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さんすけのつぶやき

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会社に来る顔馴染みの客に、地元の祭りで引く山車(だし)を造るのに、来ないかと誘われた。人手が足りないと言う。
きらびやかな山車は、子供の頃から運行しているのしか観た事がない。それを造るという事に、凄く興味が湧いた。
しかし、私は膝が痛むので、

「運行当日は、行列に参加出来ないよ。」

と、断りを入れた。そしたら、

「大丈夫、俺が背負って行列を歩くよ。」

と、若者が言う。

「?、いやー、それは………。」

と。でも、さっそく仕事帰りに山車造りに行った。
山車に色を塗らせてもらったり、紙ヤスリで飾りをなめらかにしたり、張りぼてに貼る新聞にノリを塗ったり。毎回行く度に違う事をやらせてくれるので、何もかも新鮮でワクワクする。夢中になってやっていると、あっという間に夜9:00になったりで、本当に楽しい。それに、作業している時に聞こえてくる子供たちの声に、とても和やかな気分になる。

「楽しいなぁ。」

この話を、仕事でコンビを組んでる相方に話したら、

「さんすけさん、背負ってもらっているうちに眠ってしまったら、(行列から外れて)姥捨山に投げられてるかも!」

と言う。

「誰が、姥(うば)だって?!。」

と又いつものバカ話しで1日が始まる。
パッと浮かんだのは、[もう一つの山車、タイトル『いざ、姥捨山へ』](駄)


姥捨山と言えば、昔一回だけ観た「楢山節考」という映画を思い出す。
主役は緒形拳さん、あき竹城さん。
今まで沢山映画を観てきたが、この映画は一番インパクトがあって、ホラー映画と違う、怖いという思いが強く残った。ほぼドキュメントに近いからだろうか、怖くて又観たいとは思わない。

あまりにも有名な映画なので、あらすじはここでは省く。

極貧という事。

そこからは、何の為に生きるかなどと考えている余裕はない。
少ない食べ物でギリギリの生活をし、「口減らし」といって、それ以上の家族が増えると、産まれたての赤ちゃんだろうが老いた親だろうが、そこから消えなければ生活が成り立たない。
今だったらそれは、「殺人」として犯罪になる事が、極貧という事で通るのだ。まして、「福祉」という言葉など存在しない。容赦ないのだ。

そのギリギリの生活の中で、70歳になったら、元気だろうが姥捨山へ行かなければならないという掟があったが為、家で寝たきりになって介護してもらう老人は、少なかったんだろうなぁ。
介護するという余裕もない極貧の生活。

悟りの良い老人は、何年も前から覚悟してその日を待ち、山に行くのは怖いと怖じけづいた老人は、息子に無理矢理押さえつけられて、山に捨てられた。

この場面は、苦しくなる。

山に捨てられた老人は、生き仏となって死を待つ。かの有名なお坊さんが、強い信念を持って、自ら生き仏になるのとは訳が違う。
冬を選ぶのは、凍死するからいいとか。
普通の人には、とても残酷な死に方だ。苦しまない方法がなかったのだろうか。

最後の場面で、悟りの良い母を山に置いて家に帰ってきた孝行息子は、妻と、

「自分たちも、70歳になったら山に行こうなぁ。」

と、囲炉裏の側で遠い目をして語らう。

最後に母に持たせた贅沢なものにあたる白い飯、思いやりで「食べないから持ってお帰り」と言われて持って帰った白いおにぎりを、家族みんなで囲んで食べる場面には、もう日常に戻ったんだなと印象深かった。

必死になって子供を育て、70歳になったら山に行くという、先が見えてる一生。
何の為に生きるかなんて、この映画の中の夫婦は、一度も疑問に思った事がなかったかも知れない。



私事だが。

老いて体の自由が利かなくなり、人の手を借りないと生活出来なくなった姑に、老人ホームに入って欲しいとお願いした事があった。
姑と舅は、同居している事もあり、仕事を持っている私に代わって、孫を預かってくれた。
孫も大きくなり、ほとんど手がかかる事が無くなった今になって、家で暮らせなくなることに、

「行きたくない。役に立たなくなったら、用無しか。」

と言った。その年代の人には、「老人ホーム=姥捨山」の概念があったのかも知れない。その当時は義父も病を患っていて、入・退院を繰り返していた。
5人の家族を養わなければならない私は、フルタイムで働き、姑まで手が回らず、悪者になるしかなかった。

家より老人ホームが、楽しい筈がない………。

その後、老人ホームに面会に行ったり、義父の入院してる病院に行ったりしているうちに、私は、誰の親を看ているんだろうと空しくなり、プチっと糸が切れた。義父母の息子が、何もせず遊んで暮らしてるのに。
誰にも感謝されることも無く、バカらしくなったのだ。
義父が亡くなり、その後は老人ホームに足を運ぶ事を辞めた。

その事を、子供に、
「おばあさんを、見捨てた。」
と言われ、苦笑いするしかなかった。

経済と、手を掛ける余裕と、私の度量の狭さが、姑を家で一生を終わらせる事が出来なかった。

祖父母を粗末にしたと思われたんだろうなぁ………。

もう、済んでしまった事です。



最近の自分は、楽しい事を探し、行動している。こんな日がくるとは、あの時は思わなかった。
辛い事は、ずっと続くものだと思わないほうがいい。
時間が、事態を少しずつ変えていくから。



山車造りに声を掛けてくれたはじめ君、ありがとうね。でも、やっぱり、おんぶは遠慮しとくよ。

                                                    姥より





なんてね。