民主党小沢党首の発言がいろいろ
波紋を呼んでいます。
テロ対策新法:「地上軍へ参加」民主・小沢氏提案波紋 「対案なき」原則論
小沢党首としては、自民対決構図を築き上げるために、
現在の自民党が許容できない対立軸をつくりたい。
そのために道具として主張しているだけである。
というような論評がメディア、自民党に多く見られる
と思います。
その論点は、テロ特措法および形を変えた新法が
いいか悪いかであり、そのため、国際社会は感謝
しているかそうでないか。イラクへは米軍が海上
給油を受けたのち行っているかいないか。自衛隊が
行くとこは安全か?
というように、まず行為があり、それも米国の息が
かかった行為ありきであり、それの憲法にもと
づいた正統性を論じるがゆえに、ほとんど詭弁の世界。
このテーマを考えるとき、いつも公孫竜の
「白馬は馬に非ず」とともに「韓非子」において
白馬非馬論を唱える学者が関所で役人に馬の
通行税を払わざるを得なかったという話をまた
思い出します。
同時に、為政者が国民をだますという意味では、
ジョージオーウェルの動物農場(Animal Farm)の
お話も思い出します。
そこでは、人間を追い出した動物たちの指導者の
豚たちが、初めは「二つ足悪し、四足良し」と言って
いたスローガンをいつの間にか「二つ足良し」とすり
替えていき豚たちが二本足で歩き、他の動物を
支配してしまいます。
さて、本題に戻しますが、私たち、日本の国民に
とってどうあるべきなんでしょうか。
大切なのは、自分たちが何をすべきかを考え、
それに基づいて行動すべきではないのでしょうか。
テロ特措法が憲法に違反しているかどうかとか、
自衛隊の行くところは武器を使用しないところ
であるかどうかとか。
こんな瑣末なことは、木を見ずして枝を見る。
森を見ずして枝を見る行為です。
私の好きな日本国憲法の前文の後半部分です。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の
関係を支配する崇高な理想を深く自覚するので
あつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと
決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と
偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と
欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のこと
のみに専念して他国を無視してはならない
のであつて、政治道徳の法則は、普遍的な
ものであり、この法則に従ふことは、自国の
主権を維持し、他国と対等関係に立たうと
する各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)
当然全員が賛成するものではないでしょう。
でもここで書かれていることは、世界の平和を
実現するために国際社会の一員として、主体
的に努力していこうというものです。
決して日本に閉じこもって世界の不幸に目を
ふさいでいこうということではありません。
小学校のときにこの前文を読んで子供ながら
にその思想に感動したことを覚えています。
そしてその意味で、憲法9条は他国への武力
による侵略行為という手段をとらないで、国際
平和の実現のために努力すると言っているの
です。
相手が撃つ前に撃てるとか、丸腰だから危な
いとか、そんな局地的表面上の議論はもう
沢山です。
まず、やるべきことは、世界の不幸な人々の
ため、貧困からの自由、病からの自由、恐怖
からの自由。
そうした戦いのために日本は動くべきです。
戦闘集団と戦うなどという頭の空っぽの人間が
できるようなことではありません。地道な努力が
必要だし、多くの国の協力なくしてはありえません。
こうした考えにたてば、おのずと自民党の皆さん
には、世界の平和のために何をなすべきかという
視点が欠如していることが明らかだと思います。
小沢さんの主張は、私としては全面的賛成とい
うものではありません。
しかし、小沢さんは危険な地域であろうと、国際
貢献のためであれば行くべしと言っています。
私も、アフガンには日本も積極的に参加すべき
と思っています。
ただそれは上にものべたように、戦うためでは
ありません。
彼の地の苦しんでいる人々を救うためです。
また詭弁を弄する人が言うような、救うために
戦うことでもありません。
日本のNPOなどの人々は以前から、ずーっと
現地で活動していました。
今でも活動し、活動し続けようとしています。
しかし、アメリカのテロとの戦いのため、その
人々の救済活動がかなり制限を受けてしまっ
ています。
現在は、テロというだけでなく、対アメリカへ
の戦いということで、NPOのかたがたも従来
のような安全を確保できることが困難になって
いると思います。
いくら、NPOは軍隊ではないといっても、どこの
国でも、民族でも狂信的な人間はいるものです
から、そうした人間によるNPO活動の妨害や、
対アメリカへの挑発的行為は生じえますから、
それに対してNPOのかたがたを守ることや、
また現地の人々への救済活動を継続する
ことは必要です。
日本国内で議論をして、NPOと自衛隊との
共同活動、あるいは自衛隊のみでの支援活動
等を日本国の目的、日本国民の目的を持って
行いたいと思います。
その場合、重装備の戦闘のための軍隊である
必要はありません。場合によっては工兵隊、
医療部隊のように救助隊や支援部隊という名前
を作って国際的に明らかにして活動することも
よいかも知れません。
さらには、完全な国際救助隊のような別組織
を作ることもよいかも知れません。
このようなことを実現しようとするとき、それが
国際社会で広く受け入れられたとみなすことが
できる判断基準の一つが国連決議であっても
よいと思います。
しかし、あくまで判断基準であって、日本が
多くの国に働きかけてできる国連決議である
ことが重要です。
もし、国連決議が、他国の提案によるもので
あるばあい、我が国と理念を異にするならば、
それを毅然として拒否するべき姿勢を堅持すべき
と思います。
そういう意味での国連決議重視であるならば、
その意味では私は小沢さんと同じ立場に立って
いると思います。
波紋を呼んでいます。
テロ対策新法:「地上軍へ参加」民主・小沢氏提案波紋 「対案なき」原則論
小沢党首としては、自民対決構図を築き上げるために、
現在の自民党が許容できない対立軸をつくりたい。
そのために道具として主張しているだけである。
というような論評がメディア、自民党に多く見られる
と思います。
その論点は、テロ特措法および形を変えた新法が
いいか悪いかであり、そのため、国際社会は感謝
しているかそうでないか。イラクへは米軍が海上
給油を受けたのち行っているかいないか。自衛隊が
行くとこは安全か?
