きのうのブログ「神様に選ばれた親ではない」に 補足

 

家族が 神様の配ったカードみたいな表現は

 

 

 

の 何巻か忘れたけど

そんなふうに 書いてありました

トランプのカードにたとえてありました

(って ブログをずー-っと前にかいたのだけど

あまりにブログの数が多く いつだかわかりません)

 

 

 

長男をうんだとき

「神様は 乗り越えられない試練はあたえない」

(↑きのうのブログのコメントででてきたことば)

って 親戚が言い

その言葉は私の心に響きました(いい意味で)

 

そのあと 「大江健三郎氏の子も障害があるんだよ」

とか 有名人の例をあげてくれました

 

そのころは 今ほど 有名人が障害ある我が子のことを

オープンにしてなかったように 思います

 

 

その親戚の失言は

「障害より 不登校のほうが つらいみたいだよ

障害児ママより 不登校児ママのほうが

自殺率が高い」

って ネットは一般的ではない時代に

どこ調べだよ ってことを言っていました

 

 

このときは あれー--? って 思ってしまいました

 

辛さなんて 人それぞれ 違うわけで

どっちがつらい って 問題ではないでしょうし

それに もし 障害があって そのうえ 不登校だったら

最悪ってことー-? って

こころのなかで どんどんつっこみをいれていました

 

 

「乗り越えられないー---」の言葉も

大きな辛苦をかかえた人には 残酷な言葉として ひびくこともあるでしょう

 

もっと 努力でどうにかなることに

悩んでいる人にかける言葉ですよね

 

 

その言葉を考えているうちに

別に 私は なんでも乗り越えられる強い人間ではないし

辛い時は 乗り越えようとするんじゃなくて

助けて助けて って 言おうときめて

たくさんのかたに 助けられて 今日にいたっています

 

その 考えているとき

 

じゃあ なんで私はこの子たちに親になったんだろう

って 思い始め

 

遺伝性って ものが もしあったとしても

(長男が産まれたあと その当時でわかる範囲の検査は

したんですが 遺伝性は わかる範囲ではない と

言われたんです)

 

それは きっと トーサンと私 という組み合わせで

発生するものだと思うのです

 

 

そこまで さかのぼったとき

 

じゃあ もう 仕方ないじゃないか

って 思ってしまい

 

ってことは もう この子たちが 三人とも障害を持って

うまれてきたのは 神様が 適当に配った運命じゃないか

って 思ってしまったんです

 

 

そのあと さきほどの本の

トランプのカードのたとえに出会い

 

そうそう そんな感じよ

って 思ったのです

 

 

 

スヌーピーにも 同じような言葉があるよー

って コメントでおしえていただきました

 

 

スヌーピーといえば (余談)

先日 実家に行ったとき

実家近くにケンタッキーがなく

ケンタッキーが大好きな父のために

買っていくことになっていたんです

 

父 きっと スヌーピーのカップがほしいだろうな

と 思い

一応きいたら やはり ほしいとのこと

 

高くつくけどねー

と 思いつつ

カップつきセットもふくめて 買っていくと

 

「こんなに買ったのに カップは1つか?

2つ3つ くれるんじゃないのか」だって・・・

 

いや サービスでつくんじゃないですからー

カップつきは 結構高いんですからー-

 

 

 

 

 

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