2014年に書いて
下書きにひっこめていたブログを再編集して
のせています
 
だれかをせめようとしているのではなく
当時の様子の記録です
不快な気持ちになるかたがおられましたら すみません
昔の話で 今は 違うんだと 流してやってください
 
 
 
学校に行くと 担任と コーディネーターの先生が待ってました

「佐々木君の状態があまりよくありません
担任の先生への頭突きがひどく
男の先生数人でとめたこともあります

佐々木さん。
佐々木くんの薬 4年生から 量ふえてませんよね?
増やしましょう
増やしてもらってください」


わかりました 主治医に言います と 即答しているのに


「佐々木さん 薬は 悪いものではないんだ
増やしてもらってください
 
佐々木さん 薬を増やしたらきっと落ち着く
そしたら 学習効率があがる
佐々木くんはまだまだ成長する
佐々木さん 薬を増やしてもらおう」

その しつこさ
 
そして 学習効率をあげたら あれると思うのだけど・・・



「その受診 担任がついていくから
病院にそういっておいて」

急すぎる


病院に連絡したら 案の定
「急にいうことですか?」
と あきらかに 困ってらっしゃいます

通常の受診は 長くて十分程度です
担任の先生と話すほどの時間はありません


午前の予約が 午後に変更になりました


その日は 三男も連れて バスで 病院へいきました
担任はもう待合室にいました
これまでの指導を書いた分厚いファイルも持ってきていました


診察室に入ると

「支援学校の先生がいらっしゃるとは 珍しい
まず ここへいらっしゃることはないから
よほど ご自分たちの指導に自信があるか
困っている子が一人もいないのだろうと
思ってました」

と 言われました

そんな 主治医を見るのは はじめてでした



「薬を増やせって
それが 学校のいうことですか?」


コーディネーターの先生が言われた 薬で 落ち着かせて
学習効率をあげるということをすれば
三男は 壊れてしまうと・・・・


そして 薬を増やせというのは
支援をし尽くした者が言う言葉であって
今の学校がいう言葉ではないと・・・


「薬は増やしましょう
学校のためでも 学習効率のためでもない
本人が 苦しい状態だから・・・
それと ご家族が 大変だから」
と 主治医


担任が 今後の指導について 話そうとすると


「今の状態 わかってないんですか?
壊れようとしている相手に 学習どころではありません
ゆるめてください」


「だけど 私は この子に 学校を卒業したあと
働ける子になってほしいんです」


「未来をみすえて 現在を壊すんですか
未来も壊れますがね」


「このままじゃ この子が成長しなくなる」


「成長してないっていうんですか
外食が一切できなかった子が 食べられるものが1つ増えた
入れる店が1つ増えた そういって
親は喜びながら ゆっくり丁寧に 成長させて 喜んできたんですよ
成長していってます」


主治医と療育の先生と 担任の先生の言い合い


「2対1で 私は 勝てないじゃないですか」

と 担任は お手上げのポーズ

「勝つ負けるではなく・・・・」


学校のティーチは 三男にあったものではなかった

三男を支援するためではなく

三男を集団のなかで 都合よく 動かすためのものだった

しかも ティーチに はまりやすい三男は

それにどっぷりはまって

限界へと 走っていった


というのが 原因だそうです


でも それは 学校だけの罪ではありません

私も それに気づいてなかったのですから・・・・


そして 思春期で 感覚の鋭敏さが 増している三男の担任を
するということのむずかしさを考えると

担任をせめることはできない って 思いました



今使っている 日課表を 三男に使用しないこと


主治医の言葉に担任は しぶしぶ うなづかれました



病院をあとにして 私たちは 1キロくらい先のバス停へと
歩きはじめました
すると 担任の車が 横でとまりました

雨が 落ち始めていましたし
バス停まで 乗せてくださるのかな
もしかして 学校方面のどこかまで 乗せてくださるのかな
それだと たすかるな バスの便が増える場所だから・・・
ここは1時間に1本だから・・・

なーんて 期待が頭をよぎったのはたしかです



すると 先生がおりてきて 

「かさ 持ってますか?」

「はい おりたたみがあります」

「ないなら お貸ししようと思ったのですが
じゃあ いいですね」


その間に 三男が 先生の車に手をかけてました

「あ、乗せてもらえるって 思っていやがる」


先生が そう言いました


よく毒舌の冗談を言い合っていたので
その延長みたいなものだったのだと 思います


そう思いたい


先生は 車に 乗ると

「じゃ」

と 帰って行かれました


三男と バス停まで 雨のなか 歩きながら・・・・


それもこれも 運転できない私が悪いんだし・・・・


三男の悲しそうな顔みて ズキッときたものの

まだ 担任の先生のことが 好きでした


今日は 主治医たちに いろいろ 言われて
申し訳なかったな
と 思っていたんです
 
 

三男は 崩れていきました



三男は 自分のてのひらで 自分の額を強くたたくようになっていきました

ペチッ って 感じから 徐々に ベシッ に変わりました

どんどん 数が増えていきました

最初は 数日に1回だったものが やがて 1日に 数十回になりました


時々 私の首に手をまわし 私の顔を固定して

額あたりに 額をつよく ぶつけてくるので

あまりの痛さに 声をうらがえして 怒ってしまったら

父さんが 「何怒っているんだ たかが ちょっと ゴンってやられただけだろ」

と 笑いましたが

その父さんもその直後 それをくらって 声を裏返して怒ってました

だれでも 我が身の痛みには 弱いですねー



次男と 取っ組み合いの喧嘩?をしているときがあって

それは なんだか ちょっと うれしかったのです

これまで 兄弟喧嘩もなかったので・・・

「大きな二人が喧嘩をすると 虎とライオンの喧嘩のようでさ」

と 笑いながら 人に 話した記憶があります



それらが3月になると 次第にひどくなっていきました

ベシッが 1日数十回

自分の膝で 目のあたりを うつこともあり

パンダのように 目の青黒くはれてました

柱に額を強くぶつけることもありました

額はこぶで ぼこぼこになりました


元々斜視ではなかったのですが

次の年の眼科健診で 斜視と言われました

もしかして ぶつけすぎたせいかもしれません

今は 時々 斜視っぽいのですが なおってきている気がします


自分の人差し指を強くかんで 倍の太さになるくらいのたこが

あるのは ずっとなのですが

それも ひどくなった気がしました


そして 私たちへの暴力


一番の相手は 次男でした


できるだけ 分離したいのですが
夕方になると 次男の帰りを待ちます


スケジュール消化をしたがり
学校から帰ると風呂に入りたがり
私にも入れといい
次に 次男をいれたくて
次男をさがして 全裸で外にでようとしたり・・・



次男への暴力はすさまじく
次男は 人より痛みに弱い人なので
守ってやらないと 次男も 崩れる と思うのですが
次男の部屋に 鍵をつけても 体当たりで ドアをはずして
突進するのです

夜中も 暗闇のなか 三男は 目をあけていて
私が 眠りそうになると 次男の部屋に 突進しました


春休みになり
24時間 三男とすごすようになりましたが
そんななか
学校は バス説明会には 絶対にくるように
とか 言います
 
バスの時間変更が行われ
30分朝おそくなり
帰りは30分早くなりました
 
そして ためしに バスに乗って 座ってみろと言われましたが
その日 発車しないバスに乗せられ
それだけでも 三男は パニックをおこしました
 
 
 




くらーい話でごめんなさい
 
せめて ちょっと明るく
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