6月に群馬県の西毛地域の養蚕祈願講について書きました。

あれは、かなり限られた地域の祈願講の話でした。書き終えてみると、あれより前に群馬県で有名な養蚕祈願の場所を紹介するべきだったという気持ちになりました。

 

わたしは 2012年と2015年に迦葉山を参拝しており、当時このブログにその様子を書いています。今回は新たな情報を得たく7月前半に再訪しました。

 

 

 

 

 

県内で有名な養蚕祈願の場所とは、沼田市にある天狗の霊峰 迦葉山龍華院弥勒寺(かしょうざんりゅうげいんみろくじ)です。養蚕農家が迦葉山へお参りする話はよく聞きます。わたしの養蚕の師も「昔は養蚕が終わったら詣でた」と言っていました。この「昔」というのは昭和3、40年代の話です。当時は地域ごとに養蚕部会があり、養蚕が終わるとその部会仲間でリクリエーションを兼ねて詣でたようです。

 

もっと以前の聞き取り資料を読むと、リクリエーション色は無く、蚕の掃立の前にお札を受けに行ったというシンプルな話が多いようです。

 

 

 

 

 

わたしは養蚕との係わりが大きいので豊作祈願の話になりがちですが、迦葉山をじっくり拝見すると製糸の祈願講がなされていることに気がつきます。それは山門近くにあります。

 

 

 

 

 

山門に通ずる補陀坂を上がります。この参道からお寺までは徒歩で行けますが、現在は立派な車道があるので、ここから詣でる人はかなり少ないと思われます。

 

 

 

 

 

山門が見えました。

 

 

 

 

 

仁王像と山門の間に玉垣がいくつか並んでいます。

その中に「一金参百円也 前橋製糸講」「明治十四年五月」と刻まれた玉垣があります。この玉垣は2012年の訪問で存在を知りました。

前橋製糸という名前の会社が講をしていたのか、前橋にある製糸関係者でおこなっていた講なのか、いまのところ資料は見つけられていません。

● 「迦葉山にて」2012-10-09 記

 

 

 

 

 

久しぶりに訪れると、イノシシの仕業か周囲の土が掘り返され一部の玉垣が倒れて割れていました。いつかこの製糸講の玉垣にも被害が及ばないかと少し気掛かりです。

 

 

 

 

 

今回はせっかくなので迦葉山龍華院弥勒寺にある玉垣を全部チャックしてやろうと意気込んでやってきました。結果から申しますと、蚕糸関連の玉垣は山門の1体しか見かけませんでした。特に境内の玉垣は新しいものが多いので皆目だめです。勢いのある神社仏閣は境内の改修などの際に玉垣を新調するものなのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

こじつけでご紹介すると元首相の故小渕恵三さんの玉垣がありました。小渕さんの実家は中之条町で光山社(小渕製糸所)という製糸会社を営んでいました。こじつけと書きましたが小渕さんが迦葉山とご縁があるのは家業の製糸と係わりがあってのことかもしれません。

 

 

 

 

 

階段を上がりきったところには小天狗と大天狗。

 

 

 

 

 

中峯堂の拝殿外観。

 

 

 

 

 

中峯堂の拝殿内部。コロナウィルス撲滅感染収束祈願中でした。

 

 

 

 

 

ここにも製糸講ではないかと思われるものを見ることができます。

お面がたくさん掛かっている奉献枠の左端に「前橋」の文字が見えます。これが製糸講の奉納物ではないかと当館は思っているのです。2012年には文字がもう少し見えたのですが、今回はお面に隠れて文字を撮影できませんでした。2015年の訪問時も今回と同様でした。2012年に見られたのはビギナーズラックだったのかもしれません。

 

 

 

 

 

こちらが2012年の画像です。「奉献 中峰尊(?)」「前橋丸登講」「昭和六年九月吉日」とあります。このときのブログにわたしは「これは前橋にあった丸登製糸の講ではないかな」と書いています。

 

 

 

 

 

 