というように、まず行為があり、それも米国の息が
かかった行為ありきであり、それの憲法にもと
づいた正統性を論じるがゆえに、ほとんど詭弁の世界。
このテーマを考えるとき、いつも公孫竜の
「白馬は馬に非ず」とともに「韓非子」において
白馬非馬論を唱える学者が関所で役人に馬の
通行税を払わざるを得なかったという話をまた
思い出します。
同時に、為政者が国民をだますという意味では、
ジョージオーウェルの動物農場(Animal Farm)の
お話も思い出します。
そこでは、人間を追い出した動物たちの指導者の
豚たちが、初めは「二つ足悪し、四足良し」と言って
いたスローガンをいつの間にか「二つ足良し」とすり
替えていき豚たちが二本足で歩き、他の動物を
支配してしまいます。
さて、本題に戻しますが、私たち、日本の国民に
とってどうあるべきなんでしょうか。
大切なのは、自分たちが何をすべきかを考え、
それに基づいて行動すべきではないのでしょうか。
テロ特措法が憲法に違反しているかどうかとか、
自衛隊の行くところは武器を使用しないところ
であるかどうかとか。
こんな瑣末なことは、木を見ずして枝を見る。
森を見ずして枝を見る行為です。
私の好きな日本国憲法の前文の後半部分です。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の
関係を支配する崇高な理想を深く自覚するので
あつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に
信頼して、われらの安全と生存を保持しようと
決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と
偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる
国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と
欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のこと
のみに専念して他国を無視してはならない
のであつて、政治道徳の法則は、普遍的な
ものであり、この法則に従ふことは、自国の
主権を維持し、他国と対等関係に立たうと
する各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて
この崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)
当然全員が賛成するものではないでしょう。
でもここで書かれていることは、世界の平和を
実現するために国際社会の一員として、主体
的に努力していこうというものです。
決して日本に閉じこもって世界の不幸に目を
ふさいでいこうということではありません。
小学校のときにこの前文を読んで子供ながら
にその思想に感動したことを覚えています。
そしてその意味で、憲法9条は他国への武力
による侵略行為という手段をとらないで、国際
平和の実現のために努力すると言っているの
です。
相手が撃つ前に撃てるとか、丸腰だから危な
いとか、そんな局地的表面上の議論はもう
沢山です。
まず、やるべきことは、世界の不幸な人々の
ため、貧困からの自由、病からの自由、恐怖
からの自由。
そうした戦いのために日本は動くべきです。
戦闘集団と戦うなどという頭の空っぽの人間が
できるようなことではありません。地道な努力が
必要だし、多くの国の協力なくしてはありえません。
こうした考えにたてば、おのずと自民党の皆さん
には、世界の平和のために何をなすべきかという
視点が欠如していることが明らかだと思います。
小沢さんの主張は、私としては全面的賛成とい
うものではありません。
しかし、小沢さんは危険な地域であろうと、国際
貢献のためであれば行くべしと言っています。
私も、アフガンには日本も積極的に参加すべき
と思っています。
ただそれは上にものべたように、戦うためでは
ありません。
彼の地の苦しんでいる人々を救うためです。
また詭弁を弄する人が言うような、救うために
戦うことでもありません。
日本のNPOなどの人々は以前から、ずーっと
現地で活動していました。
今でも活動し、活動し続けようとしています。
しかし、アメリカのテロとの戦いのため、その
人々の救済活動がかなり制限を受けてしまっ
ています。
現在は、テロというだけでなく、対アメリカへ
の戦いということで、NPOのかたがたも従来
のような安全を確保できることが困難になって
いると思います。
いくら、NPOは軍隊ではないといっても、どこの
国でも、民族でも狂信的な人間はいるものです
から、そうした人間によるNPO活動の妨害や、
対アメリカへの挑発的行為は生じえますから、
それに対してNPOのかたがたを守ることや、
また現地の人々への救済活動を継続する
ことは必要です。
日本国内で議論をして、NPOと自衛隊との
共同活動、あるいは自衛隊のみでの支援活動
等を日本国の目的、日本国民の目的を持って
行いたいと思います。
その場合、重装備の戦闘のための軍隊である
必要はありません。場合によっては工兵隊、
医療部隊のように救助隊や支援部隊という名前
を作って国際的に明らかにして活動することも
よいかも知れません。
さらには、完全な国際救助隊のような別組織
を作ることもよいかも知れません。
このようなことを実現しようとするとき、それが
国際社会で広く受け入れられたとみなすことが
できる判断基準の一つが国連決議であっても
よいと思います。
しかし、あくまで判断基準であって、日本が
多くの国に働きかけてできる国連決議である
ことが重要です。
もし、国連決議が、他国の提案によるもので
あるばあい、我が国と理念を異にするならば、
それを毅然として拒否するべき姿勢を堅持すべき
と思います。
そういう意味での国連決議重視であるならば、
その意味では私は小沢さんと同じ立場に立って
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