れでもないけど
でも 死にたくなるくらい しんどい行動を起こしてくれる時が
あるんだ と 言っていました




親がこれだけ努力したら これだけ 明るい未来があるという
保証はまるでない

だったら その先の見えない先までも 楽しむ覚悟で 歩んだほうがいい

そして ずっと 平坦な道を歩くための努力より

穴に落ちたり 川に流されたりしても

それでも 倒れない強さとしなやかさを もったほうがいい
 
 
 
三男との日々で
そう悟ったのに
結局 ギブアップしてしまったのだけど・・・




さて 先ほどの 一緒に病院にいった友人から
喪中はがきが来ました
 
おじいちゃまが 亡くなられたそうで
 
そのなか 息子くんが 落ち着いて参列できたとの文が
そえてありました
 

 

強度行動障害までいった子ではなかったけど

それでも 知っている子が

落ち着いてきたって きくのは うれしいこと

 

このはがきを受け取って

過去の「強度行動障害」についてアップしようと思ったのが

このシリーズをアップした きっかけなのでした

 

 

 

 

 

 

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