この時期の道端の主役級になっています。年々増えているような気もしますが、どうでしょう。そして意外と人気もあるようですけど・・。
「ナガミヒナゲシ」です。 漢字では「長実雛罌粟」、また「長実雛芥子」です。
ずっとナガミノヒナゲシって呼んでいましたが、正式の和名では「ナガミヒナゲシ」です。
ケシ科、ケシ属の1年草です。 もともとは多年草のようです。
故郷は地中海沿岸です。ヨーロッパの中部~北アフリカやアジアの南西域だそうです。
日本に連れて来られたのは鑑賞用としてですが、それがけっこう昔のことで、室町時代という説と江戸時代との説もあってよく分かりませんでした。
国立環境研究所の侵入生物データベースでは、1960年に東京都で確認された。とあります。
仲間には「ヒナゲシ」があります。ヒナゲシの呼び名も「グビジンソウ(虞美人草)」、「コクリコ」、「シャーレイポピー」、「ビシンソウ(美人草)」、「レイシュンカ(麗春花)」、「ノハラヒナゲシ」などいろいろ、なんか良い名前が多いようです。
50~100cmくらいに茎を立てて風にも負けません。
葉っぱは互生して羽状に深く切れ込みます。縁は粗歯牙になっています。
花は多くは赤ですが、白やピンクもあるそうです。
花びらは4つ、その花びらはひらひらと薄く、シワがついた感じです。花びらも稀に5、6枚のもあるとか・・萼片は2つですが、開花するとすぐに役を終えて落ちてしまいます。
雄しべはたくさんあります。雌しべの形状がまた不思議です。花柱に相当するものがなく、柱頭があの放射状になっているものです。ケシ属には4~18個も付くそうです。
このヒナゲシも販売されるものがあって、花が八重になるものです。でも見たことがない?かな。
ケシですけど、あの麻薬取締法の対象ではありません。麻薬成分をもっていないのです。
でも花や花柄を乾燥させて生薬になります。咳止めなどに使われるようです。
ヒナゲシとともに有名なのが「オニゲシ」です。赤い花びらの中心が黒紫になってびっくり。
もうひとつ、「ナガミノヒナゲシ」があります。「オニゲシ」よりも小さいのですが、やはり中央に黒紫の斑があります。
このケシ属は世界に100種ほどありますし、園芸種もあるのでこれも手に負えません。まぁ、よくある3~4つくらい見れればいいでしょう。
①ケシは葉っぱが長楕円形で葉柄がありません。全体に粉白を帯びます。
②ヒナゲシは葉が羽状に深く裂けて全体に硬い毛があり茎が枝分かれします。
③オニゲシは葉が羽状に全裂して花の中心に黒紫の斑紋がある。
④アイスランドポピーは葉っぱは光沢のある白緑色で無毛、茎は枝分かれしない。
出来る果実は蒴果です。この蒴果には図鑑では1500個もの種子が出来るようで、小さくて風に乗って遠くにも飛ばされて陣地を拡大できるようです。
柱頭部分がフタのようになっていますが、果実が熟してくると、こんな感じで隙間が出来ています。ここからタネがこぼれます。
ここから熟した種子が飛び出して行く? 出窓?
このフタのような、円盤のような柱頭ですが。この不思議な形状の秘密は分かりません。
ちょっと縦に半分にしました。そしたら、ちょっとカッターを入れただけでこぼれるコボレル・・
小さい、小さい・・・。 さすがにヒマでも数える勇気は出ませんでした。
1メモリが1mmですから。種子の大きさは0.5mmくらいです。
もうひとつ・・・。虞美人草について。
知っているようで知らずに、知っているフリをしていますが・・。
夏目漱石の『虞美人草』はヒナゲシのことだそうです。
でも、もともとは中国の伝説でした。
紀元前778年~紀元前206年の秦の時代です。この秦の時代の末期に項羽という武将がいて、この項羽さんには「虞」という愛人がいました。(すぐに義経と静御前を連想しました)この項羽が劉邦に敗れて垓下(地方名で現在の安徽省の宿州市)に追い詰められて死を覚悟したそうです。この項羽が歌った「垓下の歌」というのがあって、それに合わせて虞さんが踊ったそうです。ますます静御前のヒトリシズカに似てる・・。この舞の後に虞さんは自害しました。
そして、虞さんの墓に翌年赤い花が咲いたそうです。この伝説から・・こう呼ばれるようになったとか・・。
なるほど・・で一件落着としたいのですが・・ところが、この当時、つまり三国志の時代ですけど、この時になんと「ヒナゲシ」はまだ無かったそうです。この時にあったのは「マイハギ(舞草)」で、これが正真正銘の「グビジンソウ」のようです。このマイハギからヒナゲシに変わったのは明の時代以降だそうです。
まぁ、いいか。
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本日より2~3日、山野草に会いに出かけます。
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