丸登製糸については現在のところ資料が乏しいのですが、昭和56年まで前橋市国領町で操業していた製糸工場です。上の画像の白点線部分が工場の敷地でした。現在は商業施設が建っています。書籍で大正8年頃の工場概観のモノクロ写真を見たことがあります。製糸の建物が連立して規模の大きな製糸会社であったことが伺えました。4階建ての巨大な繭蔵が印象に残っています。

 

前橋丸登講が丸登製糸と関連があるのか、製糸講であるのかについては、いまのところ情報は得られていません。

 

 

 

 

 

今回は拝殿内をじっくり見渡しました。新たな発見は奉献枠の左上に前橋丸登講の奉納額縁があったことです。「奉納 賽銭受壹基 金壹百圓也相添 前橋市信徒 前橋丸登講」。

 

 

 

 

 

迦葉山といえば、天狗の面を用いた祈願があります。拝殿内にある「お借り面」から面を持ち帰り、祭る。翌年に参道の茶屋で新しい面を購入し、「お返し面」の方に昨年借りた面と一緒に倍にして供えるというものです。

聞き取り資料にも養蚕農家が豊作を祈願して面を借りてくるとありました。

 

 

 

 

 

これはわたしの師のかつての蚕室風景です。奥の壁に迦葉山の面が掛けられていました。

 

 

 

 

 

こちらは当館の蚕室。お友達にいただいた蚕守札や氏神様の札と一緒に迦葉山の面を飾っています。当館の場合はちゃんとした祈願はしていなくて、茶屋で買ってきたものなんですけどね。

 

 

 

 

 

こちらは迦葉山でいただける養蚕繁昌のお札です。

2012年と2015年にはこのお札をお寺の方に所望すると、売店の奥から探してくださたり、若いお坊さんはその存在を知らなかったりしたのですが、今回はお守り売り場のところに直ぐ出せるように置き場が設けられていました。求める方が増えてきたのでしょうか。

迦葉山 2015-10-07 記

 

 

 

 

 

ここからは祈願講とは関係ない登山の話。この日はお天気が良い休日でした。関東のコロナウイルスの感染数が6月頃から落ち着きを見せ、登山を楽しむ団体や家族連れで少し賑わいが戻りつつあるようなときでした。

 

画像にある中雀門をくぐるとその先は登山道へとつながっています。わたしたちが訪れたのは夕方近くだったのですが、この時間でも中雀門をくぐる人がちらほらいました。軽装だから、直ぐ近くの迦葉堂までの参拝でしょう。

 

 

 

 

 

2012年にこの門を通り「迦葉堂」、「和尚台」から「胎内潜り」をし、岩の頂上から山下を眺めました。楽しかったので改めて書いておきます。

以下の画像は2012年のものです。

迦葉山にて番外編 2012-10-09 記

 

 

 

 

 

 

 

このときは、学生の時に来たことがあるという夫が片道15分くらいの道のりだから行ってみよう言い出し、軽い気持ちで付いていったのですよね。

 

 

 

 

 

よく見たら、このときの夫の格好はリュックに登山用ステッキ、登山靴も履いてます。気づかなかった。そういえば、登り始めてから熊除けの鈴を渡されましたよ。

 

胎内潜りの場所は鎖場でした。この辺りはまだ序の口。狭いところではリュックが岩に引っ掛かり邪魔でした。

 

 

 

 

 

見てください、この軽装ぶり。どこに行くのか事前情報無しで来たからいけません。靴は奇跡的にクライミングシューズ系?のアウトドアシューズでしたけれど、ショルダーバックは胎内潜りの岩場であちこち傷をつけてしまいました。いま思い返すと岩場を登るときにショルダーバックは危険です。思いもしないところに引っかけて怪我する可能性大ですから真似しないでください。

 

 

 

 

 

何だかんだいいながらも鎖場を登るのは面白かったです。

この鎖も奉納物でした。「昭和五十二年 奉納 小千谷講 6月吉日」とありました。

 

 

 

 

 

最後の鎖場はほんとうに怖かったです。

 

 

 

 

 

登ったのは10月でした。遠くに見える水田は黄金色です。

わたしたちはここまでで下山しました。往復の所要時間は約1時間です。