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アカサタナさんへ

重心の親はたいていそうですよ

特別の人生なんか のぞんでいないで

できることなら 歩いている我が子 しゃべっている我が子を

みたいだけですよ

なんなら 今の私は 息子が生きて そこにいるだけでいいですよ

人が産まれてくる可能性って すごい倍率ですものね

私たちは たからくじにあたるようなラッキーで

うまれてきたんですものね

そして うまれた時代に 今のところ戦争がない

それって すごくしあわせなことですね

 

 

ふじたみさんへ

誕生日とオフィシャルへのお祝いのことば ありがとうございます

エレベーター おろすの ふじたみさんこそ

そのまえ ありがとうね

ふじたみさんは お母さまと話したいのよね

友人も私も 今は親にヒーヒーいわされていますが

でも いつの日か それが終わるんですよね

その瞬間瞬間を大事にしなければ ですよね

友人には 話さないといけないことが 二十年分以上 たまっています

会いたいです

そして そのとき 話すことって 他愛もないことなんですよね

あなたが白い靴くれたんだっけ

すっかり忘れていたよ

次男も三男もすごくはいたよ だから ファーストシューズとして

捨てられないんだよ って・・・

その友人にもらって まだ持っているもの 絵と 小さなクリスマスのかざり

そういう話をしたいのに いないなんてね

生きているけど(笑)ふじたみさんとも立ち話したいのに

いつも 私が時間なーい って 走ってて なかなか立ち話できなーい

来年こそは ゆとりある生活おくろっと (鬼が笑う)

 

 

マネキネコさんへ

長男を産んだ個人病院 食事がまずくてねー (どうでもいい情報)

その後 小児科のかかりつけになった総合病院には

当時 凄腕の小児科医がいたんです

(今は小児科なし)

私にとっては 凄腕だったけど ちょっとこわかったし

知人にとっては 腕以外のことで ちょっと恨みを持っている相手で

いろんな側面があるなあって 思ったの

次男三男はその総合病院でうんだのだけど

食事はこっちのほうがまだおいしかった(さらにどうでもいい情報)

あるお子さん(今は成人)は 自宅出産で ママさんは死んで

お子さんは 障害が残ったの

おばあちゃまが 「絶対大きな病院でうみんさいよ」って言ったけど

大きな病院でうんでも マネキネコさんのようなこと

あるんですね

ご無事でよかったー--

そうそう 総合病院では 主治医じゃないとき 産むことありますよね

私もそうだったわー--

 

 

レンハハさんへ

わーん レンハハさん ありがとうございます

すてきな誕生日になりました

優しいおことば ありがとうございます

 

 

そぉびさんへ

わー 誕生日や 障害ママ ついでに 障害パパになったお祝いの言葉

ありがとうございます

ケーキに関してはグルメな長男でした

結局我が家全員 食い意地だけはあるっていう・・・

実は トーサンもケーキを買ってかえってしまい

長男が食べて ケーキが消えてくれたらいいのだけど

私たちも食べるわけで・・・ 体重が心配です

長男 喜んでくれているかなあ

 

 

マネキネコさんへ

阪神淡路大震災 こちらもゆれました

まだ トーサンが家にいたので(早朝だから出社してなくて)

一家でいたのが救いでした

こわかったです 神戸はこんなもんじゃなかったでしょうけど・・・

そちらは こちらより 一層ちかいので こわかったでしょうね

おまもり 泣かれたんですね

でも うれし涙にかわってよかった

あっというまに 年月がながれていきますね

 

 

マネキネコさんへ

転勤族だったんですね

あちこち みてこられたんですね

ご苦労もあったかと思いますが いい思い出になっておられますね

台風大変でしたね

こちらは義実家が西日本豪雨の被害で

同じ状況でした

今も床はトタン板のままにしています

災害こわいですね

 

 

 

 

 

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