長男 幼い時 よく入院しました
(肺炎などで)
 
そのとき 看護学生さんが ついてくれるときがありました
 
あるとき 看護学生さんが
「お母さん やってもらいたいことはないですか」
と こられました
 
あとになって気づいたんですが
きっと 「清拭をお願いします」とか
「マッサージをしてやりたいんです」とか
「着替えを手伝って」とか
自分の勉強になることを 言ってもらわないといけなかったんでしょうに
 
「そごう(当時は呉にもあった)に ちょっと行ってきたいから
長男をみていてくれる?」
と お願いし
(売店や目の前の弁当屋さんで売っているものに
食べ飽きていました
コンビニが近くにない時代でしたしね
まともなもの 食べたかったんです
我が身のためのお願い)
 
帰ってきたら 教官が座っていたという・・・・
 
次回看護学生さんをみかけたとき
「おこられた?」と 訊いたら
「へへへ」と 笑っていましたけど・・・
 
なかよくなり その後も時々は連絡とることが続き
だけど 会うことなく10数年
 
長男が死んで
葬式を終え
あれこれ必要なものを ゆめタウンで買い物していたら
その人にばったり
(呉に住まれているわけではないです)
 
びっくりです
 
 
 
そういえば
長男がなくなる少しまえ
タモリさんの番組 「エチカの鏡」をみていたら
身内がなくなったとき するべきことの特集があって
 
その順序や内容が頭に残ってたんです
 
なので 長男が死んだあと
葬儀屋さんに
「身内が死ぬのは はじめてに近いんです
自分たちがしきるのは はじめてです
右も左もわかりません」
と 教えを乞いつつ
でも 
番組のおかげで ある程度わかっていたんです
 
 
 
そういう 「長男が この番組みせたんじゃろうか」
とか 
「長男が この人に会わせたんじゃろうか」
ってことが
次々あり
 
 
そんななか
 
一番 くだらない出来事
 
 
 
長男が死んでまもない我が家に
 
「長男くん いますか?」
若い女の子から電話があったんです
 
 
長男にかかってくるわけもなく
あきらかに 詐欺か デート商法のたぐいでしょう
 
 
「どちらさまですか?
なんのご用件ですか?」
 
と 言うと
 
「長男くん いるんですか いないんですか
かわってください」
とか 言います
 
「いませんけど」
と言うと
切れてしまいましたが
 
切ったあと じんわり腹がたってきて
ああ・・・
「今 死んだばかりだよ
あんた 呪われるよ
これから 悪いことがおこるよ」
と 言ってやればよかった
と じたばた悔しくて
 
 
だけど 長男が 人を呪うわけないじゃん
 
「今 長男は死んだばかりです
あなたのような知り合いなどいない 闘病だらけの生活でした
あなたのような 若いお嬢さんが接してくれたら
どんなにうれしかったでしょう
なのに あなたは だれかをだますことを 仕事にしているんですね
くだらない生き方ですね」
と 言えばよかった
と 後悔して
 
 
さらに 日にちが過ぎると
 
 
 
まるきり普通の20歳の息子に
友人の女の子から かかってきたかのように
しゃべればよかった
 
そしたら
その会話のあいだだけ
 
私は
 
生きている
 
元気な
 
20歳の男の子のおかあさんに
なれたのにな
 
と 一番大きな後悔をしたのでした
 
 
(そのあと 驚いたのは
劇団ひとり氏の小説に 似た話があって
すぐに その小説を読んだのに
今 その正確なストーリーは思い出せないという
なさけない頭)
 
 
今や 固定電話への詐欺電は
高齢者ねらいのものが主流
 
長男にも あれから そういう電話はかかりませんし
次男三男にも かかってきません
 
長男の死後まもないときだけ
かかってきた 不思議
 
万一
 
万一
 
万一
 
またそういう電話が
長男あてに かかってきたら
 
私は何をしゃべるかなあ
 
 
 
 
おまけ
 
ビオラの香りがものすごく濃いわー
 
 

 
もっと 大きな鉢のほうが よかったろうか・・・
 
友人にもらったラナンキュラスラックスもすくすく
 
では おやすみなさい
 
 
 

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